東關紀行 (Tokan kiko) | ||
六 熱田より赤坂
この宮を立出でて濱路におもむくほど、有明の月影ふけて、友なし千鳥ときどき音づれわたれる、旅の空のうれへ、すずろに催して、あはれ、かたがた深し。
ふるさとは日をへて遠く鳴海潟
いそぐ汐干の道ぞくるしき
いそぐ汐干の道ぞくるしき
やがて夜のうちに二村山にかかりて、山中などを越えすぐるほどに、ひんがしやうやう白みて、海の面はるかに現はれわたれり。波も空も一つにて、山路につづきたるやうに見ゆ。
玉くしげ二村山のほのぼのと
明けゆく末は波路なりけり
明けゆく末は波路なりけり
行き行きて三河の國八橋のわたりを見れば、在原の業平、かきつばたの歌よみたりけるに、みな人、かれいひの上に涙おとしける所よと思ひ出でられて、そのあたりを見れども、かの草とおぼしき物はなくて、稻のみぞ多く見ゆる。
花ゆゑに落ちし涙のかたみとや
稻葉のつゆをのこしおくらん
稻葉のつゆをのこしおくらん
源の義種が、この國の守にて下りける時、とまりける女のもとにつかはしける歌に、「もろともに行かぬ三河のやつはしを戀しとのみや思ひわたらん」と詠めりけるこそ、思ひいでられてあはれなれ。
矢矧といふ所をいでて、宮路山こえすぐるほどに、赤坂といふ宿あり。ここにありける女ゆゑに、大江定基が家を出でけるも、あはれに思ひいでられて過ぎがたし。人の發心する道、その縁一つにあらねども、あかぬ別れを惜みし迷ひの心をしもしるべとし、誠の道に赴きけん、ありがたくおぼゆ。
別れ路にしげりもはてで葛の葉の
いかでかあらぬかたにかへりし
いかでかあらぬかたにかへりし
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