7. 巻第七
賀哥
707
仁徳天皇御哥
みつきものゆるされてくにとめるを御らんじて
たかきやにのぼりて見ればけぶりたつたみのかまどはにぎはひに
けり
708
よみ人しらず
題しらず
はつ春のはつねのけふのたまばゝきてにとるからにゆらぐ玉のを
709
藤原清正
子日をよめる
ねのびしてしめつるのべのひめこ松ひかでやちよのかげをまたま
し
710
貫之
題しらず
君がよのとしのかずをばしろたへのはまのまさごとたれかしきけ
ん
711
享子院の六十御賀屏風に、わかなつめるところをよみ侍ける
わかなおふるのべといふのべを君がためよろづよしめてつまんと
ぞ思\
712
延喜御時屏風哥
ゆふだすきちとせをかけてあしびきの山あゐのいろはかはらざり
けり
713
土御門右大臣
祐子内親王家にて、さくらを
君がよにあふべき春のおほければちるとも桜あくまでぞみん
714
伊勢
七条のきさいの宮の五十賀屏風に
すみの江のはまのまさごをふむたづはひさしきあとをとむるなり
けり\
715
貫之
延喜御時屏風哥
としごとにおいそふ竹のよゝをへてかはらぬいろをたれとかはみ
ん\
716
躬恒
題しらず
ちとせふるおのへの松は秋風の声こそかはれいろはかはらず
717
興風
山河の菊のしたみづいかなればながれて人の老をせくらん
718
貫之
延喜御時屏風哥
いのりつゝなを長月のきくの花いづれの秋かうへてみざらん
719
皇太后宮大夫俊成
文治六年女御入内屏風に
山人のおるそでにほふきくのつゆうちはらふにもちよはへぬべし
720
清原元輔
貞信公家屏風に
神な月もみぢもしらぬときは木によろづよかゝれ峰の白雲
721
伊勢
題しらず
山風はふけどふかねど白浪のよするいはねはひさしかりけり\
722
紫式部
後一条院うまれさせたまへりける九月、つきくまなかりける夜、
大二条関白、中将に侍ける、わかき人々さそひいでゝ、いけのふねにのせてなかじま
のまつかげさしまはすほど、おかしくみえ侍ければ
くもりなくちとせにすめる水のおもにやどれる月のかげものどけ
し
723
伊勢大輔
永承四年内裏哥合に、池水といふ心を
池水のよゝにひさしくすみぬれば底の玉もゝ光みえけり
724
六条右大臣
堀河院の大嘗会御禊、日ごろあめふりて、その日になりてそらは
れて侍ければ、紀伊典侍に申ける
きみがよのちとせのかずもかくれなくくもらぬそらの光にぞ見る
725
前大納言隆国
天喜四年皇后宮の哥合に、祝の心をよみ侍ける
すみの江においそふ松のえだごとにきみがちとせのかずぞこもれ
る
726
康資王母
寛治八年関白前太政大臣高陽院哥合に、いはひの心を
よろづよを松のを山のかげしげみ君をぞいのるときはかきはに
727
大弐三位
後冷泉院おさなくおはしましける時、卯杖の松を人のこにたまは
せけるに、よみ侍ける
あひをひのをしほの山のこ松ばらいまよりちよのかげをまたなん
728
大納言経信
永保四年内裏子日に
ねのびするみかきのうちのこ松ばらちよをばほかの物とやはみる
729
権中納言通俊
ねの日する野辺のこ松をうつしうへてとしのをながく君ぞひくべ
き
730
前中納言匡房
承暦二年内裏の哥合に、祝の心を
君がよはひさしかるべしわたらひやいすゞのかはのながれたえせ
で
731
読人しらず
題しらず
ときはなる松にかゝれるこけなれば年のをながきしるべとぞ思
732
刑部卿範兼
二条院御時、花有喜色といふ心を人々つかうまつりけるに
きみがよにあへるはたれもうれしきを花はいろにもいでにけるか
な
733
