東關紀行 (Tokan kiko) | ||
一二 車返より湯本
伊豆の國府にいたりぬれば、三島の社のみしめ、うち拜み奉るに、松の嵐、木ぐらく音づれて、庭の氣色も神さびわたれり。この社は、伊豫の國、三島大明神をうつし奉ると聞くにも、能因入道、伊豫守實綱が命によりて歌よみて奉りけるに、炎旱の天より雨にはかに降りて、枯れたる稻葉もたちまちに緑にかへりけるあら人神の御なごりなれば、ゆふだすき、かけまくもかしこくおぼゆ。
せきかけし苗代水の流れきて
またあまくだる神ぞこの神
またあまくだる神ぞこの神
かぎりある道なれば、このみぎりをも立ち出でて、なほ行きすぐるほどに、箱根の山にもつきにけり。岩がね高くかさなりて、駒もなづむばかりなり。山の中にいたりて、みづうみ廣くたたへり。箱根の湖となづく、また蘆の海といふもあり。權現垂跡のもとゐ、けだかく尊し。朱樓紫殿の雲にかさなれるよそほひ、唐家の驪山宮かとおどろかれ、巖室石龕の波に臨めるかげ、錢塘の心水寺ともいひつべし。うれしき便なれば、うき身の行くへ、しるべせさせ給へなど祈りて、法施たてまつるついでに、
今よりは思ひ亂れじ蘆のうみの
ふかきめぐみを神にまかせて
ふかきめぐみを神にまかせて
この山も越えおりて、湯本といふ所に泊りたれば、みやまおろし烈しくうちしぐれて、谷川みなぎりまさり、岩瀬の波たかくむせぶ。暢師房の夜のききにもすぎたり。かの源氏物語の歌に、「涙もよほす瀧の音かな」といへる、思ひよられてあはれなり。
それならぬたのみはなきを故郷の
ゆめぢゆるさぬ瀧のおとかな
ゆめぢゆるさぬ瀧のおとかな
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