18. 巻第十八
雑哥下
1690
菅贈太政大臣
山
あしびきのこなたかなたにみちはあれど宮こへいざといふ人ぞな
き
1691
日
あまのはらあかねさしいづるひかりにはいづれのぬまかさえのこ
るべき
1692
月
つきごとにながるとおもひしますかゞみにしのうみにもとまらざ
りけり
1693
雲
山わかれとびゆく雲のかへりくるかげみる時は猶たのまれぬ
1694
霧
きりたちてゝる日の本はみえずとも身はまどはれじよるべありや
と
1695
雪
花とちり玉とみえつゝあざむけば雪ふるさとぞ夢に見えける
1696
松
おいぬとて松はみどりぞまさりけるわがくろかみの雪のさむさに
1697
野
つくしにも紫おふる野辺はあれどなき名かなしぶ人ぞきこえぬ
1698
道
かるかやの関もりにのみ見えつるは人もゆるさぬ道べなりけり
1699
海
うみならずたゝへる水の底までにきよき心は月ぞてらさん
1700
かさゝぎ
ひこぼしのゆきあひをまつかさゝぎのとわたるはしを我にかさな
ん
1701
波
ながれ木とたつ白浪とやくしほといづれかゝらきわたつみのそこ
1702
よみ人しらず
題しらず
さゞなみのひら山風のうみふけばつりするあまの袖かへるみゆ
1703
白浪のよするなぎさによをつくすあまのこなればやどもさだめず
1704
摂政太政大臣
千五百番哥合に
舟のうち浪のうへにぞ老にけるあまのしわざもいとまなのよや
1705
前中納言匡房
題しらず
さすらふる身はさだめたるかたもなしうきたる舟のなみにまかせ
て
1706
増賀上人
いかにせん身をうきふねのにをゝもみつゐのとまりやいづこなる
らん
1707
人麿
あしがものさはぐいり江の水のえのよにすみがたきわが身なりけ
り
1708
能宣朝臣
あしがものは風になびくうき草のさだめなきよをたれかたのまん
1709
順
なぎさのまつといふことをよみ侍ける
おいにけるなぎさの松のふかみどりしづめるかげをよそにやはみ
る
1710
能因法師
山水をむすびてよみ侍ける
葦引の山した水にかげみればまゆしろたへにわれ老にけり\
1711
法成寺入道前摂政太政大臣
あまになりぬときゝける人に、さうぞくつかはすとて
なれ見てし花のたもとをうちかへしのりの衣をたちぞかへつる\
1712
東三条院
きさきにたちたまひける時、冷泉院のきさいの宮の御ひたひをた
てまつりたまへりけるを、出家の時、返したてまつりたまふとて
そのかみの玉のかづらをうちかへしいまは衣のうらをたのまん
1713
冷泉院太皇太后宮
返し
つきもせぬひかりのまにもまぎれなでおいてかへれるかみのつれ
なさ
1714
枇杷皇太后宮
上東門院出家のゝち、こがねの装束したる沈のずゞ、しろがねの
はこにいれて、むめのえだにつけてたてまつられける
かはるらん衣のいろをおもひやるなみだやうらの玉にまがはん
1715
上東門院
返し
まがふらんころものたまにみだれつゝなをまださめぬ心ちこそす
れ
1716
和泉式部
題しらず
しほのまによものうらうらたづぬれどいまはわが身のいふかひも
なし
1717
一条院皇后宮
屏風のゑに、しほがまのうらかきて侍けるを
いにしへのあまやけぶりとなりぬらん人めも見えぬしほがまのう
ら
1718
天暦御哥
少将高光、横河にのぼりてかしらおろし侍にけるをきかせ給てつ
かはしける
宮こより雲のやへたつおく山のよかはの水はすみよかるらん\
1719
如覚
御返し
もゝしきのうちのみつねにこひしくて雲のやへたつ山はすみうし
\
1720
惟喬親王
世をそむきて、をのといふところにすみ侍けるころ、業平朝臣の、
