〔かどで〕 (Sarashina Nikki) | ||
〔物語〕
かくのみ思くんじたるを、心もなぐさめむと、心ぐるしがりて、はゝ、物がたりなど もとめて見せ給に、げにをのづからなぐさみゆく。むらさきのゆかりを見て、つゞき の見まほしくおぼゆれど、人かたらひなどもえせず。たれもいまだみやこなれぬほど にて、え見つけず。いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるまゝに、「この源氏の物 がたり、一のまきよりしてみな見せ給へ」と心の内にいのる。おやのうづまさにこも り給へるにも、こと事なく、この事を申て、いでむまゝにこの物がたり見はてむとお もへど、見えず。いとくちおしく思なげかるゝに、をばなる人のゐ中よりのぼりたる 所にわたいたれば、「いとうつくしう、おいなりにけり」など、あはれがり、めづら しがりて、かへるに、「なにをかたてまつらむ、まめまめしき物は、まさなかりなむ、 ゆかしくし給なるものをたてまつらむ」とて、源氏の五十餘巻、ひつにいりながら、 ざい、とをぎみ、せり河、しらゝ、あさうづなどいふ物がたりども、ひとふくろとり いれて、えてかへる心地のうれしさぞいみじきや。はしるはしる、わづかに見つゝ、 心もえず心もとなく思源氏を、一の巻よりして、人もまじらず、木ちゃうの内にうち ふしてひきいでつゝ見る心地、きさきのくらひもなににかはせむ。ひるはひぐらし、 よるはめのさめたるかぎり、火をちかくともして、これを見るよりほかの事なければ、 をのづからなどは、そらにおぼえうかぶを、いみじきことに思に、夢にいときよげな るそうの、きなる地のけさきたるがきて、「法華経五巻をとくならへ」といふと見れ ど、人にもかたらず、ならはむとも思かけず、物がたりの事をのみ心にしめて、われ はこのごろわろきぞかし、さかりにならば、かたちもかぎりなくよく、かみもいみじ くながくなりなむ。ひかるの源氏のゆふがほ、宇治の大将のうき舟の女ぎみのやうに こそあらめと思ける心、まづいとはかなくあさまし。
五月ついたちごろ、つまちかき花たちばなの、いとしろくちりたるをながめて、
あしがらといひし山のふもとに、くらがりわたりたりし木のやうに、しげれる所なれ ば、十月許の紅葉、よもの山辺よりもけに、いみじくおもしろく、にしきをひけるや うなるに、ほかよりきたる人の、「今、まいりつるみちにもみぢのいとおもしろき所 のありつる」といふに、ふと、
物がたりの事を、ひるはひぐらし思つゞけ、
めのさ めたるかぎりは、これをのみ心にかけたるに、夢に見ゆるやう、「このごろ皇太后宮 の一品の宮の御れうに、六角堂にやり水をなむつくるといふ人あるを、「そはいかに」 ととへば、「あまてる御神をねむじませ」といふ」と見て、人にもかたらず、なにと もおもはでやみぬる、いといふかひなし。春ごとに、この一品宮をながめやりつゝ、三月つごもりがた、つちいみに人のもとにわたり たるに、さくらさかりにおもしろく、いままでちらぬもあり。かへりて又の日、
といひにやる。
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