University of Virginia Library

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 同じ年の冬の初であった。

 来年はいよいよ洋行が出来そうだという噂がある。相変らず小菅の内にぶらぶらしている。

 千住に詩会があって、会員の宅で順番に 月次会 ( つきなみかい ) を開く。或日その会で 三輪崎霽波 ( みわざきせいは ) という詩人と近附になった。その霽波が云うには、自分は自由新聞の 詞藻欄 ( しそうらん ) を受け持っているが、何でも好いから書いてくれないかと云う。僕はことわった。しかし霽波が立って勧める。そんなら 匿名 ( とくめい ) でも好いかと云うと、好いと云う。僕は厳重に秘密を守って貰うという条件で承知した。

 その晩帰って何を書いたら好かろうかと、寝ながら考えたが、これという思付もない。翌日は忘れていた。その次の朝、内で鈴木田正雄時代から取っている読売新聞を見ると、自分の名が出ている。哲学科を優等で卒業した金井湛氏は自由新聞に筆を取られる 云々 ( しかじか ) と書いてある。僕は驚いて、前々晩の事を思い出した。そしてこう思った。僕は秘密を守って貰う約束で書こうと云った。その秘密を先方が守らない以上は、書かなくても好いと思った。

 そうすると霽波から催促の手紙が来る。僕は条件が破れたから書かないと返詞をする。とうとう霽波が ( ) って来た。

「どうも読売の一条は実に済まなかった。どうかあの一条だけは勘弁して、書いてくれ給え。そうでないと、僕が社員に対して言を ( ) むようになるから」

「ふむ。しかし僕があれ程言ったのに、何だって君は読売なんぞに 吹聴 ( ふいちょう ) するのだ」

「僕が何で吹聴なんかをするものかね」

「それではどうして出たのだ」

「そりゃあこうだ。僕は社で話をした。勿論君に何も言わない前から、社で話をしていたのだ。僕が 仙珠吟社 ( せんじゅぎんしゃ ) 請待 ( しょうだい ) せられて行って、君に逢ったというと、社長を始め、是非君に何か書かせてくれろと云う。僕は何とも思わずに受け合った。そこで君に話して見ると、なかなか君がむつかしい事を言う。それを僕が 蘇張 ( そちょう ) の舌で 口説 ( くど ) き落したのだ。それだから社に帰って、僕は得意で復命したのだ。読売へは誰か社のものが知らせたのだろう。それは僕には分らない。僕は ( いばら ) を負うことを辞せない。 平蜘蛛 ( ひらぐも ) になってあやまる。どうぞ書いてくれ給え」

「好いよ。書くよ。しかし僕には新聞社の人の考が分らない。僕がこれまでにない一番若い学士だとか、優等で卒業したとかいうので、新聞に名が出た。そいつにどんな物を書くか書かせて見ようというような ( わけ ) だろう。そこで僕の書くものが ( うま ) かろうが、まずかろうが、そんな事は構わない。Sensation は sensation だろう。しかしそういうのは、新聞経営者として実に短見ではあるまいか。僕の利害は言わない。新聞社の利害を言うのだ。それよりは黙って僕の匿名で書いたものを出してくれる。それがまずければそれなりに消滅してしまう。いくらまずくても、何故あんなものを出したかと、社が非難せられる程の事もあるまい。万一僕の書いたものが旨かったら、あれは誰だということになるだろう。その時になって、君の社で僕を紹介してくれたって好いではないか。そこで新聞社に具眼の人があって、僕を発見したとなれば、社の名誉ではないか。僕はそう旨く行こうとは思わない。しかし文学士何の ( なにがし ) というような名ばかりを振り廻すのが、社の働でもあるまいと思うから言うのだ」

「いや。君の言うことは一々 ( もっとも ) だ。しかしそんな話は、戦国の人君に礼楽を起せというようなものだねえ」

「そうかねえ。新聞社なんというものは存外分らない人が寄っているものと見えるねえ」

「いやはや。これは御挨拶だ。あははははは」

 こんな話をして霽波は帰った。僕は霽波が帰るとすぐに机に向って、新聞の二段ばかりの物を書いて、郵便で出した。こんな物を書くに、 推敲 ( すいこう ) も何もいらないというような高慢も、多少無いことは無かった。