ゆきのいとたかうふりつみたるをかきわけてまうできて、ゆめかとぞ思おもひきやと
よみ侍けるに
夢かともなにかおもはんうきよをばそむかざりけんほどぞくやし
き
1721
女御徽子女王
みやこのほかにすみ侍けるころ、ひさしうをとづれざりける人に
つかはしける
雲井とぶ雁のねちかきすまゐにもなをたまづさはかけずやありけ
ん
1722
伊勢
亭子院おりゐたまはんとしける秋、よみける
白露はをきてかはれどもゝしきのうつろふ秋は物ぞかなしき
1723
藤原清正
殿上はなれ侍りてよみ侍ける
あまつ風ふけゐのうらにゐるたづのなどか雲井にかへらざるべき
\
1724
読人しらず
\二条院、菩提樹院におはしましてのちの春、むかしをおもひい
でゝ大納言経信まいりて侍ける又の日、女房の申つかはしける
いにしへのなれし雲井をしのぶとやかすみをわけて君たづねけん
1725
定家朝臣
最勝四天王院の障子に、おほよどかきたる所
おほよどのうらにかりほすみるめだにかすみにたへてかへるかり
がね
1726
後白河院御哥
最慶法師、千載集かきてたてまつりけるつゝみがみに、すみをす
りふでをそめつゝとしふれどかきあらはせることのはぞなきとかきつけて侍ける御返
し
はまちどりふみをくあとのつもりなばかひあるうらにあはざらめ
やは
1727
後朱雀院御哥
上東門院、高陽院におはしましけるに、行幸侍りて、せきいれた
る滝を御覧じて
滝つせに人の心を見ることはむかしにいまもかはらざりけり\
1728
周防内侍
権中納言通俊、後拾遺撰び侍けるころ、まづかたはしもゆかしく
など申て侍ければ、申あはせてこそとて、まだきよがきもせぬ本をつかはして侍ける
を見て、返しつかはすとて
あさからぬ心ぞみゆるをとはがはせきいれし水のながれならねど
\
1729
壬生忠見
哥たてまつれとおほせられければ、忠峯がなどかきあつめてたて
まつりけるおくにかきつけゝる
ことの葉の中をなくなくたづぬればむかしの人にあひみつる哉\
1730
藤原為忠朝臣
遊女の心をよみ侍ける
ひとりねのこよひもあけぬたれとしもたのまばこそはこぬもうら
みめ
1731
赤染衛門
大江挙周はじめて殿上ゆるされて、くさふかきにはにおりて拝し
けるを見侍て
くさわけてたちゐるそでのうれしさにたへずなみだのつゆぞこぼ
るゝ\
1732
伊勢大輔
秋ごろわづらひける、をこたりて、たびたびとぶらひにける人に
つかはしける
うれしさはわすれやはするしのぶぐさしのぶる物を秋の夕ぐれ
1733
大納言経信
返し
秋風のをとせざりせば白露のゝきのしのぶにかゝらましやは
1734
右大将済時
あるところにかよひ侍けるを、朝光大将見かはして、よひとよも
のがたりしてかへりて、又の日
しのぶぐさいかなるつゆかをきつらんけさはねもみなあらはれに
けり\
1735
左大将朝光
返し
あさぢふをたづねざりせばしのぶぐさおもひをきけんつゆを見ま
しや\
1736
読人しらず
わづらひける人の、かく申侍ける
ながらへんとしもおもはぬつゆの身のさすがにきえんことをこそ
おもへ\
1737
小馬命婦
返し
つゆの身のきえばわれこそさきだゝめをくれん物かもりの下草\
1738
和泉式部
題しらず
いのちさへあらば見つべき身のはてをしのばん人のなきぞかなし
き\
1739
大僧正行尊
れいならぬこと侍りけるに、しれりけるひじりの、とぶらひにま
うできて侍ければ
さだめなきむかしがたりをかぞふればわが身もかずにいりぬべき
哉
1740
前大僧正慈円
五十首哥たてまつりし時
