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14. 第十四

 「(可鹽梅に今日は水がふえて居りますから、中へ入りませんでも此上で可うございます。)

と甲を浸して爪先を屈めながら、雪のやうな素足で石の盤の上に立つて居た。

 自分達が立つた側は、却つて此方の山の裾が水に迫つて、丁度切穴の形になつて、其處へ此の石を篏めたやうな誂。川上も、下流も見えぬが、向ふの彼の岩山、九十折のやうな形、流は五尺、三尺、一間ばかりづつ上流の方が段々遠く、飛々に岩をかゞつたやうに隱見して、いづれも月光を浴びた、銀の鎧の姿、目のあたり近いのはゆるぎ糸を捌くが如く眞白に飜つた。

(結構な流れでございますな。)

(はい、此の水は源が瀧でございます、此山を旅するお方は皆な大風のやうな音を何處かで聞きます、貴僧は此方へ被入つしやる道でお心着きはなさいませんかい。)

 然ればこそ山蛭の大藪は入らうといふ少し前から其の音を。

(彼は林へ風の當るのではございませんので?)

(否、誰でも然う申します、那の森から三里ばかり傍道へ入りました處に大瀧があるのでございます、其は/\日本一ださうですが、路が嶮しうござんすので、十人に一人參つたものはございません。其の瀧が荒れましたと申しまして、丁度今から十三年前、可恐しい洪水がございました、恁麼高い處まで川の底になりましてね、麓の村も山の家も不殘流れて了ひました。此の上の洞も、はじめは二十軒ばかりあつたのでござんす、此の流れも其時から出來ました、御覽なさいましな、此通り皆な石が流れたのでございますよ。)

 婦人は何時かもう米を精げ果てゝ、衣紋の亂れた、乳の端もほの見ゆる、膨らかな胸を反らして立つた。鼻高く口を結んで目を恍惚と上を向いて頂を仰いだが、月なほ半腹の其の累々たる巖を照らすばかり。

(今でも恁うやつて見ますと恐いやうでございます。)と屈んで二の腕の處を洗つて居ると、

(あれ、貴僧、那樣行儀の可いことをして被在しつてはお召が濡れます、氣味が惡うございますよ、すつぱり裸體になつてお洗ひなさいまし、私が流して上げませう。)

(否、)

(否ぢやあござんせぬ、それ、それ、お法衣の袖が浸るではありませんか、)といふと突然背後から帶に手をかけて、身悶をして縮むのを、邪慳らしくすつぱり脱いで取つた。

 私は師匠が嚴しかつたし、經を讀む身體ぢや、肌さへ脱いだことはつひぞ覺えぬ。然も婦人の前、蝸牛が城を明け渡したやうで、口を利くさへ、況して手足のあがきも出來ず、背中を丸くして、膝を合はせて、縮かまると、婦人は脱がした法衣を傍らの枝へふはりとかけた。

(お召は恁うやつて置きませう、さあお背を、あれさ、じつとして。お孃樣と仰有つて下さいましたお禮に、叔母さんが世話を燒くのでござんす、お人の惡い。)といつて片袖を前齒で引上げ、玉のやうな二の腕をあからさまに背中に乘せたが、熟と見て、

(まあ。)

(何うかいたしてをりますか。)

(痣のやうになつて、一面に。)

(えゝ、それでございます、酷い目に逢ひました。)

 思ひ出しても慄然とするて。」