 翌日それを第一面に載せた新聞が届く。夜になって届いた原稿であるから、余程の繰合せをしてくれたものだということは、僕は後に聞いた。霽波の礼状が添えてある。

 この新聞は今でもどこかにしまってある筈だが、今出して見ようと思っても、一寸見附からない。何でも余程変なものを書いたように記憶している。頭も 尻尾 ( しっぽ ) もないような物だった。その頃は新聞に雑録というものがあった。 朝野 ( ちょうや ) 新聞は 成島柳北 ( なるしまりゅうほく ) 先生の雑録で売れたものだ。真面目な考証に 洒落 ( しゃれ ) が交る。論の奇抜を心掛ける。句の警束を ( ねら ) う。どうかするとその警句が人口に 膾炙 ( かいしゃ ) したものだ。その頃僕は某教授に借りて、Eckstein の書いた feuilleton の歴史を読んでいたので、先ず雑録の体裁で、西洋の feuilleton の趣味を加えたものと思って書いて見たのだ。

 僕の書いたものは、多少の注意を引いた。二三の新聞に尻馬に乗ったような投書が出た。僕の書いたものは抒情的な処もあれば、小さい物語めいた処もあれば、考証らしい処もあった。今ならば人が小説だと云って評したのだろう。小説だと勝手に極めて、それから雑報にも劣っていると云ったのだろう。情熱という語はまだ無かったが、有ったら情熱が無いとも云ったのだろう。 衒学 ( げんがく ) なんという語もまだ 流行 ( はや ) らなかったが、流行っていたらこの場合に使われたのだろう。その外、自己弁護だなんぞという罪名もまだ無かった。僕はどんな芸術品でも、自己弁護でないものは無いように思う。それは人生が自己弁護であるからである。あらゆる生物の生活が自己弁護であるからである。木の葉に止まっている雨蛙は青くて、壁に止まっているのは土色をしている。草むらを出没する 蜥蜴 ( とかげ ) は背に緑の筋を持っている。沙漠の砂に住んでいるのは砂の色をしている。Mimicry は自己弁護である。文章の自己弁護であるのも、同じ道理である。僕は ( さいわい ) にそんな非難も受けなかった。僕は幸に僕の書いた物の存在権をも疑われずに済んだ。それは存在権の最も覚束ない、智的にも情的にも、人に何物をも与えない批評というものが、その頃はまだ発明せられていなかったからである。

 一週間程立って、或日の午後霽波が又遣って来た。社主が先日書いて貰ったお礼に馳走をしたいというのだから、今から一しょに来てくれろと云う。相客は 原口安斎 ( はらぐちあんさい ) という詩人だけで、霽波が社主に代って主人役をするというのである。

 僕は車を雇って、霽波の車に附いて行った。神田明神の側の料理屋に這入った。安斎は先へ来て待っていた。酒が出る。芸者が来る。ところが僕は酒が飲めない。安斎も飲めない。霽波が一人で飲んで一人で騒ぐ。三人の客は、壮士と書生との ( あい ) の子という風で、最も壮士らしいのが霽波、最も普通の書生らしいのが安斎である。二人は 紺飛白 ( こんがすり ) の綿入に同じ羽織を着ている。安斎は大人しいが気の ( ) いた男で、霽波と一しょには騒がないまでも、芸者と話もする。杯の 取遣 ( とりやり ) もする。

 僕は仲間はずれである。その頃僕は、お父様の国で ( かど ) のある日にお着なすった紋附の黒羽二重のあったのを、お母様に為立て直して貰って、それが丈夫で好いというので、不断着にしていた。それを着たままで、霽波に連れられて出たのである。そして二尺ばかりの鉄の 烟管 ( きせる ) を持っている。これは例の短刀を持たなくても好くなった頃、丁度 烟草 ( たばこ ) を呑み始めたので、護身用だと云って、拵えさせたのである。それで 燧袋 ( ひうちぶくろ ) のような烟草入から雲井を ( つま ) み出して呑んでいる。酒も飲まない。口も利かない。

 しかしその頃の講武所芸者は、随分変な書生を相手にし附けていたのだから、格別驚きもしない。むやみに大声を出して、霽波と一しょに騒いでいる。

 十一時半頃になった。女中がお車が ( そろ ) いましたと云って来た。揃いましたは変だとは思ったが、 左程 ( さほど ) 気にも留めなかった。霽波が先に立って門口に出て車に乗る。安斎も僕も乗る。僕は「大千住の先の小菅だよ」と車夫に言ったが、車夫は返詞をせずに 梶棒 ( かじぼう ) を上げた。