世中のはれゆくそらにふる霜のうき身ばかりぞをき所なき
1741
れいならぬこと侍けるに、無動寺にてよみ侍ける
たのみこしわがふるてらのこけのしたにいつしかくちん名こそお
しけれ
1742
大僧正行尊
題しらず
くりかへしわが身のとがをもとむれば君もなきよにめぐるなりけ
り\
1743
清原元輔
うしといひてよをひたふるにそむかねば物おもひしらぬ身とやな
りなん
1744
よみ人しらず
そむけどもあめのしたをしはなれねばいづくにもふる涙なりけり
1745
女蔵人内匠
延喜御時、女蔵人内匠、白馬節会見けるに、くるまよりくれなゐ
のきぬをいだしたりけるを、検非違使のたゞさんとしければ、いひつかはしける
おほぞらにてる日のいろをいさめてもあめのしたにはたれかすむ
べき\
かくいひければ、たゞさずなりにけり
1746
周防内侍
れいならでうづまさにこもりて侍けるに、心ぼそくおぼえければ
かくしつゝゆふべの雲となりもせば哀かけてもたれかしのばん
1747
前大僧正慈円
題しらず
おもはねどよをそむかんといふ人のおなじかずにやわれもなるら
ん\
1748
西行法師
かずならぬ身をも心のもちがほにうかれては又かへりきにけり
1749
をろかなる心のひくにまかせてもさてさはいかにつゐのおもひは
1750
とし月をいかでわが身にをくりけん昨日の人もけふはなきよに
1751
うけがたき人のすがたにうかびいでゝこりずやたれも又しづむべ
き
1752
寂蓮法師
守覚法親王、五十首哥よませ侍けるに
そむきてもなをうき物はよなりけり身をはなれたる心ならねば
1753
述懐の心をよめる
身のうさをおもひしらずはいかゞせんいとひながらも猶すぐす哉
1754
前大僧正慈円
なにごとをおもふ人ぞと人とはゞこたへぬさきに袖ぞぬるべき
1755
いたづらにすぎにしことやなげかれんうけがたき身の夕暮のそら
1756
うちたえてよにふる身にはあらねどもあらぬすぢにもつみぞかな
しき
1757
和哥所にて、述懐のこゝろを
山ざとに契しいほやあれぬらんまたれんとだにおもはざりしを
1758
右衛門督通具
袖にをく露をばつゆとしのべどもなれゆく月やいろをしるらん
1759
定家朝臣
君がよにあはずはなにを玉のをのながくとまではおしまれじ身を
\
1760
家隆朝臣
おほかたの秋のねざめのながき夜も君をぞいのる身をおもふとて
1761
わかのうらやおきつしほあひにうかびいづるあはれわが身のよる
べしらせよ
1762
その山とちぎらぬ月も秋風もすゝむる袖につゆこぼれつゝ
1763
雅経朝臣
君がよにあへるばかりの道はあれど身をばたのまずゆくすゑの空
1764
皇太后宮大夫俊成女
おしむともなみだに月も心からなれぬる袖に秋をうらみて
1765
摂政太政大臣
千五百番哥合に
うきしづみこんよはさてもいかにぞと心にとひてこたへかねぬる
1766
題しらず
われながら心のはてをしらぬかなすてられぬよの又いとはしき\
1767
をしかへし物をおもふはくるしきにしらずがほにてよをやすぎま
し
1768
守覚法親王
五十首哥よみ侍けるに、述懐の心を
ながらへてよにすむかひはなけれどもうきにかへたる命なりけり
\
1769
権中納言兼宗
世をすつる心はなをぞなかりけるうきをうしとはおもひしれども
\
1770
左近中将公衡
述懐の心をよみ侍ける
すてやらぬわが身ぞつらきさりともとおもふ心にみちをまかせて
1771
よみ人しらず
題しらず
うきながらあればあるよにふるさとの夢をうつゝにさましかねて
も
1772
源師光
