University of Virginia Library

15. 後撰和歌集卷第十五
雜歌一

在原行平朝臣

任和の帝嵯峨の御時の例にて芹川に行幸し鈴ひける日

さがの山みゆき絶にし芹川の千世のふる道跡はありけり

同じ日鷹飼にてかりぎぬの袂に鶴のかたをぬひてかきつけたりける

翁さび人な咎めそ狩衣今日ばかりとぞたづもなくなる

行幸の又の日なむ致仕の表奉りける。

贈太政大臣

紀友則まだ司賜はらざりける時ことの序侍りて年はいくらばかりにかなりぬると問ひ侍りければ四十餘になむなりぬると申しければ

今迄になどかは花の咲かずして四十年餘り年ぎりはする

友則

かへし

遙々の數は忘れずありながら花さかぬ木を何に植ゑけむ

平なかき

外吏に志ば/\まかりありきて殿上おりて侍りける時兼輔の朝臣の許に遣はしける

よと共に峯へ麓へおり登り行く雲の身は我にぞ有りける

嵯峨后

まだ后になり給はざりける時傍の女御たちそねみ給ふけしきなりける時御門御ざうしに忍びて立ちより給へりけるに御對面はなくて奉り給ひける

言繁し少時はたてれ宵のまにおくらむ露は出でゝ拂はむ

河原左大臣

家に行平朝臣まうできたりけるに月の面白かりける夜酒などたうべてまかりたゝむとしけるほどに

照る月を正木の綱によりかけてあかず別るゝ人を繋がむ

行平朝臣

かへし

限りなき思のつなのなくばこそ正木の蔓よりもなやまめ

業平朝臣

世の中を思ひうじて侍りける頃

住みわびぬ今は限りと山里につま木こるべき宿求めてむ

躬恒

我を志りがほにないひそと女のいひ侍りける返事に

足引の山におひたる白樫の志らじな人を朽ち木なりとも

姿あやしと人の笑ひければ

伊勢の海の釣のうけなるさまなれど深き心は底に沈めり

中務

おほきおほいまうち君の志ら川の家にまかりわたりて侍りけるに人のざうしにこもり侍りて

白川の瀧のいとみまほしけれど妄に人をよせじものとや

おほきおほいまうち君

かへし

白川の瀧の糸なみ亂れつゝよるをぞ人はまつといふなる

讀人志らず

はちすのはひをとりて

蓮葉のはひにぞ人は思ふらむよには戀路の中におひつゝ

蝉丸

逢坂の關に庵室を造りて住み侍りけるに行きかふ人を見て

これや此行くも歸るも別れつゝ志るも知らぬも逢坂の關

小野小町

定めたる男もなくて物思ひ侍る頃

あまのすむ浦漕ぐ舟の舵をなみよをうみ渡る我ぞ悲しき

讀人志らず

あひ志りて侍りける女心にもいれぬさまに侍りければこと人の心ざしあるにつき侍りにけるをなほしもあらず物いはむと申し遣したりけれど返事もせず侍りければ

濱千鳥かひなかり鳬つれもなき人のあたりは鳴渡れども

素性法師

法皇寺めぐりし給ひける道にてかへでの枝を折りて

此みゆき千年かへでも見てしがな斯る山伏時に逢ふべく

西院の后おほんぐしおろさせ給ひておこなはせ給ひける時彼院の中島の松をけづりてかきつけ侍りける

音にきく松が浦島今日ぞみるむべも心ある蜑はすみけり

右衛門

齊院のみそぎの垣下に殿上の人々まかりて曉に歸りてうまが許につかはしける

われのみはたちも歸らぬ曉にわきてもおける袖の露かな

忠見

志ほなきとしたゞみあへてと侍りければ

鹽といへば無ても辛き世中にいかにあへたるたゞみ成覽

藤原元輔

ひたゝれこひに遣はしたるに裏なむなき、それは着じとやいかゞといひたれば

住吉のきじともいはじ沖つ浪猶打ちかけよ浦はなくとも

七條のきさき

法皇はじめて御ぐしおろし給ひて山ぶみ志給ふあひだ后をはじめ奉りて女御更衣なほひとつ院にさぶらひ給ひける三年といふになむ帝かへりおはしましたりける。昔のごと同じ所にておろし給うけるついでに

言の葉にたえせぬ露はおくらむや昔覺ゆる圓居したれば

伊勢

御かへし

海とのみ圓居の中は成りぬめりそ乍あらぬ影の見ゆれば

黒主

志賀の唐崎にてはらへしける人の志もづかへにみるといふ侍りけり。大伴黒主そこにまできてかのみるに心をつけていひ戯ぶれけり。はらへはてゝ車より黒主に物かづけゝる其裳のこしにかきつけてみるに送り侍りける