 霽波の車が真先に駈け出す。次が安斎、 殿 ( しんがり ) が僕と、三台の車が続いて、飛ぶように駈ける。掛声をして、 提灯 ( ちょうちん ) を振り廻して、 御成道 ( おなりみち ) を上野へ向けて行く。両側の店は大抵戸を締めている。食物店の 行燈 ( あんどん ) や、蝋燭なんぞを売る家の板戸に ( ) めた小障子に移る明りが、おりおり見えて、それが逆に後へ走るかと思うようだ。往来の人は少い。 偶々 ( たまたま ) 出逢う人は、言い合せたように、僕等の車を振り向いて見る。

 車はどこへ行くのだろう。僕は自分の経験はないが、車夫がどこへ行くとき、こんな風に走るかということは知っている。

 広小路を過ぎて、仲町へ曲る角の辺に来たとき、安斎が車の上から後に振り向いて、「逃げましょう」と云った。安斎の車は仲町へ曲った。

 安斎は遺伝の 痼疾 ( こしつ ) を持っている。体が人並でない。こんな車の行く処へは行かれないのである。

 僕は車夫に、「今の車に附いて行け」と云った。小菅に帰るには、仲町へ曲ってはだめであるが、とにかく霽波と別れさえすれば、跡はどうでもなると思ったのである。僕の車は猶予しながら、仲町の方へ梶棒を向けた。

 この時霽波の車は一旦三橋を北へ渡ったのが、跡へ引き返してきた。霽波は車の上から大声にどなった。

「おい。逃げては行けない」

 僕の車は霽波の車の跡に続いた。霽波は振り返り振り返りして、僕の車を監視している。

 僕は再び脱走を試みようとはしなかった。僕が ( ) いて争ったなら、霽波もまさか乱暴はしなかったのだろう。しかし極力僕を引張って行こうとしたには違ない。僕は上野の辻で、霽波と喧嘩をしたくはない。その上僕には負けじ魂がある。僕は霽波に馬鹿にせられるのが不愉快なのである。この負けじ魂は人をいかなる罪悪の深みへも落しかねない、 ( すこぶ ) る危険なものである。僕もこの負けじ魂の為めに、行きたくもない処へ行くことになったのである。それから僕を霽波に附いて行かせた今一つの factor のあるのを忘れてはならない。それは例の未知のものに引かれる Neugierde である。

 二台の車は大門に入った。霽波の車夫が、「お茶屋は」と云うと、霽波が叱るように或る家の名をどなった。何でも Astacidae 族の皮の堅い動物の名である。

 十二時を余程過ぎている。両側の家は皆戸を締めている。車は或る大きな家の、締まった戸の前に止まった。霽波が戸を叩くと、小さい 潜戸 ( くぐりど ) を開けて、体の恐ろしく敏速に 伸屈 ( のびかがみ ) をする男が出て、茶屋がどうのこうのと云って、霽波と小声で話し合った。 ( しばら ) く押問答をした末に、二人を戸の内に案内した。

 二階へ上ると、霽波はどこか行ってしまった。一人の 中年増 ( ちゅうどしま ) が出て、僕を一間に連れ込んだ。

 細長い ( ) の狭い両側は障子で、廊下に通じている。広い側の一方は、開き戸の附いた黒塗の 箪笥 ( たんす ) に、 真鍮 ( しんちゅう ) の金物を繁く打ったのを、押入れのような処に切り ( ) めてある。朱塗の行燈の明りで、漆と真鍮とがぴかぴか光っている。広い側の他の一方は、四枚の ( ふすま ) である。行燈は箱火鉢の傍に置いてあって、箱火鉢には、 文火 ( ぬるび ) に大きな 土瓶 ( どびん ) が掛かっている。

 中年増は僕をこの ( ) に案内して置いて、どこか行ってしまった。僕は例の黒羽二重の 羊羹色 ( ようかんいろ ) になったのを着て、鉄の長烟管を持ったままで、箱火鉢の前の座布団の上に 胡坐 ( あぐら ) をかいた。

 神田で ( いや ) な酒を五六杯飲ませられたので、 ( のど ) が乾く。土瓶に手を当てて見ると、好い加減に冷えている。傍に湯呑のあったのに注いで見れば、濃い番茶である。僕は一息にぐっと飲んだ。

 その時僕の ( うしろ ) にしていた襖がすうと開いて、女が出て、行燈の傍に立った。芝居で見たおいらんのように、大きな ( まげ ) を結って、大きな 櫛笄 ( くしこうがい ) を挿して、赤い処の沢山ある 胴抜 ( どうぬき ) の裾を ( ) いている。目鼻立の好い白い顔が小さく見える。例の中年増が附いて来て座布団を直すと、そこへすわった。そして黙って笑顔をして僕を見ている。僕は黙って真面目な顔をして女を見ている。

