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18. | 巻第十八
雑哥下 |
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莪
春歌上 (Shin Kokinshu) | ||
18. 巻第十八
雑哥下
1690
菅贈太政大臣
山
1691
日
1692
月
1693
雲
1694
霧
1695
雪
1696
松
1697
野
1698
道
1699
海
1700
かさゝぎ
1701
波
1702
よみ人しらず
題しらず
1703
1704
摂政太政大臣
千五百番哥合に
1705
前中納言匡房
題しらず
1706
増賀上人
1707
人麿
1708
能宣朝臣
1709
順
なぎさのまつといふことをよみ侍ける
1710
能因法師
山水をむすびてよみ侍ける
1711
法成寺入道前摂政太政大臣
あまになりぬときゝける人に、さうぞくつかはすとて
1712
東三条院
きさきにたちたまひける時、冷泉院のきさいの宮の御ひたひをた てまつりたまへりけるを、出家の時、返したてまつりたまふとて
1713
冷泉院太皇太后宮
返し
1714
枇杷皇太后宮
上東門院出家のゝち、こがねの装束したる沈のずゞ、しろがねの はこにいれて、むめのえだにつけてたてまつられける
1715
上東門院
返し
1716
和泉式部
題しらず
1717
一条院皇后宮
屏風のゑに、しほがまのうらかきて侍けるを
1718
天暦御哥
少将高光、横河にのぼりてかしらおろし侍にけるをきかせ給てつ かはしける
1719
如覚
御返し
1720
惟喬親王
世をそむきて、をのといふところにすみ侍けるころ、業平朝臣の、 ゆきのいとたかうふりつみたるをかきわけてまうできて、ゆめかとぞ思おもひきやと よみ侍けるに
1721
女御徽子女王
みやこのほかにすみ侍けるころ、ひさしうをとづれざりける人に つかはしける
1722
伊勢
亭子院おりゐたまはんとしける秋、よみける
1723
藤原清正
殿上はなれ侍りてよみ侍ける
1724
読人しらず
\二条院、菩提樹院におはしましてのちの春、むかしをおもひい でゝ大納言経信まいりて侍ける又の日、女房の申つかはしける
1725
定家朝臣
最勝四天王院の障子に、おほよどかきたる所
1726
後白河院御哥
最慶法師、千載集かきてたてまつりけるつゝみがみに、すみをす りふでをそめつゝとしふれどかきあらはせることのはぞなきとかきつけて侍ける御返 し
1727
後朱雀院御哥
上東門院、高陽院におはしましけるに、行幸侍りて、せきいれた る滝を御覧じて
1728
周防内侍
権中納言通俊、後拾遺撰び侍けるころ、まづかたはしもゆかしく など申て侍ければ、申あはせてこそとて、まだきよがきもせぬ本をつかはして侍ける を見て、返しつかはすとて
1729
壬生忠見
哥たてまつれとおほせられければ、忠峯がなどかきあつめてたて まつりけるおくにかきつけゝる
1730
藤原為忠朝臣
遊女の心をよみ侍ける
1731
赤染衛門
大江挙周はじめて殿上ゆるされて、くさふかきにはにおりて拝し けるを見侍て
1732
伊勢大輔
秋ごろわづらひける、をこたりて、たびたびとぶらひにける人に つかはしける
1733
大納言経信
返し
1734
右大将済時
あるところにかよひ侍けるを、朝光大将見かはして、よひとよも のがたりしてかへりて、又の日
1735
左大将朝光
返し
1736
読人しらず
わづらひける人の、かく申侍ける
1737
小馬命婦
返し
1738
和泉式部
題しらず
1739
大僧正行尊
れいならぬこと侍りけるに、しれりけるひじりの、とぶらひにま うできて侍ければ
1740
前大僧正慈円
五十首哥たてまつりし時
1741
れいならぬこと侍けるに、無動寺にてよみ侍ける
1742
大僧正行尊
題しらず
1743
清原元輔
1744
よみ人しらず
1745
女蔵人内匠
延喜御時、女蔵人内匠、白馬節会見けるに、くるまよりくれなゐ のきぬをいだしたりけるを、検非違使のたゞさんとしければ、いひつかはしける
かくいひければ、たゞさずなりにけり
1746
周防内侍
れいならでうづまさにこもりて侍けるに、心ぼそくおぼえければ
1747
前大僧正慈円
題しらず
1748
西行法師
1749
1750
1751
1752
寂蓮法師
守覚法親王、五十首哥よませ侍けるに
1753
述懐の心をよめる
1754
前大僧正慈円
1755
1756
1757
和哥所にて、述懐のこゝろを
1758
右衛門督通具
1759
定家朝臣
1760
家隆朝臣
1761
1762
1763
雅経朝臣
1764
皇太后宮大夫俊成女
1765
摂政太政大臣
千五百番哥合に
1766
題しらず
1767
1768
守覚法親王
五十首哥よみ侍けるに、述懐の心を
