第六 高野聖 (Koyahijiri) | ||
6. 第六
「さて、聞かつしやい、私はそれから檜の裏を拔けた、岩の下から岩の上へ出た、樹の中を潜つて草深い徑を何處までも、何處までも。
すると何時の間にか今上つた山は過ぎて又一ツ山が近づいて來た、此邊暫くの間は野が廣々として、前刻通つた本街道より最つと巾の廣い、なだらかな一筋道。
心持西と、東と、眞中に山を一ツ置いて二條並んだ路のやうな、いかさまこれならば槍を立てても行列が通つたであらう。
此の廣ツ場でも目の及ぶ限り芥子粒ほどの大さの賣藥の姿も見ないで、時々燒けるやうな空を小さな蟲が飛び歩行いた。
歩行くには此の方が心細い、あたりがぱツとして居ると便がないよ。勿論飛騨越と銘を打つた日には、七里に一軒十里に五軒といふ相場、其處で粟の飯にありつけば都合も上の方といふことになつて居ります。其を覺悟のことで、足は相應に達者、いや屈せずに進んだ進んだ。すると、段々又山が兩方から逼つて來て、肩に支へさうな狹いことになつた、直ぐに上。
さあ、之からが名代の天生峠と心得たから、此方も其氣になつて、何しろ暑いので、喘ぎながら先づ草鞋の紐を締直した。
丁度此の上口の邊に美濃の蓮大寺の本堂の床下まで吹拔けの風穴があるといふことを年經つてから聞きましたが、なか/\其處どころの沙汰ではない、一生懸命、景色も奇蹟もあるものかい、お天氣さへ晴れたか曇つたか譯が解らず、目じろぎもしないですた/\と捏ねて上る。
とお前樣お聞かせ申す話は、これからぢやが、最初に申す通り路がいかにも惡い、宛然人が通ひさうでない上に、恐しいのは、蛇で。兩方の叢に尾と頭とを突込んで、のたりと橋を渡してゐるではあるまいか。
私は眞先に出會した時は笠を被つて竹杖を突いたまゝ、はツと息を引いて膝を折つて坐つたて。
いやもう生得大嫌、嫌といふより恐怖いのでな。
其時は先づ人助けにずる/\と尾を引いて、向うで鎌首を上げたと思ふと草をさら/\と渡つた。
漸う起上つて道の五六町も行くと、又同一やうに胴中を乾かして尾も首も見えぬのが、ぬたり!
あツといふて飛退いたが、其も隱れた。三度目に出會つたのが、いや急には動かず、然も胴體の太さ、譬ひ這出した處でぬら/\と遣られては凡そ五分間位尾を出すまでに間があらうと思ふ長蟲と見えたので、已むことを得ず私は跨ぎ越した、途端に下腹が突張つてぞツと身の毛、毛穴が不殘鱗に變つて、顏の色も其の蛇のやうになつたらうと目を塞いだ位。
絞るやうな冷汗になる氣味の惡さ、足が窘んだといふて立つて居られる數ではないからびくびくしながら路を急ぐと又しても居たよ。
然も今度のは半分に引切つてある胴から尾ばかりの蟲ぢや、切口が蒼を帶びて其で恁う黄色な汁が流れてびく/\と動いたわ。
我を忘れてばら/\とあとへ遁歸つたが、氣が着けば例のが未だ居るであらう、譬ひ殺されるまでも二度とは彼を跨ぐ氣はせぬ。あゝ前刻のお百姓がものゝ間違でも故道には蛇が恁うといつてくれたら、地獄へ落ちても來なかつたに、と照りつけられて、涙が流れた、南無阿彌陀佛、今でも慄然とする。」と額に手を。
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