University of Virginia Library

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 十一になった。

 お父様が東京へ連れて出て下すった。お母様は跡に残ってお ( いで ) なすった。いつも手伝に来る婆あさんが越して来て、一しょにいるのである。少し立てば、跡から行くということであった。多分家屋敷が売れるまで残ってお出なすったのであろう。

 旧藩の殿様のお邸が 向島 ( むこうじま ) にある。お父様はそこのお長屋のあいているのにはいって、婆あさんを一人雇って、御飯を ( ) かせて暮らしてお出になる。

 お父様は毎日出て、晩になってお帰になる。僕の行く学校をも捜して下さるということであった。お父様がお出掛になると、 二十 ( はたち ) ばかりの ( かみ ) さんが勝手口へ来て、前掛を膨らませて帰って行く。これは婆あさんが米を盗んで、娘に持たせて遣るのであった。後にお母様がお出になって、この事が知れて、婆あさんは ( ) い出された。僕は余程ぼんやりした小僧であった。

 一しょに遊んでくれる子供もない。家職のものの息子で、年が二つばかり下なのがいたが、初て逢った日に、お邸の池の ( こい ) を釣ろうと云ったので、 ( いや ) になって一しょに遊ばない事にした。 家扶 ( かふ ) の娘の十二三になるのを ( かしら ) にして、娘が二三人いたが、僕を見ると遠い処から指ざしなんぞをして、

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( ささや ) きあって笑ったり何かする。これも嫌な女どもだと思った。

 御殿のお次に行って見る。家従というものが二三人控えている。大抵 烟草 ( たばこ ) を飲んで雑談をしている。おれがいても、別に邪魔にもしない。そこで色々な事を聞いた。

 最も ( しばし ) ば話の中に出て来るのは吉原という地名と奥山という地名とである。吉原は彼等の常に夢みている天国である。そしてその天国の荘厳が、幾分かお邸の力で保たれているということである。家令はお邸の金を高い利で吉原のものに貸す。その縁故で彼等が行くと、特に優待せられるそうだ。そこで ( ) ( ) に吉原へ行った話をする。聞いていても半分は分らない。又半分位分るようであるが、それがちっとも面白くない。中にはこんな事をいう男がある。

「こんだあ、あんたを連れて行って上げうかあ。綺麗な 女郎 ( じょうろ ) が可哀がってくれるぜえ」

 そういう時にはみんなが笑う。

 奥山の話は 榛野 ( はんの ) という男の事に連帯して出るのが常になっている。家従どもは大抵 菊石 ( あばた ) であったり、 獅子鼻 ( ししばな ) であったり、 反歯 ( そっぱ ) であったり、満足な顔はしていない。それと違って榛野というのは、色の白い、背の高い男で、髪を長くして、油を附けて、 ( うなじ ) まで分けていた。この男は何という役であったか知らぬが、先ず家従どもの上席位の待遇を受けて、文書の立案というような事をしていた。家従どもはこんな事を言う。

「榛野さあのように大事にして貰われれば、こっちとらも奥山へ行くけえど、 ( ぜに ) う払うて 楊弓 ( ようきゅう ) を引いても、ろくに話もしてくれんけえ、ほんつまらんいのう」

 榛野はこの仲間の Adonis であった。そして僕は程なくこの男のために Aphrodite たり、また Persephone たる 女子 ( おなご ) どもを見ることを得たのである。

 お庭の蝉の声の段々やかましゅうなる頃であった。お父様の留守にぼんやりしていると、

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※麻 ( くりそ ) という家従が外から声を掛けた。

「しずさあ。居りんさるかあ。今からお使に行くけえ、一しょに来んされえ。浅草の観音様に連れて行って上げう」

 観音様へはお父様が一度連れて行って下すったことがある。僕は喜んで下駄を引っ掛けて出た。

 吾妻橋を渡って、並木へ出て買物をした。それから引き返して、中店をぶらぶら歩いた。亀の形をしたおもちゃの糸で吊したのを、沢山持って、「器械の亀の子、 ( ) り取った選り取った」などと云っている男がある。亀の首や尾や四足がぶるぶると動いている。

