University of Virginia Library

[足柄山]

あしがら山といふは、四五日かねて、おそろしげにくらがりわたれり。やうやういり たつふもとのほどだに、そらのけしき、はかばかしくも見えず。えもいはずしげりわ たりて、いとおそろしげなり。ふもとにやどりたるに、月もなくくらき夜の、やみに まどふやうなるにあそび三人、いづくよりともなくいできたり。五十許なるひとり、 二十許なる、十四五なるとあり。いほのまへにからかさをさゝせてすへたり。をのこ ども、火をともして見れば、むかし、こはたといひけむがまごといふ。かみいとなが く、ひたひいとよくかゝりて、いろしろくきたなげなくて、さてもありぬべきしもづ かへなどにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、こゑすべてにるものなく、そら にすみのぼりてめでたくうたをうたふ。人々いみじうあはれがりて、けぢかくて人々 もてけうずるに、「にしくにのあそびはえかゝらじ」などいふをききて、「なにはわ たりにくらぶれば」とめでたくうたひたり。見るめのいときたなげなきに、こゑさへ にるものなくうたひて、さばかりおそろしげなる山中にたちてゆくを、人々あかず思 てみなゝくを、おさなき心地には、ましてこのやどりをたたむことさへあかずおぼゆ。

まだあかつきよりあしがらをこゆ。まいて山のなかのおそろしげなる事いはむ方なし。 雲はあしのしたにふまる。山のなから許の、木のしたのわづかなるに、あふひのたゞ みすぢばかりあるを、世はなれてかゝる山中にしもおいけむよと、人々あはれがる。 水はその山に三所ぞながれたる。

からうじて、こえいでて、せき山にとゞまりぬ。これよりは駿河也。よこはしりの関 のかたはらに、いはつぼといふ所あり。えもいはずおほきなるいしのよほうなる中に、 あなのあきたる中よりいづる水の、きよくつめたきことかぎりなし。

ふじの山はこのくに也。わがおいゝでしくににてはにしをもてに見えし山也。その山 のさま、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山のすがたの、こむじゃうをぬりた るやうなるに、ゆきのきゆる世もなくつもりたれば、いろこききぬに、しろきあこめ きたらむやうにも見えて、山のいたゞきのすこしたひらぎたるより、けぶりはたちの ぼる。ゆふぐれは火のもえ立も見ゆ。

きよみがせきは、かたつかたは海なるに、関屋どもあまたありて、うみまでくぎぬき したり。けぶりあふにやあらむ、きよみがせきの浪もたかくなりぬべし。おもしろき ことかぎりなし。

たごの浦は浪たかくて、舟にてこぎめぐる。

おほゐがはといふわたりあり。水の、世のつねならず、すりこなどを、こくてながし たらむやうに、しろき水、はやくながれたり。