何せむにへだのみるめを思けむ沖つ玉もを潜く身にして

躬恒

月の面白かりけるを見て

晝なれや見ぞ紛へつる月影を今日とやいはむ昨日とやいはむ

藤原滋包が女

五節の舞姫にてもしめし止めらるゝ事やあると思ひ侍りけるをさもあらざりければ

悔しくぞ天つ少女となりにける露路尋ぬる人も無き世に

兼輔朝臣

太政大臣の左大將にてすまひのかへりあるじ志侍りける日中將にてまかりて事をはりてこれかれ罷りあかれけるにやんごとなき人二三人ばかりとゞめてまらうどあるじ酒あまたゝびの後醉にのりて子共のうへなど申しけるついでに

人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬる哉

大江玉淵朝臣女

女友だちの許につくしよりさし櫛を心ざすとて

難波潟何にもあらずみをつくし深き心の志るしばかりぞ

中務

元長のみこのすみ侍りける時てまさぐりに何いれて侍りける箱にか有りけむ志た帶してゆひて又こむ時にあけむとて物のかみにさし置きていで侍りにける後常明のみこにとりかくされて月日久しく侍りてありし家にかへりて此箱を元長のみこに送るとて

あけてだに何にかはせむ水の江の浦島の子を思遣りつゝ

忠岑

忠房朝臣つの守にて新司治方がまうけに屏風てうじて彼國の名ある所々繪にかゝせてさび江といふところにかけりける

年をへて濁だにせぬさび江には玉も返りて今ぞすむべき

兼輔朝臣

兼輔朝臣宰相中將より中納言になりて又の年のり弓のかへりたちのあるじにまかりてこれかれ思をのぶるついでに

故さとのみかさの山は遠けれどこゑは昔のうとからぬ哉

躬恒

淡路のまつりごと人の任はてゝのぼりまうできての頃兼輔朝臣の粟田の家にて

引植ゑし人はむべこそ老にけれ松の小高くなりにける哉

女の母

人のむすめに源かねきがすみ侍りけるを女の母聞き侍りていみじう制し侍りければ忍びたる方にて語らひける間に母志らずして俄にいきければかねきが逃げて罷りにければ遣しける

小山田の驚しにもこざりしをいとひたぶるに遁げし君哉

むすめの女御

三條右大臣みまかりてあくる年の春、大臣めしありと聞きて齋宮のみこにつかはしける

爭で彼の年切もせぬ種もがな荒れたる宿に植てみるべく

齋宮のみこ

かの女御左のおほいまうち君にあひにけりときゝて遣しける

春毎に行きてのみ見む年切りもせずと云ふ種はおひぬとかきく

右大臣

庶明朝臣中納言になり侍りける時うへのきぬつかはすとて

思ひきやきみが衣をぬぎかへてこき紫のいろをきむとは

庶明朝臣

かへし

古へも契りてけりな打ちはぶきとび立ちぬべし天の羽衣

大輔

雅正がとのゐ物をとりたがへて大輔が許にもてきたりければ

古里のならの都のはじめよりなれにけりとも見ゆる衣か

雅正

かへし

ふりぬとて思ひも捨てじ唐衣よそへてあやな恨もぞする

大江千里

世の中の心にかなはぬなど申しければ行くさき頼もしき身にてかゝる事あるまじと人の申し侍りければ

流れてのよをも頼まず水の上の沫に消ぬる憂身と思へば

兼輔朝臣

藤原さねきが藏人よりかうぶり賜はりてあす殿上まかりおりなむと志ける夜酒たうべけるついでに

うば玉の今宵計りぞあけ衣あけなば人をよそにこそ見め

七條后

法皇御ぐしおろし給ひての頃

人渡す事だになきを何しかも長柄の橋と身の成りぬらむ

伊勢

御かへし

ふるゝ身は涙のうちにみゆればや長柄の橋に誤たるらむ

あつみのみこ

京極の御やす所尼に成りて戒うけむとて仁和寺にわたりて侍りければ

獨のみ眺めて年をふる里の荒れたる樣をいかに見るらむ

朝綱朝臣

女のあだなりといひければ

まめなれどあだ名は立ちぬ戯れ島よる白浪を濡衣にきて

讀人志らず

あひかたらひける人の家の松の梢のもみぢたりけるを見て

年をへて頼むかひなし常磐なる松の梢もいろかはりゆく

四條御息所の女

男の女の文を隱しけるを見てもとのめのかきつけ侍りける

隔てつる人の心のうき橋を危きまでもふみ見つるかな

源公忠朝臣

小野好古の朝臣西の國のうての使に罷りて二年といふ年四位には必まかりなるべかりけるをさもあらずなりにければかゝる事にしもさゝれにける事の安からぬ由を憂へ送りて侍りける文の返事の裏にかきつけて遣はしける

玉櫛笥二年あはぬ君が身をあけ乍らやはあらむと思ひし

小野好古朝臣

かへし

あけながら年ふる事は玉くしげ身の徒になればなりけり