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※麻は絵草紙屋の前に立ち留まった。おれは西南戦争の錦絵を見ていると、
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※麻は 店前 ( みせさき ) に出してある、帯封のしてある本を取り上げて、店番の年増にこう云うのである。

「お上さん。これを ( だま ) されて買って行く奴がまだありますか。はははは」

「それでもちょいちょい売れますよ。一向つまらない事が書いてあるのでございますが。おほほほ」

「どうでしょう。本当のを売ってくれませんかね」

御笑談 ( ごじょうだん ) を仰ゃいます。なかなか当節は警察がやかましゅうございまして」

 帯封の本には、表紙に女の顔が書いてあって、その上に「笑い本」と大字で書いてある。これはその頃絵草紙屋にあっただまし物である。中には 一口噺 ( ひとくちばなし ) か何かを書いて、わざと秘密らしく帯封をして、かの可笑しな画を欲しがるものに売るのである。

 僕は子供ではあったが、問答の意味をおおよそ解した。しかしその問答の意味よりは、

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※麻の自在に東京詞を使うのが、僕の注意を引いた。そして
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※麻は何故これ程東京詞が使えるのに、お屋敷では国詞を使うだろうかということを考えて見た。国もの同志で国詞を使うのは、 ( もと ) より当然である。しかし
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※麻が二枚の舌を使うのは、その為めばかりではないらしい。彼は上役の前で 淳樸 ( じゅんぼく ) を装うために国詞を使うのではあるまいか。僕はその頃からもうこんな事を考えた。僕はぼんやりしているかと思うと、又余り無邪気でない処のある子であった。

 観音堂に登る。僕の物を知りたがる欲は、僕の目を、只真黒な格子の奥の、 蝋燭 ( ろうそく ) の光の 覚束 ( おぼつか ) ない辺に注がせる。 ( しゃが ) んで、体を ( えび ) のように曲げて、何かぐずぐず云って祈っている爺さん婆あさん達の 背後 ( うしろ ) を、堂の東側へ折れて、おりおりかちゃかちゃという 賽銭 ( さいせん ) の音を聞き棄てて堂を降りる。

 この辺には乞食が沢山いた。その間に、五色の ( すな ) で書画をかいて見せる男がある。少し広い処に、大勢の見物が輪を作って取り巻いているのは、居合ぬきである。

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※麻と一しょに暫く立って見ていた。刀が段々に掛けてある。下の段になるだけ長いのである。色々な事を 饒舌 ( しゃべ ) っているが、なかなか抜かない。そのうち
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※麻が、つと 退 ( ) くから、何か分からずに附いて退いた。振り返って見れば、銭を集める男が、近処へ来ていたのであった。

 楊弓店のある、狭い ( こうじ ) に出た。どの店にもお白いを附けた女のいるのを、僕は珍らしく思って見た。お父様はここへは連れて来なかったのである。僕はこの女達の顔に就いて、不思議な観察をした。彼等の顔は 当前 ( あたりまえ ) の人間の顔ではないのである。今まで見た、普通の女とは違って、皆一種の stereotype な顔をしている。僕の今の ( ことば ) を以て言えば、この女達の顔は凝結した表情を示しているのである。僕はその顔を見てこう思った。 何故 ( なぜ ) ( そろ ) ってあんな顔をしているのであろう。子供に好い子をお ( ) というと、変な顔をする。この女達は、皆その子供のように、変な顔をしている。眉はなるたけ高く、甚だしきは髪の 生際 ( はえぎわ ) まで ( ) るし上げてある。目をなるたけ大きく

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( みは ) っている。物を言っても笑っても、鼻から上を動かさないようにしている。どうして言い合せたように、こんな顔をしているだろうと思った。僕には分からなかったが、これは売物の顔であった。これは prostitution の相貌であった。

 女はやかましい声で客を呼ぶ「ちいと、 旦那 ( だんな ) 」というのが ( もっとも ) 多い。「ちょいと」とはっきり聞えるのもあるが、多くは「ちいと」と聞える。「紺足袋の旦那」なんぞと云う奴もある。

