第十六 高野聖 (Koyahijiri) | ||
16. 第十六
「なるほど見た處、衣服を着た時の姿とは違うて肉つきの豐な、ふつくりとした膚。
(前刻小屋へ入つて世話をしましたので、ぬら/\した馬の鼻息が體中へかゝつて氣味が惡うござんす。丁度可うございますから私も體を拭きませう。)
と姉弟が内端話をするやうな調子。手をあげて黒髮をおさへながら腋の下を手拭でぐいと拭き、あとを兩手で絞りながら立つた姿、唯これ雪のやうなのを恁る靈水で清めた、恁う云ふ女の汗は薄紅になつて流れやう。
一寸々々と櫛を入れて、
(まあ、女がこんなお轉婆をいたしまして、川へ落こちたら何うしませう、川下へ流れて出ましたら、村里の者が何といつて見ませうね。)
(白桃の花だと思ひます。)と弗と心着いて何の氣もなしにいふと、顏が合うた。
すると、然も嬉しさうに莞爾して其時だけは初々しう年紀も七ツ八ツ若やぐばかり、處女の羞を含んで下を向いた。
私は其まゝ目を外らしたが、其の一段の婦人の姿が月を浴びて、薄い煙に包まれながら向ふ岸のしぶきに濡れて黒い、滑かな大きな石へ蒼味を帶びて透通つて映るやうに見えた。
するとね、夜目で判然とは目に入らなんだが地體何でも洞穴があると見える。ひら/\と、此方からもひら/\と、ものの鳥ほどはあらうといふ大蝙蝠が目を遮つた。
(あれ、不可いよ、お客樣があるぢやないかね。)
不意を打たれたやうに叫んで身悶えをしたのは婦人。
(何うかなさいましたか。)最うちやんと法衣を着たから氣丈夫に尋ねる。
(否、)
といつたばかりで極が惡さうに、くるりと後向になつた。
其時小犬ほどな鼠色の小坊主が、ちよこ/\とやつて來て、婀呀と思ふと、崖から横に宙をひよいと、背後から婦人の背中へぴつたり。
裸體の立姿は腰から消えたやうになつて、抱きついたものがある。
(畜生、お客樣が見えないかい。)
と聲に怒を帶びたが、
(お前達は生意氣だよ。)と激しくいひさま、腋の下から覗かうとした件の動物の天窓を振返りさまにくらはしたで。
キツゝゝといふて奇聲を放つた、件の小坊主は其まゝ後飛びに又宙を飛んで、今まで法衣をかけて置いた、枝の尖へ長い手で釣し下つたと思ふと、くるりと釣瓶覆に上へ乘つて、其なりさらさらと木登をしたのは、何と猿ぢやあるまいか。
枝から枝を傳ふと見えて、見上げるやうに高い木の、軈て梢まで、かさ/\がさり。
まばらに葉の中を透かして月は山の端を放れた、其の梢のあたり。
婦人はものに拗ねたやう、今の惡戯、いや、毎々、蟇と蝙蝠と、お猿で三度ぢや。
其の惡戯に多く機嫌を損ねた形、あまり子供がはしやぎ過ぎると、若い母樣には得てある圖ぢや。
本當に怒り出す。
といつた風情で面倒臭さうに衣服を着て居たから、私は何も問はずに小さくなつて默つて控へた。」
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