 中年増は僕の茶を飲んだ茶碗に目を附けた。

「あなたこの土瓶のをあがったのですか」

「うむ。飲んだ」

「まあ」

 中年増は変な顔をして女を見ると、女が今度はあざやかに笑った。白い細かい歯が、行灯の明りできらめいた。中年増が僕に問うた。

「どんな味がしましたか」

( うま ) かった」

 中年増と女とは二たび目を見合せた。女が二たびあざやかに笑った。歯が二たび光った。土瓶の中のはお茶ではなかったと見える。僕は何を飲んだのだか、今も知らない。何かの 煎薬 ( せんやく ) であったのだろう。まさか外用薬ではなかったのだろう。

 中年増が女の櫛道具を取って片附けた。それから立って、黒塗の箪笥から ( かけ ) を出して女に ( ) せた。派手な 竪縞 ( たてじま ) のお 召縮緬 ( めしちりめん ) に紫 繻子 ( じゅす ) の襟が掛けてある。この中年増が 所謂 ( いわゆる ) 番新というのであろう。女は黙って手を通す。珍らしく ( ほそ ) い白い手であった。番新がこう云った。

「あなたもう遅うございますから、ちとあちらへ」

「寝るのか」

「はい」

( おれ ) は寝なくても ( ) い」

 番新と女とは三たび目を見合せた。女が三たびあざやかに笑った。歯が三たび光った。番新がつと僕の傍に寄った。

「あなたお足袋を」

 この 奪衣婆 ( だついばば ) が僕の紺足袋を脱がせた手際は実に驚くべきものであった。そして僕を柔かに、しかも反抗の出来ないように、襖のあなたへ連れ込んだ。

 八畳の間である。正面は床の間で、袋に入れた琴が立て掛けてある。黒塗に 蒔絵 ( まきえ ) のしてある 衣桁 ( いこう ) が縦に一間を 為切 ( しき ) って、その一方に床が取ってある。婆あさんは柔かに、しかも反抗の出来ないように、僕を横にならせてしまった。僕は白状する。番新の手腕はいかにも巧妙であった。しかしこれに反抗することは、絶待的不可能であったのではない。僕の 抗抵 ( こうてい ) 力を 麻痺 ( まひ ) させたのは、 ( たしか ) に僕の性欲であった。

 僕は霽波に構わずに、車を言い附けて帰った。小菅の内に帰って見れば、戸が締まって、内はひっそりしている。戸を叩くと、すぐにお母様が出て開けて下すった。

「大そう遅かったね」

「はい。非常に遅くなりました」

 お母様の顔には一種の表情がある。しかし何とも ( おっし ) ゃらない。僕にはその時のお母様の顔がいつまでも忘れられなかった。僕は只「お休なさい」と云って、自分の部屋に這入った。時計を見れば三時半であった。僕はそのまま床にもぐり込んでぐっすり寐た。

 翌日朝飯を食うとき、お父様が、三輪崎とかいう男は放縦な生活をしているので、酒を飲めば、飲み明かさねば面白くないというような風ではないか、 ( ) しそうなら、その男とは余り交際しない方が好かろうと仰ゃった。お母様は黙ってお出なすった。僕は、三輪崎とは気象が合わないから、親しくする積ではないと云った。実際そう思っていたのである。

 四畳半の部屋に帰ってから、昨日の事を想って見る。あれが性欲の満足であったか。恋愛の成就はあんな事に到達するに過ぎないのであるか。馬鹿々々しいと思う。それと同時に僕は意外にも悔という程のものを感じない。良心の 呵責 ( かしゃく ) という程のものを覚えない。勿論あんな処へ行くのは、悪い事だと思う。あんな処へ行こうと預期して、自分の家の ( しきい ) を越えて出掛けることがあろうとは思わない。しかしあんな処へ行き当ったのは為方がないと思う。 ( たと ) えて見れば、人と喧嘩をするのは悪い事だ。喧嘩をしようと志して、外へ出ることは無い。しかし外へ出ていて、喧嘩をしなければならないようになるかも知れない。それと同じ事だと思う。それから或る不安のようなものが心の底の方に潜んでいる。それは若しや悪い病気になりはすまいかということである。喧嘩をした跡でも、日が立ってから 打身 ( うちみ ) の痛み出すことがある。女から病気を受けたら、それどころではない。子孫にまで ( わざわい ) ( のこ ) すかも知れないなどとも思って見る。先ず翌日になって感じた心理上の変動は、こんなものであって、思ったよりは微弱であった。そのうえ、丁度空気の受けた波動が、空間の隔たるに従って ( かす ) かになるように、この心理上の変動も、時間の立つに従って薄らいだ。