うきながら猶おしまるゝいのちかな後のよとてもたのみなければ
1773
賀茂重保
さりともとたのむ心のゆくすゑもおもへばしらぬよにまかすらん
\
1774
荒木田長延
つくづくとおもへばやすきよの中を心となげくわが身なりけり\
1775
刑部卿頼輔
入道前関白家百首哥よませ侍けるに
河舟のゝぼりわづらふつなでなわくるしくてのみよをわたる哉
1776
大僧都覚弁
題しらず
おいらくの月日はいとゞはやせがはかへらぬなみにぬるゝ袖かな
\
1777
藤原行能
よみて侍ける百首哥を、源家長がもとに見せにつかはしけるおく
に、かきつけて侍ける
かきながすことの葉をだにしづむなよ身こそかくても山河の水
1778
鴨長明
身のゝぞみかなひ侍らで、やしろのまじらひもせでこもりゐて侍
けるに、あふひを見てよめる
見ればまづいとゞ涙ぞもろかづらいかに契てかけはなれけん
1779
源季景
題しらず
おなじくはあれないにしへおもひいでのなければとてもしのばず
もなし
1780
西行法師
いづくにもすまれずはたゞすまであらんしばのいほりのしばしな
るよに
1781
月のゆく山に心をゝくりいれてやみなるあとの身をいかにせん
1782
前大僧正慈円
五十首哥の中に
おもふことなどゝふ人のなかるらんあふげばそらに月ぞさやけき
1783
いかにしていまゝでよには在曙のつきせぬ物をいとふ心は
1784
西行法師、山ざとよりまかりいでゝ、むかし出家し侍しその月日
にあたりて侍ると申たりける返事に
うきよいでし月日のかげのめぐりきてかはらぬ道を又てらすらん
1785
承仁法親王
前僧都全真西国のかたに侍ける時、つかはしける
人しれずそなたをしのぶ心をばかたぶく月にたぐへてぞやる
1786
前右大将頼朝
前大僧正慈円、ふみにてはおもふほどのことも申つくしがたきよ
し、申つかはして侍ける返事に
みちのくのいはでしのぶはえぞしらぬかきつくしてよつぼのいし
ぶみ
1787
大江嘉言
世中のつねなきころ
けふまでは人をなげきてくれにけりいつ身のうへにならんとすら
ん\
1788
清慎公
題しらず
みちしばのつゆにあらそふわが身かないづれかまづはきえんとす
らん
1789
皇嘉門院
なにとかやかべにおふなる草のなよそれにもたぐふわが身なりけ
り
1790
権中納言資実
こしかたをさながら夢になしつればさむるうつゝのなきぞかなし
き\
1791
性空上人
松の木のやけゝるを見て
ちとせふる松だにくつるよの中にけふともしらでたてるわれかな
1792
後頼朝臣
題しらず
かずならでよにすみの江のみをつくしいつをまつともなき身なり
けり
1793
皇太后宮大夫俊成
うきながらひさしくぞよをすぎにける哀やかけしすみよしの松
1794
家隆朝臣
春日社哥合に、松風といふことを
かすが山たにのむもれ木くちぬとも君につげこせみねの松風
1795
宜秋門院丹後
なにとなくきけば涙ぞこぼれぬるこけのたもとにかよふ松風
1796
女御徽子女王
さうしにあしでながうたなどかきて、おくに
みな人のそむきはてぬるよのなかにふるのやしろの身をいかにせ
ん
1797
実方朝臣
臨時祭の舞人にてもろともに侍けるを、ともに四位してのち、祭
の日つかはしける
衣での山井の水にかげみえし猶そのかみの春ぞこひしき
1798
道信朝臣
題しらず
いにしへの山井の衣なかりせばわすらるゝ身となりやしなまし
1799
賀茂左衛門
後冷泉院御時大嘗会に、ひかげのくみをして、実基朝臣のもとに
つかはすとて、先帝御時おもひいでゝ、そへていひつかはしける
