University of Virginia Library

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 金井君は或夜ここまで書いた。内じゅうが寝静まっている。雨戸の外は 五月雨 ( さみだれ ) である。庭の植込に降る雨の、鈍い柔な音の 間々 ( あいだあいだ ) に、 亜鉛 ( あえん ) ( とい ) を走る水のちゃらちゃらという声がする。西片町の通は 往来 ( ゆきき ) が絶えて、傘を打つ点滴も聞えず、ぬかるみに ( ) み込む足駄も響かない。

 金井君は腕組をして考え込んでいる。

 先ず書き掛けた記録の続きが、次第もなく心に浮ぶ。 伯林 ( ベルリン ) の Unter den Linden を西へ曲った処の小さい 珈琲 ( コォフイィ ) 店を思い出す。Cafe

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Krebs である。日本の留学生の集る処で、 蟹屋 ( かにや ) 蟹屋と云ったものだ。何遍行っても女に手を出さずにいると、或晩一番美しい女で、どうしても日本人と一しょには行かないというのが、是非金井君と一しょに行くと云う。聴かない。女が 癇癪 ( かんしゃく ) を起して、melange
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のコップを床に打ち附けて壊す。それから Karlstrasse の下宿屋を思い出す。家主の婆あさんの ( めい ) というのが、毎晩 肌襦袢 ( はだじゅばん ) 一つになって来て、金井君の寝ている寝台の ( ふち ) に腰を掛けて、三十分ずつ話をする。「おばさんが起きて待っているから、只お話だけして来るのなら、構わないといいますの。好いでしょう。お嫌ではなくって」肌の温まりが ( ふすま ) を隔てて伝わって来る。金井君は貸借法の第何条かに依って、三箇月分の宿料を払って逃げると、毎晩夢に見ると書いた手紙がいつまでも来たのである。Leipzig の戸口に赤い灯の附いている家を思い出す。
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( ちぢ ) らせた 明色 ( めいしょく ) の髪に金粉を ( ) けて、肩と腰とに 言訣 ( いいわけ ) ばかりの赤い着物を着た女を、客が一人 宛傍 ( ずつそば ) に引き寄せている。金井君は、「己は肺病だぞ、傍に来るとうつるぞ」と叫んでいる。 維也納 ( ウインナ ) のホテルを思い出す。臨時に金井君を連れて歩いていた大官が手を引張ったのを怒った女中がいる。金井君は馬鹿気た 敵愾心 ( てきがいしん ) を起して、出発する前日に、「今夜行くぞ」と云った。「あの右の廊下の突き当りですよ。 ( くつ ) 穿 ( ) いていらっしっては嫌」響の物に応ずる如しである。 ( ) せる様に香水を部屋に ( ) いて、金井君が廊下をつたって行く 沓足袋 ( くつたび ) の音を待っていた。Munchen
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の珈琲店を思い出す。日本人の群がいつも行っている処である。そこの常客に、 ( ) や無頼漢肌の土地の好男子の連れて来る、 凄味 ( すごみ ) 掛かった別品がいる。日本人が皆その女を ( ) めちぎる。或晩その二人連がいるとき、金井君が便所に立った。跡から早足に便所に這入って来るものがある。 ( たちま ) ( ) せた二本の ( ひじ ) が金井君の ( くび ) ( から ) み附く。金井君の唇は熱い接吻を覚える。金井君の手は名刺を一枚握らせられる。 旋風 ( つむじかぜ ) のように身を ( かえ ) して去るのを見れば、例の凄味の女である。番地の附いている名刺に「十一時三十分」という鉛筆書きがある。金井君は自分の下等な物に関係しないのを臆病のように云う同国人に、 面当 ( つらあて ) をしようという気になる。そこで冒険にもこの Rendez-Vous に行く。腹の皮に妊娠した時の ( あと ) のある女であった。この女は舞踏に着て行く衣裳の質に入れてあるのを受ける為めに、こんな事をしたということが、跡から知れた。同国人は荒肝を抜かれた。金井君も随分悪い事の限をしたのである。しかし金井君は一度も自分から攻勢を取らねばならない程強く性欲に動かされたことはない。いつも陣地を守ってだけはいて、 ( おさな ) い Neugierde と余計な負けじ魂との為めに、おりおり不必要な衝突をしたに過ぎない。

