東關紀行 (Tokan kiko) | ||
一一 興津より車返
こよひは、さらに、まどろむ間だになかりつる草の枕のまろぶしなれば、寢ざめともなき曉の空に出でぬ。くきが崎といふなる荒磯の、岩のはざまを行きすぐるほどに、沖津風はげしきに、うちよする波もひまなければ、急ぐ潮干の傳ひ道、かひなきここちして、ほす間もなき袖のしづくまでは、かけても思はざりし旅の空ぞかしなど、うちながめられつつ、いと心ぼそし。
浪わけごろもぬれぬれぞ行く
蒲原といふ宿の前をうち通るほどに、おくれたる者まちつけんとて、ある家に立入りたるに、障子に物をかきたるを見れば、「旅衣すそのの庵のさむしろに積るもしるき富士の白雪」といふ歌なり。心ありける旅人のしわざにやあるらん、昔、香爐峯の麓に庵をしむる隱士あり、冬の朝、簾をあげて峯の雪を望みけり。今、富士の山のあたりに宿をかる行客あり、さゆる夜、衣をかたしきて山の雪を思へる、かれもこれも、ともに心すみておぼゆ。
たかねの雪をおもひやりけん
田子の浦にうち出でて、富士のたかねを見れば、時わかぬ雪なれども、なべていまだ白妙にはあらず、青うして天によれるすがた、繪の山よりもこよなう見ゆ。貞觀十七年の冬のころ、白衣の美女二人ありて、山の頂に並び舞ふと、都良香が富士の山の記に書きたり。いかなる故にかとおぼつかなし。
天つをとめの袖かとぞ見る
浮島が原は、いづくよりもまさりて見ゆ。北は富士の麓にて、西東へはるばると長き沼あり。布をひけるが如し。山のみどり影をひたして、空も水も一つなり。蘆刈り小舟、所々に棹さして、むれたる鳥、多くさわぎたり。南は海のおもて遠く見わたされて、雲の波、煙の波、いと深きながめなり。すべて孤島の目にさへぎるなし。わづかに遠帆の空につらなれるを望む。こなたかなたの眺望、いづれもとりどりに心ぼそし。原には鹽屋の煙たえだえ立ちわたりて、浦風、松の梢にむせぶ。この原、昔は海の上に浮びて、蓬莱の三つの島の如くにありけるによりて、浮島となん名づけたりと聞くにも、おのづから神仙のすみかにもやあるらん、いとどおくゆかしく見ゆ。
けむりも雲も浮島がはら
やがてこの原につぎて千本の松原といふ所あり。海のなぎさ遠からず、松はるかに生ひわたりて、みどりのかげ、きはもなし。沖には舟ども行きちがひて、木の葉の浮けるやうに見ゆ。かの、「千株の松下、雙峯の寺、一葉の舟中、萬里の身」と作れるに、かれもこれもはづれず、眺望いづくにもまさりたり。
みどりにつづく波の上かな
車返しといふ里あり。ある家にやどりたれば、網、釣などいとなむ賤しき者のすみかにや、夜のやどり、ありかことにして、床のさむしろもかけるばかりなり。かの縛戒人の夜半の旅寢も、かくやありけむとおぼゆ。
いとふありかや袖にのこらん
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