〔かどで〕 (Sarashina Nikki) | ||
〔梅の立枝〕
ひろびろとあれたる所の、すぎきつる山々にもおとらず、おほきにおそろしげなるみ やま木どものやうにて、みやこの内とも見えぬ所のさまなり。ありもつかず、いみじ うものさはがしけれども、いつしかと思し事なれば、
>「ものがたりもとめて見せよ、見せよ」とはゝをせむれば、三条の宮に、 しぞくなる人の衛門の命婦とてさぶらひけるたづねて、ふみやりたれば、めづらしが りて、よろこびて、御前のをおろしたるとて、わざとめでたきさうしども、すゞりの はこのふたにいれてをこせたり。うれしくいみじくて、よるひるこれを見るよりうち はじめ、又々も見まほしきに、ありもつかぬみやこのほとりに、たれかは物がたりも とめ見する人のあらむ。まゝはゝなりし人は、宮づかへせしがくだりしなれば、思しにあらぬことどもなどあ りて、世中うらめしげにて、ほかにわたるとて、いつゝばかりなるちごどもなどして、 「あはれなりつる心のほどなむ、わすれむ世あるまじき」などいひて、梅の木の、つ まちかくて、いとおほきなるを、「これが花のさかむおりはこむよ」といひをきてわ たりぬるを、心の内にこひしくあはれ也と思つゝ、しのびねをのみなきて、その年も
かへりぬ。いつしか梅さかなむ、こむとありしを、 さやあると、めをかけてまちわたるに、花もみなさきぬれど、をともせず、思わびて、 花をおりてやる。
たのめしを猶やまつべき霜がれし梅をも春はわすれざりけり
といひやりたれば、あはれなることどもかきて、
猶たのめ梅のたちえはちぎりをかぬおもひのほかの人もとふなり
その春、世中いみじうさはがしうて、まつさとのわたりの月かげあはれに見しめのと も、三月ついたちになくなりぬ。せむ方なく思なげくに、物がたりのゆかしさもおぼ えずなりぬ。いみじくなきくらして見いだしたれば、ゆふ日のいとはなやかにさした るに、さくらの花のこりなくちりみだる。
又きけば、侍従の大納言のみむすめ
な くなり給ひぬなり。殿の中将のおぼしなげくなるさま、わがもののかなしきおりなれば、いみじくときく。のぼりつきたりし時、「これ手本にせよ」とて、このひめぎみの御てをとらせたりしを、「さ夜ふけてねざめざりせば」などかきて、「とりべ山たににけぶりのもえたゝばはかなく見えしわれとしらなむ」と、いひしらずおかしげに、めでたくかき給へるを見て、いとゞなみだをそへまさる。 〔かどで〕 (Sarashina Nikki) | ||