 金井君は初め筆を取ったとき、結婚するまでの事を書く積であった。金井君の西洋から帰ったのは二十五の年の秋であった。すぐに貰った初の細君は長男を生んで亡くなった。それから暫く一人でいて、三十二の年に十七になる今の細君を迎えた。そこで初は二十五までの事は是非書こうと思っていたのである。

 さて一旦筆を置いて考えて見ると、かの不必要な衝突の偶然に繰り返されるのを書くのが、無意義ではあるまいかと疑うようになった。金井君の書いたものは、普通の意味でいう自伝ではない。それなら是非小説にしようと思ったかというと、そうでも無い。そんな事はどうでも好いとしても、金井君だとて、芸術的価値の無いものに筆を着けたくはない。金井君は Nietzsche のいう Dionysos 的なものだけを芸術として視てはいない。Apollon 的なものをも認めている。しかし恋愛を離れた性欲には、情熱のありようがないし、その情熱の無いものが、いかに自叙に適せないかということは、金井君も到底自覚せずにはいられなかったのである。

 金井君は断然筆を絶つことにした。

 そしてつくづく考えた。世間の人は今の自分を見て、金井は年を取って情熱がなくなったと云う。しかしこれは年を取った為めではない。自分は少年の時から、余りに自分を知り抜いていたので、その悟性が情熱を 萌芽 ( ほうが ) のうちに枯らしてしまったのである。それがふとつまらない動機に誤られて、受けなくても好い dub を受けた。これは余計な事であった。結婚をするまで dub を受けずにいた方が好かった。更に一歩を進めて考えて見れば、果して結婚前に dub を受けたのを余計だとするなら、或は結婚もしない方が好かったのかも知れない。どうも自分は人並はずれの 冷澹 ( れいたん ) な男であるらしい。

 金井君は一旦こう考えたが、忽ち又考え直した。なる程、dub を受けたのは余計であろう。しかし自分の悟性が情熱を枯らしたようなのは、表面だけの事である。永遠の氷に ( おお ) われている地極の底にも、火山を突き上げる猛火は燃えている。Michelangelo は青年の時友達と喧嘩をして、拳骨で鼻を叩き ( つぶ ) されて、望を恋愛に絶ったが、 ( かえっ ) て六十になってから Vittoria Colonna に逢って、珍らしい恋愛をし遂げた。自分は無能力では無い。Impotent では無い。世間の人は性欲の虎を放し飼にして、どうかすると、その背に ( ) って、滅亡の谷に墜ちる。自分は性欲の虎を馴らして抑えている。 羅漢 ( らかん ) 跋陀羅 ( ばつだら ) というのがある。馴れた虎を ( そば ) に寝かして置いている。童子がその虎を怖れている。Bhadra とは賢者の義である。あの虎は性欲の象徴かも知れない。只馴らしてあるだけで、虎の怖るべき威は衰えてはいないのである。

 金井君はこう思い直して、静に ( まき ) ( はじめ ) から読み返して見た。そして結末まで読んだときには、夜はいよいよ ( ) けて、雨はいつの間にか止んでいた。樋の口から石に落ちる点滴が、長い ( ) を置いて、 ( けい ) を打つような響をさせている。

 さて読んでしまった処で、これが世間に出されようかと思った。それはむつかしい。人の皆行うことで人の皆言わないことがある。Prudery に支配せられている教育界に、自分も籍を置いているからは、それはむつかしい。そんなら何気なしに我子に読ませることが出来ようか。それは読ませて読ませられないこともあるまい。しかしこれを読んだ子の心に現われる効果は、 ( あらかじ ) め測り知ることが出来ない。若しこれを読んだ子が父のようになったら、どうであろう。それが幸か不幸か。それも分らない。Dehmel が詩の句に、「彼に服従するな、彼に服従するな」というのがある。我子にも読ませたくはない。

 金井君は筆を取って、表紙に 拉甸 ( ラテン ) 語で

  VITA SEXUALIS

と大書した。そして文庫の中へばたりと投げ込んでしまった。