University of Virginia Library

[富士川]

ふじ河といふはふじの山よりおちたる水也。そのくにの人のいでゝかたるやう、「ひ とゝせごろ物にまかりたりしに、いとあつかりしかば、この水のつらにやすみつゝ見 れば、河上の方よりきなる物ながれきて、物につきてとゞまりたるを見れば、ほぐな り。とりあげて見れば、きなるかみに、にして、こくうるわしくかゝれたり。あやし くて見れば、らいねんなるべきくにどもを、ぢもくのごとみなかきて、このくにらい ねんあくべきにも、かみなして、又そへて二人をなしたり。あやし、あさましと思て、 とりあげて、ほして、おさめたりしを、かへる年のつかさめしに、このふみにかゝれ たりし、ひとつたがはず、このくにのかみとありしまゝなるを、三月のうちになくな りて、又なりかはりたるも、このかたはらに

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かきつけたれたりし
人なり。かゝる事なむありし。らいねんのつかさめしなどは、ことしこの山に、 そこばくの神々あつまりて、ない給なりけりと見給へし。めづらかなる事にさぶらふ」 とかたる。

ぬまじりといふ所もすがすがとすぎて、いみじくわづらひいでゝ、とうたうみにかゝ る。さやのなか山などこえけむほどもおぼえず。いみじくくるしければ、天ちうとい ふ河のつらに、かりやつくりまうけたりければ、そこにて日ごろすぐるほどにぞ、や うやうをこたる。冬ふかくなりたれば、河風けはしくふきあげつゝ、たえがたくおぼ えけり。そのわたりしてはまなのはしについたり。はまなのはしくだりし時はくろ木 をわたしたりし、このたびは、あとだに見えねば、舟にてわたる。いり江にわたりし はし也。とのうみはいといみじくあしく浪たかくて、いり江のいたづらなるすどもに こと物もなく、松原のしげれるなかより、浪のよせかへるも、いろいろのたまのやう に見え、まことに松のすゑよりなみはこゆるやうに見えて、いみじくおもしろし。

それよりかみは、ゐのはなといふさかの、えもいはずわびしきをのぼりぬれば、みか はのくにのたかしのはまといふ。やつはしは名のみして、はしの方もなく、なにの見 所もなし。ふたむらの山の中にとまりたる夜、おほきなるかきの木のしたにいほをつ くりたれば、夜ひとよ、いほのうへにかきのおちかゝりたるを、人々ひろひなどす。 宮ぢの山といふ所こゆるほど、十月つごもりなるに、紅葉ちらでさかりなり。

あらしこそふきこざりけれみやぢ山まだもみぢばのちらでのこれ る

参河と尾張となるしかすがのわたり、げに思わづらひぬべくおかし。

おはりのくに、なるみのうらをすぐるに、ゆふしほたゞみちにみちて、こよひやどら むも、ちうげんにしほみちきなば、こゝをもすぎじと、あるかぎりはしりまどひすぎ ぬ。

みののくにゝなるさかひに、すのまたといふわたりしてのがみといふ所につきぬ。そ こにあそびどもいできて、夜ひとよ、うたうたふにも、あしがらなりし思いでられて、 あはれにこひしきことかぎりなし。雪ふりあれまどふに、もののけうもなくて、ふわ のせき、あつみの山などこえて、近江国、おきながといふ人の家にやどりて、四五日 あり。

みつさかの山のふもとに、よるひる、しぐれ、あられふりみだれて、日のひかりもさ やかならず、いみじう物むつかし。そこをたちて、いぬがみ、かむざき、やす、くる もとなどいふ所々、なにとなくすぎぬ。水うみのおもてはるばるとして、なでしま、 ちくぶしまなどいふ所の見えたる、いとおもしろし。勢多のはしみなくづれて、わた りわづらふ。

あはづにとゞまりて、しはすの二日京にいる。くらくいきつくべくと、さるの時許に たちてゆけば、関ちかくなりて、山づらにかりそめなるきりかけといふ物したるかみ より丈六の仏のいまだあらづくりにおはするが、かほばかり見やられたり。あはれに、 人はなれて、いづこともなくておはするほとけかなと、うち見やりてすぎぬ。こゝら のくにぐにをすぎぬるに、するがのきよみが関と、相坂の関とばかりはなかりけり。 いとくらくなりて、

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三条の宮[一品宮脩子内親王]のにしなる所につ きぬ。

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NKBT reads このかたはらにかきつけられたりし.
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[一品宮脩子内親王] does not appear in NKBT.