〔かどで〕 (Sarashina Nikki) | ||
〔大納言殿の姫君〕
花のさきちるおりごとに、めのとなくなりしおりぞかしとのみあはれなるに、おなじ おりなくなり給し侍従大納言の御むすめの手を見つゝ、すゞろにあはれなるに、
夜ふくるまで、物がたりをよみておきゐたれば、 きつらむ方も見えぬに、ねこのいとなごうないたるを、おどろきて見れば、いみじう おかしげなるねこあり。いづくよりきつるねこぞと見るに、あねなる人、「あなかま、 人にきかすな。いとおかしげなるねこなり。かはむ」とあるに、いみじうひとなれ つゝ、かたはらにうちふしたり。たづぬる人やあると、これをかくしてかふに、すべ て下すのあたりにもよらず、つとまへにのみありて、物もきたなげなるは、ほかざま にかほをむけてくはず。あねおとゝの中につとまとはれて、おかしがりらうたがるほ どに、あねのなやむことあるに、ものさはがしくて、このねこをきたおもてにのみあ らせてよばねば、かしがましくなきのゝしれども、なをさるにてこそはと思てあるに、わづらふあねおどろきて、「いづら、ねこは。こち 」とあるを、「など」ととへば、「夢にこのねこの かたはらにきて、「をのれは、の大納言殿の御むす めのかくなりたるなり。さるべきえんのいさゝかありて、この中のきみのすゞろにあ はれと思いで給へば、たゞしばしこゝにあるを、このごろ下すのなかにありて、いみ じうわびしきこと」といひて、いみじうなくさまは、あてにおかしげなるひとと見え て、うちおどろきたれば、このねこのこゑにてありつるが、いみじくあはれなる也」 とかたり給をきくに、いみじくあはれ也。そののちは、このねこを北をもてにもいだ さず、思かしづく。たゞひとりゐたる所に、このねこがむかひゐたれば、かいなで つゝ、「侍従大納言のひめぎみのおはするな。大納言殿にしらせたてまつらばや」と いひかくれば、かほをうちまもりつゝ、なごうなくも、心のなし、めのうちつけに、 れいのねこにはあらず、ききしりがほにあはれ也。世中に長恨歌といふふみを、物がたりにかきてある所あんなりときくに、いみじくゆ かしけれど、えいひよらぬに、さるべきたよりをたづねて、七月七日いひやる。
ちぎりけむ昔のけふのゆかしさにあまの河なみうちいでつるかな
返し、
たちいづるあまの河邊のゆかしさにつねはゆゝしきこともわすれぬ
その十三日の夜、月いみじくくまなくあかきに、みな人もねたる夜中許に、えんにい でゐて、あねなる人、そらをつくづくとながめて、「たゞいまゆくゑなくとびうせな ばいかゞ思べき」ととふに、なまおそろしとおもへるけしきを見て、こと事にいひな してわらひなどしてきけば、かたはらなる所に、さきをふくるまとまりて、「おぎの はおぎのは」とよばすれど、こたへざなり。よびわづらひて、ふえをいとおかしく ふきすまして、すぎぬなり。
ふえのねのたゞ秋風ときこゆるになどおぎのはのそよとこたへぬ
といひたれば、げにとて、
かやうにあくるまでながめあかいて、夜あけてぞみな人ねぬる。
四月の夜中ばかりに火のことあり て、大納言殿のひめぎみと思かしづきしねこもやけぬ。「大納言殿のひめぎみ」とよ びしかば、ききしりがほになきてあゆみきなどせしかば、ててなりし人も、「めづら かにあはれなる事也。大納言に申さむ」などありしほどに、いみじうあはれに、くち おしくおぼゆ。
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