たちながらきてだに見せよをみ衣あかぬむかしの忘がたみに
1800
天暦御哥
秋夜きりぎりすをきくといふ題をよめと、人びとにおほせられて、
おほとのごもりにけるあしたに、そのうたを御覧じて
秋の夜のあか月がたのきりぎりすひとづてならできかまし物を
1801
中務卿具平親王
秋雨を
ながめつゝわがおもふことはひぐらしにのきのしづくのたゆるよ
もなし
1992
能宣朝臣
題しらず
[被出之]
みづくきのあとにのこれる玉の声いとゞもさむき秋の風哉
1802
小野小町
こがらしの風にもみぢて人しれずうきことの葉のつもる比かな
1803
皇太后宮大夫俊成
述懐百首哥よみける時、紅葉を
嵐ふくみねのもみぢの日にそへてもろくなりゆくわが涙哉
1804
崇徳院御哥
題しらず
うたゝねはおぎふく風におどろけどながき夢ぢぞさむる時なき
1805
宮内卿
竹の葉に風ふきよはるゆふぐれのものゝ哀は秋としもなし\
1806
和泉式部
ゆふぐれは雲のけしきをみるからにながめじとおもふ心こそつけ
1807
くれぬめりいくかをかくてすぎぬらん入あひのかねのつくづくと
して
1808
西行法師
またれつる入あひのかねのをとすなりあすもやあらばきかんとす
らん
1809
皇太后宮大夫俊成
暁の心をよめる
あか月とつげの枕をそばだてゝきくもかなしき鐘のをと哉
1810
式子内親王
百首哥に
あか月のゆふつけどりぞ哀なるながきねぶりをおもふ枕に
1811
和泉式部
あまにならんとおもひたちけるを、人のとゞめ侍ければ
かくばかりうきをしのびてながらへばこれよりまさる物もこそお
もへ
1812
題しらず
たらちねのいさめし物をつれづれとながむるをだにとふ人もなし
1813
大僧正行尊
くまのへまいりておほみねへいらんとて、としごろやしなひた
てゝ侍りけるめのとのもとにつかはしける
あはれとてはぐゝみたてしいにしへはよをそむけともおもはざり
けん
1814
土御門内大臣
百首哥たてまつりし時
くらゐ山あとをたづねてのぼれどもこをおもふみちに猶まよひぬ
る
1815
皇太后宮大夫俊成
百首哥よみ侍けるに、懐旧哥
むかしだにむかしとおもひしたらちねのなをこひしきぞはかなか
りける\
1816
俊頼朝臣
述懐百首哥よみ侍けるに
さゝがにのいとかゝりける身のほどをおもへば夢の心ちこそすれ
1817
僧正遍昭
ゆふぐれにくものいとはかなげにすかくを、つねよりもあはれと
見て
さゝがにのそらにすかくもおなじことまたきやどにもいくよかは
へん
1819
西宮前左大臣
題しらず
ひかりまつえだにかゝれるつゆのいのちきえはてねとやはるのつ
れなき
1820
赤染衛門
野わきしたるあしたに、おさなき人をだにとはざりける人に
あらくふく風はいかにと宮木のゝこはぎがうへを人のとへかし\
1821
和泉式部、みちさだにわすられてのち、ほどなく敦道親王かよふ
ときゝて、つかはしける
うつろはでしばしゝのだのもりをみよかへりもぞするくずのうら
風
1822
和泉式部
返し
秋風はすごくふけどもくずの葉のうらみがほには見えじとぞおも
ふ
1823
皇太后宮大夫俊成
やまひかぎりにおぼえ侍ける時、定家朝臣、中将転任のこと申と
て、民部卿範光もとにつかはしける
をざゝはら風まつ露のきえやらずこのひとふしをおもひをくかな
1824
前大僧正慈円
題しらず
世中をいまはの心つくからにすぎにしかたぞいとゞこひしき
1825
よをいとふ心のふかくなるまゝにすぐる月日をうちかぞへつゝ
1826
ひとかたにおもひとりにし心にはなをそむかるゝ身をいかにせん