 それとは反対で、ここに僕の感情的生活に一つの変化が生じて来て、それが日にましはっきりして来た。何だというと、僕はこれまでは、女に対すると、何となく 尻籠 ( しりごみ ) をして、いく地なく顔が赤くなったり、 ( ことば ) ( もつ ) れたりしたものだ。それがこの時から直ったのである。こんな譬は、誰かが 何処 ( どこ ) かで、とっくに云っているだろうが、僕は騎士としてdubを受けたのである。

 この事があってから、当分の間は、お母様が常に無い注意を僕の上に加えられるようであった。察するに、世間で好く云う 病附 ( やみつき ) ということがありはすまいかとお思なすったのだろう。それは 杞憂 ( きゆう ) であった。

 僕が若し事実を書かないのなら、僕は吉原という処へ往ったのがこれ切だと云いたい。しかし少しも偽らずに書こうと云うには、ここに書き添えて置かねばならない事がある。それはずっと後であった。僕は一度妻を迎えて、その妻に亡くなられて、二度目の妻をまだ迎えずにいた時であった。或る秋の夕方、古賀が僕の今の内へ遊びに来た。帰り掛に上野辺まで一しょに行こうということになった。さて門を出掛けると、 三枝 ( さいぐさ ) という男が来合せた。僕の縁家のもので、古賀をも知っているから、一しょに来ようと云う。そこで三人は 青石横町 ( あおいしよこちょう ) の伊予紋で夕飯を食う。三枝は下情に通じているのが自慢の男で、これから吉原の面白い処を見せてくれようと云い出す。これは僕が ( やもめ ) だというので、余りお察しの好過ぎたのかも知れない。古賀が笑って行こうと云う。僕は不精々々に同意した。

 僕等は大門の外で車を下りる。三枝が先に立ってぶらぶら歩く。何町か知らないが、狭い横町に曲る。どの家の格子にも女が出ていて、外に立っている男と話をしている。小格子というのであろう。男は大抵 絆纒着 ( はんてんぎ ) である。三枝はその一人を見て、「好い男だなあ」と云った。いなせとでも云うような男である。三枝の理想の好男子は絆纒着のうちにあると見える。三枝は、「一寸失敬」と云うかと思えば、小さい四辻に 担荷 ( かつぎに ) を卸して、豆を ( ) っている爺さんの処へ行って、 弾豆 ( はじけまめ ) を一袋買って ( たもと ) に入れる。それから少し歩くうちに、古賀と僕とを顧みて、「ここだ」と云って、ついと或店にはいる。 馴染 ( なじみ ) の家と見える。

 二階へ通る。三枝が、例の 伸屈 ( のびかがみ ) 敏捷 ( びんしょう ) な男と、弾豆を ( つま ) んで食いながら話をする。暫くして僕は鼻を ( ) くような狭い部屋に案内せられる。ランプと烟草盆とが置いてある。 煎餅布団 ( せんべいぶとん ) ( ) いてある。僕は坐布団がないから、為方なしにその煎餅布団の真中に 胡坐 ( あぐら ) をかく。紙巻烟草に火を附けて呑んでいる。裏の方の障子が開く。女が這入る。色の 真蒼 ( まっさお ) な、人の好さそうな年増である。笑いながら女が云う。

「お休なさらないの」

( おれ ) は寝ない積だ」

「まあ」

「お前はひどく血色が悪いではないか。どうかしたのかい」

「ええ。胸膜炎で二三日前まで病院にいましたの」

「そうかい。それでいて、客の処へ出るのはつらかろうなあ」

「いいえ。もう心持は何ともありませんの」

「ふむ」

 暫く顔を見合せている。女がやはり笑いながら云う。

「あなた可笑しゅうございますわ」

「何が」

「こうしていては」

「そんなら 腕角力 ( うでずもう ) をしよう」

「すぐ負けてしまうわ」

「なに。己もあまり強くはない。女の腕というものは馬鹿にならないものだそうだ」

「あら。旨い事を仰ゃるのね」

「さあ来い」

 煎餅布団の上に ( ひじ ) を突いて、右の手を握り合った。女は力も何もありはしない。いくら力を入れて見ろと云ってもだめである。僕は何の力をも費さずに押え附けてしまった。

 障子の外から、古賀と三枝とが声を掛けた。僕は二人と一しょに帰った。これが僕の二度目の吉原 ( がよい ) であった。そして最後の吉原通である。 ( ついで ) だから、ここに書き添えて置く。