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※麻は紺足袋を穿いていた。

「あら、

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※麻さん」

 一際鋭い呼声がした。

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※麻はその店にはいって腰を掛けた。僕は ( あき ) れて立って見ていると、
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※麻が手真似で掛けさせた。円顔の女である。物を言うと、薄い唇の間から、 鉄漿 ( かね ) ( ) がした歯が見える。長い 烟管 ( きせる ) に烟草を吸い附けて、吸口を袖で拭いて、例の鼻から上を動かさずに、
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※麻に出す。

「何故拭くのだ」

「だって失礼ですから」

「榛野でなくっては、拭かないのは飲まして貰えないのだね」

「あら、榛野さんにだっていつでも拭いて上げまさあ」

「そうかね。拭いて上げるかね」

 こんな風な会話である。詞が二様の意義を有している。

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※麻は僕がその第二の意義に対して、何等の想像をも ( えが ) き得るものとは認めていない。女も僕をば空気の如くに取り扱っている。しかし僕には少しの不平も起らない。僕はこの女は嫌であった。それだから物なんぞを言って貰いたくはなかった。

 

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※麻が楊弓を引いて見ないかと云ったが、僕は嫌だと云った。

 

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※麻は間もなく楊弓店を出た。それから 猿若町 ( さるわかちょう ) を通って、橋場の ( わたし ) を渡って、向島のお邸に帰った。

 同じ頃の事であった。家従達の仲間に、銀林と云う針医がいて、折々彼等の詰所に来て話していた。これはお上のお療治に来るので、お国ものではない。 江戸児 ( えどっこ ) である。家従は大抵三十代の男であるのに、この男は四十を越していた。僕は家従等に比べると、この男が余程賢いと思っていた。

 或る日銀林は銀座の方へ往くから、連れて行って遣ろうと云った。その日には用を済ませてから、銀林が京橋の側の 寄席 ( よせ ) 這入 ( はい ) った。

  昼席 ( ひるせき ) であるから、余り客が多くはない。上品に見えるのは娘を連れた町家のお ( かみ ) さんなどで、その外多くは職人のような男であった。

 高座には話家が出て饒舌っている。徳三郎という息子が 象棋 ( しょうぎ ) をさしに出ていた。夜が更けて帰って、 閉出 ( しめだし ) を食った。近所の娘が一人やはり同じように閉出を食っている。娘は息子に話し掛ける。息子がおじの内へ往って留めて貰うより外はないと云うと、娘が一しょに連れて行ってくれろと頼む。息子は聴かずにずんずん行くが、娘は附いて来る。おじは 通物 ( とおりもの ) である。通物とは道義心の lax なる人物ということと見える。息子が情人を連れて来たものと速断する。息子が弁解するのを、恥かしいので言を左右に ( たく ) しているのだと思う。息子に恋慕している娘は、 物怪 ( もっけ ) の幸と思っている。そこで二人はおじに二階へ追い上げられる。夜具は一人前しか無い。解いた帯を、縦に敷布団の真中に置いて、跡から書くので 譬喩 ( ひゆ ) が anachronism になるが、 樺太 ( からふと ) を両分したようにして、二人は寝る。さて一寐入して目が ( ) めて 云々 ( しかじか ) というのである。僕の耳には、まだ東京の詞は慣れていないのに、話家はぺらぺらしゃべる。僕は後に西洋人の講義を聞き始めた時と同じように、一しょう懸命に注意して聴いていると、銀林は僕の顔を見て笑っている。

「どうです。分かりますかい」

「うむ。大抵分かる」

「大抵分かりゃ沢山だ」

 今までしゃべっていた話家が、 ( ) って腰を ( かが ) めて、高座の横から降りてしまうと、入り替って第二の話家が出て来る。「替りあいまして替り ( ばえ ) も致しません」と謙遜する。「殿方のお道楽はお女郎買でございます」と破題を置く。それから職人がうぶな男を連れて吉原へ行くという話をする。これは吉原入門ともいうべき講義である。僕は、なる程東京という処は何の知識を 攫得 ( かくとく ) するにも便利な土地だ、と感歎して聴いている。僕はこの時「おかんこを頂戴する」という奇妙な詞を覚えた。しかしこの詞には、僕はその後寄席以外では、どこでも遭遇しないから、これは僕の記憶に無用な負担を賦課した詞の一つである。