1826
なにゆへにこのよをふかくいとふぞと人のとへかしやすくこたへ
ん\
1827
おもふべきわが後のよはあるかなきかなければこそはこのよには
すめ
1828
西行法師
世をいとふ名をだにもさはとゞめをきてかずならぬ身のおもひい
でにせん
1829
身のうさをおもひしらでやゝみなましそむくならひのなきよなり
せば
1830
いかゞすべきよにあらばやはよをもすてゝあなうのよやとさらに
おもはん\
1831
なに事にとまる心のありければさらにしも又よのいとはしき\
1832
入道前関白太政大臣
むかしよりはなれがたきはうきよかなかたみにしのぶ中ならねど
も
1833
大僧正行尊
なげく事侍けるころ、おほみねにこもるとて、同行どもゝかたへ
は京へかへりねなど申てよみ侍ける
おもひいでゝもしもたづぬる人もあらばありとないひそさだめな
きよに
1834
題しらず
かずならぬ身をなにゆへにうらみけんとてもかくてもすぐしける
よを
1835
前大僧正慈円
百首哥たてまつりしに
いつかわれみ山のさとのさびしきにあるじとなりて人にとはれん
1836
俊頼朝臣
題しらず
うき身には山田のをしねをしこめてよをひたすらにうらみわびぬ
る
1837
山田法師
としごろ修行の心ありけるを、すてがたき事侍りてすぎけるに、
おやなどなくなりて、心やすくおもひたちけるころ、障子にかきつけ侍ける
しづのをのあさなあさなにこりつむるしばしのほどもありがたの
よや
1838
寂蓮法師
題しらず
かずならぬ身はなき物になしはてつたがためにかはよをもうらみ
ん
1839
法橋行遍
たのみありて今ゆくすゑをまつ人やすぐる月日をなげかざるらん
\
1840
源師光
守覚法親王、五十首哥よませ侍けるに
ながらへていけるをいかにもどかましうき身のほどをよそにおも
はゞ\
1841
八条院高倉
題しらず
うきよをばいづる日ごとにいとへどもいつかは月のいるかたを見
ん
1842
西行法師
なさけありしむかしのみ猶しのばれてながらへまうき世にもふる
かな
1843
清輔朝臣
ながらへば又このごろやしのばれんうしと見しよぞ今はこひしき
1844
西行法師
寂蓮、人々すゝめて百首哥よませ侍けるに、いなび侍て熊野にま
うでける道にて、ゆめに、なにごともおとろへゆけど、このみちこそよのすゑにかは
らぬものはあれ、なをこのうたよむべきよし、別当湛快、三位俊成に申と見侍て、お
どろきながらこの哥をいそぎよみいだしてつかはしけるおくにかきつけ侍ける
すゑのよもこのなさけのみかはらずと見し夢なくはよそにきかま
し
1845
皇太后宮大夫俊成
千載集えらび侍ける時、ふるき人ゝのうたを見て
ゆくすゑはわれをもしのぶ人やあらんむかしをおもふ心ならひに
1993
西行法師
題しらず
[被出之]
ねがはくは花のしたにて春しなんそのきさらぎのもち月の比
1846
皇太后宮大夫俊成
崇徳院に百首哥たてまつりける、無常哥
世中をおもひつらねてながむればむなしきそらにきゆる白雲
1847
式子内親王
百首哥に
くるゝまもまつべきよかはあだしのゝすゑばのつゆに嵐たつ也
1848
華山院御哥
つのくにゝおはして、みぎはのあしを見たまひて
つのくにのながらふべくもあらぬかなみじかきあしのよにこそ有
けれ
1849
中務卿具平親王
題しらず
風はやみおぎの葉ごとにをくつゆのをくれさきだつほどのはかな
さ
1850
蝉丸
秋風になびくあさぢのすゑごとにをく白露のあはれ世中
1851
よの中はとてもかくてもおなじことみやもわらやもはてしなけれ
ば