University of Virginia Library

九 今の浦より前島

 ことのままと聞ゆる社おはします。その御前をすぐとて、いささか思ひつづけられし。

ゆふだすきかけてぞたのむ今思ふ
ことのままなる神のしるしを

 小夜の中山は、古今集の歌に、「よこほりふせる」とよまれたれば、名高き名所なりとは聞きおきたれども、見るにいよいよ心ぼそし。北は深山にて、松杉、嵐はげしく、南は野山にて、秋の花、露しげし。谷より嶺にうつる道、雲にわけ入る心ちして、鹿のね、涙をもよほし、蟲のうらみ、あはれ深し。

踏み通ふ峯のかけはしとだえして
雲にあととふ小夜の中山

 この山をも越えつつ、なほ過ぎ行くほどに、菊川といふ所あり。いにし承久三年の秋のころ、中御門中納言宗行ときこえし人の、罪ありて東へ下られけるに、この宿に泊りけるが、「昔は南陽縣の菊水、下流を汲みて齡をのぶ、今は東海道の菊川、西岸に宿して命を失ふ」と、ある家の柱に書かれたりけりと聞きおきたれば、いとあはれにて、その家をたづぬるに、火の爲に燒けて、かの言の葉も殘らずと申す者あり。今は限とて殘しおきけむかたみさへ、跡なくなりにけるこそ、はかなき世の習ひ、いとどあはれに悲しけれ。

書きつくるかたみも今はなかりけり
跡はちとせと誰かいひけむ

 菊川を渡りて、いくほどもなく一むらの里あり。こはまとぞいふなる。この里の東のはてに、少しうちのぼるやうなる奧より大井川を見わたしたれば、はるばると廣き河原の中に、一すぢならず流れわかれたる川瀬ども、とかく入りちがひたる樣にて、すながしといふ物をしたるに似たり。なかなか渡りて見むよりも、よそめ面白く、おぼゆれば、かの紅葉みだれて流れけむ龍田川ならねども、しばしやすらはる。

日かずふる旅のあはれは大井川
わたらぬ水も深き色かな