参河内侍
おなじ御時、南殿の花のさかりに、うたよめとおほせられければ
身にかへて花もおしまじ君がよにみるべき春のかぎりなければ
734
式子内親王
百首哥たてまつりし時
あめのしためぐむくさ木のめもはるにかぎりもしらぬみよのすゑ
ずゑ
735
摂政太政大臣
京極殿にてはじめて人々哥つかうまつりしに、松有春色といふ事
をよみ侍し
をしなべてこのめも春のあさみどり松にぞちよの色はこもれる
736
百首哥たてまつりし時
しき島やゝまとしまねも神よゝり君がためとやかためをきけん
737
千五百番哥合に
ぬれてほすたまぐしのはのつゆしもにあまてるひかりいくよへぬ
らん
738
皇太后宮大夫俊成
いはひの心をよみ侍ける
きみがよはちよともさゝじあまのとやいづる月日のかぎりなけれ
ば
739
定家朝臣
千五百番哥合に
わがみちをまもらばきみをまもるらんよはひはゆづれすみよしの
松
740
寂蓮法師
八月十五夜、和哥所哥合に、月多秋友といふことをよみ侍し
たかさごの松もむかしになりぬべしなをゆくすゑは秋のよの月
741
源家長
和哥所の開闔になりてはじめてまいりし日、そうし侍し
もしほぐさかくともつきじきみがよのかずによみをくわかの浦浪
742
前大納言隆房
建久七年、入道前関白太政大臣、宇治にて人々に哥よませ侍ける
に
うれしさやかたしく袖につゝむらんけふまちえたるうぢのはしひ
め
743
清輔朝臣
嘉応元年、入道前関白太政大臣、宇治にて、河水久澄といふ事を
人々によませ侍けるに
としへたるうぢのはしもりことゝはんいくよになりぬ水のみなか
み
744
日吉禰宜成仲、七十賀し侍けるに、つかはしける
なゝそぢにみつのはまゝつおいぬれどちよのゝこりは猶ぞはるけ
き
745
後徳大寺左大臣
百首哥よみ侍けるに
やをかゆくはまのまさごを君がよのかずにとらなんおきつ島もり
746
摂政太政大臣
いゑにうたあはせし侍けるに、はるのいはひの心をよみ侍ける
かすが山宮このみなみしかぞおもふきたのふぢなみ春にあへとは
747
よみ人しらず
天暦御時大嘗会主基、備中国中山
ときはなるきびの中山をしなべてちとせを松のふかきいろかな
748
祭主輔親
長和五年大嘗会悠紀方風俗哥、近江国朝日郷
あかねさすあさひのさとのひかげ草とよのあかりのかざしなるべ
し
749
式部大輔資業
永承元年大嘗会悠紀方屏風、近江国もる山をよめる
すべらぎをときはかきはにもる山の山人ならし山かづらせり\
750
前中納言匡房
寛治二年大嘗会屏風に、たかのをの山をよめる
とやかへるたかのを山のたまつばきしもをばふともいろはかはら
じ
751
宮内卿永範
久寿二年大嘗会悠紀屏風に、あふみのくにかゞみ山をよめる
くもりなきかゞみの山の月をみてあきらけきよをそらにしる哉
752
刑部卿範兼
平治元年大嘗会主基方、辰日参入音声、生野をよめる
おほえ山こえていくのゝすゑとをみみちある世にもあひにけるか
な
753
皇太后宮大夫俊成
仁安元年大嘗会悠紀哥たてまつりけるに、稲舂哥
あふみのやさかたのいねをかけつみてみちあるみよのはじめにぞ
つく
754
権中納言兼光
寿永元年大嘗会主基方稲舂哥、丹波国長田村をよめる
神世ゝりけふのためとやゝつかほにながたのいねのしなひそめけ
ん
755
式部大輔光範
建久九年大嘗会悠紀哥、青羽山
たちよればすゞしかりけり水鳥のあおばの山の松のゆふ風\
756
権中納言資実
おなじ大嘗会主基屏風に、六月、松井
ときはなる松井の水をむすぶてのしづくごとにぞちよはみえける