1769
権中納言兼宗
1770
左近中将公衡
述懐の心をよみ侍ける
1771
よみ人しらず
題しらず
1772
源師光
1773
賀茂重保
1774
荒木田長延
1775
刑部卿頼輔
入道前関白家百首哥よませ侍けるに
1776
大僧都覚弁
題しらず
1777
藤原行能
よみて侍ける百首哥を、源家長がもとに見せにつかはしけるおく に、かきつけて侍ける
1778
鴨長明
身のゝぞみかなひ侍らで、やしろのまじらひもせでこもりゐて侍 けるに、あふひを見てよめる
1779
源季景
題しらず
1780
西行法師
1781
1782
前大僧正慈円
五十首哥の中に
1783
1784
西行法師、山ざとよりまかりいでゝ、むかし出家し侍しその月日 にあたりて侍ると申たりける返事に
1785
承仁法親王
前僧都全真西国のかたに侍ける時、つかはしける
1786
前右大将頼朝
前大僧正慈円、ふみにてはおもふほどのことも申つくしがたきよ し、申つかはして侍ける返事に
1787
大江嘉言
世中のつねなきころ
1788
清慎公
題しらず
1789
皇嘉門院
1790
権中納言資実
1791
性空上人
松の木のやけゝるを見て
1792
後頼朝臣
題しらず
1793
皇太后宮大夫俊成
1794
家隆朝臣
春日社哥合に、松風といふことを
1795
宜秋門院丹後
1796
女御徽子女王
さうしにあしでながうたなどかきて、おくに
1797
実方朝臣
臨時祭の舞人にてもろともに侍けるを、ともに四位してのち、祭 の日つかはしける
1798
道信朝臣
題しらず
1799
賀茂左衛門
後冷泉院御時大嘗会に、ひかげのくみをして、実基朝臣のもとに つかはすとて、先帝御時おもひいでゝ、そへていひつかはしける
1800
天暦御哥
秋夜きりぎりすをきくといふ題をよめと、人びとにおほせられて、 おほとのごもりにけるあしたに、そのうたを御覧じて
1801
中務卿具平親王
秋雨を
1992
能宣朝臣
題しらず
[被出之]
1802
小野小町
1803
皇太后宮大夫俊成
述懐百首哥よみける時、紅葉を
1804
崇徳院御哥
題しらず
1805
宮内卿
1806
和泉式部
1807
1808
西行法師
1809
皇太后宮大夫俊成
暁の心をよめる
1810
式子内親王
百首哥に
1811
和泉式部
あまにならんとおもひたちけるを、人のとゞめ侍ければ
1812
題しらず
1813
大僧正行尊
くまのへまいりておほみねへいらんとて、としごろやしなひた てゝ侍りけるめのとのもとにつかはしける
1814
土御門内大臣
百首哥たてまつりし時
1815
皇太后宮大夫俊成
百首哥よみ侍けるに、懐旧哥
1816
俊頼朝臣
述懐百首哥よみ侍けるに
1817
僧正遍昭
ゆふぐれにくものいとはかなげにすかくを、つねよりもあはれと 見て
1819
西宮前左大臣
題しらず
1820
赤染衛門
野わきしたるあしたに、おさなき人をだにとはざりける人に
1821
和泉式部、みちさだにわすられてのち、ほどなく敦道親王かよふ ときゝて、つかはしける
1822
和泉式部
返し
1823
皇太后宮大夫俊成
やまひかぎりにおぼえ侍ける時、定家朝臣、中将転任のこと申と て、民部卿範光もとにつかはしける
1824
前大僧正慈円
題しらず
1825
1826
1826
1827
1828
西行法師
1829
1830
1831
1832
入道前関白太政大臣
1833
大僧正行尊
なげく事侍けるころ、おほみねにこもるとて、同行どもゝかたへ は京へかへりねなど申てよみ侍ける
1834
題しらず
1835
前大僧正慈円
百首哥たてまつりしに
1836
俊頼朝臣
題しらず
1837
山田法師
としごろ修行の心ありけるを、すてがたき事侍りてすぎけるに、 おやなどなくなりて、心やすくおもひたちけるころ、障子にかきつけ侍ける
1838
寂蓮法師
題しらず
1839
法橋行遍
1840
源師光
守覚法親王、五十首哥よませ侍けるに
1841
八条院高倉
題しらず
1842
西行法師
1843
清輔朝臣
1844
西行法師
寂蓮、人々すゝめて百首哥よませ侍けるに、いなび侍て熊野にま うでける道にて、ゆめに、なにごともおとろへゆけど、このみちこそよのすゑにかは らぬものはあれ、なをこのうたよむべきよし、別当湛快、三位俊成に申と見侍て、お どろきながらこの哥をいそぎよみいだしてつかはしけるおくにかきつけ侍ける
1845
皇太后宮大夫俊成
千載集えらび侍ける時、ふるき人ゝのうたを見て
1993
西行法師
題しらず
[被出之]
1846
皇太后宮大夫俊成
崇徳院に百首哥たてまつりける、無常哥
1847
式子内親王
百首哥に
1848
華山院御哥
つのくにゝおはして、みぎはのあしを見たまひて
1849
中務卿具平親王
題しらず
1850
蝉丸
1851
莪
春歌上 (Shin Kokinshu) | ||