University of Virginia Library

七 赤坂より橋本

 本野が原に打出でたれば、よもの望みかすかにして、山なく岡なし。秦甸の一千餘里を見わたしたらんここちして、草土ともに蒼茫たり。月の夜の望み、いかならんとゆかしくおぼゆ。茂れる笹原の中に、あまた踏み分けたる道ありて、行くすゑも迷ひぬべきに、故武藏の前司、道のたよりの輩に仰せて植ゑおかれたる柳も、いまだ陰と頼むまではなけれども、かつがつ、まづ道のしるべとなれるもあはれなり。もろこしの召公せきは周の武王の弟なり、成王の三公として、燕といふ國をつかさどりき。陜の西のかたを治めし時、一つの甘棠のもとをしめて政を行ふ時、つかさ人より初めて、もろもろの民にいたるまで、そのもとを失はず、あまねく又、人の患へをことわり、重き罪をもなだめけり。國民こぞりてその徳政をしのぶ故に、召公去りしあとまでも、かの木を敬ひて敢へてきらず、歌をなん作りけり。後三條天皇、東宮にておはしましけるに、學士實政、任國に赴く時、「州の民はたとひ甘棠の詠をなすとも、忘るることなかれ、多くの年の風月の遊び」といふ御製を賜はせたりけるも、この心にやありけん、いみじくかたじけなし。かの前の司も、この召公の跡を追ひて、人をはぐくみ、物を憐むあまり、道のほとりの往還の蔭までも、思ひよりて植ゑおかれたる柳なれば、これを見むともがら、みなかの召公を忍びけん國の民の如くに惜みそだてて、行くすゑの蔭と頼まむこと、その本意は定めてたがはじとこそおぼゆれ。

植ゑおきしぬしなきあとの柳原
なほそのかげを人やたのまん

 豐川といふ宿の前を打過ぐるに、ある者のいふを聞けば、この道をば昔よりよくるかたなかりしほどに、近頃より俄かに渡津の今道といふかたに、旅人おほくかかる間、今はその宿は、人の家居をさへ外にのみ移すなどぞいふなる。古きをすてて新しきにつく習ひ、定まれることといひながら、いかなる故ならんとおぼつかなし。昔より住みつきたる里人の、今さら居うかれんこそ、かの伏見の里ならねども、荒れまく惜しくおぼゆれ。

おぼつかないさとよ川の變る瀬を
いかなる人の渡りそめけん

 三河、遠江のさかひに、高師の山ときこゆるあり。山中に越えかかるほどに、谷川の流れおちて、岩瀬の波ことごとしく聞ゆ。境川とぞいふ。

岩づたひ駒うち渡す谷川の
音もたかしの山に來にけり

 橋本といふ所に行きつきぬれば、聞きわたりしかひありて、景色いと心すごし。南には潮海あり、漁舟、波に浮ぶ、北には湖水あり、人家、岸につらなれり。その間に洲崎遠くさしいで、松きびしく生ひつづき、嵐しきりにむせぶ。松のひびき、波の音、いづれも聞きわきがたし。行く人、心をいたましめ、とまるたぐひ、夢をさまさずといふことなし。みづうみに渡せる橋を濱名となづく。古き名所なり。朝たつ雲のなごり、いづくよりも心ぼそし。

行きとまる旅寢はいつも變らねど
わきて濱名の橋ぞすぎうき

 さてもこの宿に一夜とまりたりしやどあり。軒ふりたるわらやの、ところどころまばらなるひまより、月のかげくもりなくさし入りたる折しも、君どもあまた見えし中に、少しおとなびたるけはひにて、「夜もすがら床のもとに青天を見る」と忍びやかに打詠じたりしこそ、心にくくおぼえしか。

ことのはの深きなさけは軒端もる
月の桂の色に見えにき