University of Virginia Library

四 柏原より株瀬川

 柏原といふ所をたちて、美濃の國、關山にもかかりぬ。谷川、霧の底に音づれ、山風、松の梢にしぐれわたりて、日影も見えぬ木の下道、あはれに心ぼそし。越えはてぬれば不破の關屋なり。菅屋の板庇、年へにけりと見ゆるにも、後京極攝政殿の、「荒れにしのちはただ秋の風」と詠ませ給へる歌、思ひいでられて、このうへは風情もめぐらしがたければ、いやしき言の葉をのこさんも、なかなかにおぼえて、ここをば空しくうちすぎぬ。

 株瀬川といふ所に泊りて、夜ふくるほどに川端にたち出でて見れば、秋のもなかの晴天、清き川瀬にうつろひて、照る月なみも數みゆばかり澄みわたれり。二千里の外の故人の心、遠く思ひやられて、旅の思ひ、いとどおさへがたくおぼゆれば、月の影に筆をそめつつ「花洛を出でて三日、株瀬川に宿して一宵、しばしば幽吟を中秋三五夜の月にいたましめ、かつがつ遠情を先途一千里の雲におくる」など、ある家の障子に書きつくるついでに、

知らざりき秋のなかばの今宵しも
かかる旅寢の月を見んとは