University of Virginia Library

      *

  二十 ( はたち ) になった。

 新しい学士仲間は追々口を捜して、多くは地方へ教師になりに行く。僕は卒業したときの席順が好いので、官費で洋行させられることになりそうな噂がある。しかしそれがなかなか極まらないので、お父様は心配してお ( いで ) なさる。僕は平気で小菅の官舎の四畳半に 寝転 ( ねころ ) んで、本を見ている。

 遊びに来るものもめったに無い。古賀は某省の参事官になって、女房を持って、女房の里に同居して、そこから役所へ通っている。児島はそれより前に、大阪の或会社の事務員になって、東京を立った。それを送りに新橋へ行ったとき、古賀が僕に

[_]
[28]
※語 ( ささや ) いだ。「僕のかかあになってくれるというものがあるよ。妙ではないか」これは謙遜したのではない。児島に比べては、余程世情に通じている古賀も、さすが三角同盟の一隅だけあって、無邪気なものである。僕は妙とも何とも思わなかった。

 僕にも縁談を持って来るものがある。お母様の考では、 ( たと ) い洋行をさせられるにしても、妻は持って置く方が好いというのである。お父様には別に議論は無い。そこでお母様が僕にお勧なさるが、僕は生返詞をしている。お母様には僕の考が分らない。僕は又考はあっても言いたくない。言うにしても、頗る言いにくいような気がする。お母様は根気好くお尋なさる。僕は或日ついつい追い詰められて、こんな事を言った。

 妻というものを、どうせいつか持つことになるだろう。持つには嫌な奴では困る。嫌か好かをこっちで極めるのは容易である。しかし女だって嫌な男を持っては困るだろう。生んで貰った親に対して、こう云うのは、恩義に背くようではあるが、女が僕の容貌を見て、好だと思うということは、一寸想像しにくい。或は自知の ( めい ) のあるお多福が、僕を見て、あれで我慢をするというようなことは無いにも限るまい。しかし我慢をしてくれるには及ばない。そんな事はこっちから辞退したい。そんなら僕の ( たましい ) の側はどうだ。余り結構な霊を持ち合わせているとも思わないが、これまで色々な人に触れて見たところが、僕の霊がそう気恥かしくて、包み隠してばかりいなければならないようにも思わない。霊の試験を受ける事になれば、僕だって必ず落第するとも思わない。さて結婚の風俗を見るに、容貌の見合はあるが、霊の見合は無い。その容貌の見合でさえ、 ( なかだち ) をするものの云うのを聞けば、いつでも先方では見合を要せないと云っているということだ。女は好嫌を言わない。只こっちが見て好嫌を言えば好いというのだ。娘の親は売手で、こっちが買手ででもあるようだ。娘はまるで物品扱を受けている。 羅馬 ( ロオマ ) 法にでも書いたら、奴隷と同じように、res としてしまわねばならない。僕は綺麗なおもちゃを買いに行く気はない。

 ざっとこう云うような事を、なるたけお母様に分るように説明して見た。お母様は、僕が霊では落第しないが、容貌では落第しそうだと云うのが、大不服である。「わたしはお前を 片羽 ( かたわ ) に産んだ覚えはない」と、憤慨に堪えないような口気で仰ゃる。これには僕もひどく恐縮せざることを得ない。それから男が女を ( えら ) ぶように、女も男を択ぶのが、正当な見合であるということも、お母様は認めて下さらない。お母様の仰ゃるには、おお方そんな事を言うのは、男女同権とかいう話と同じ筋の話だろう。昔から町家の娘には、見合で ( むこ ) をことわるということがあった。侍の娘は男の魂を見込んで ( よめ ) に往くのだから、男の顔を見てかれこれ云う筈はない。それが日本ばかりの事であっても、好い事なら好いではないか。しかしお父様のお話を聞いたうちに、西洋の王様が家来を隣国へ ( ) って娵を見させるという話があった。そうして見れば、西洋でも王様なんぞは日本流に娵を取られると見えると、こう仰ゃる。僕は、西洋の事なんぞは、なるたけ言わないようにしているのに、お母様に西洋の例を引いて弁じ附けられて、僕は少し 狼狽 ( ろうばい ) した。

 僕の方にはまだ言いたい事は沢山有ったが、この上 反駁 ( はんばく ) を試みるのも悪いと思って、それきりにしてしまった。

 この話をして間もなく、お父様の心安くしていらっしゃる 安中 ( あんなか ) という医者が来て、或る大名華族の 末家 ( まっけ ) の令嬢を貰えと勧めた。令嬢は番町の一条という画家の内におられる。いつでも見せて遣るということである。お母様は例に依ってお勧なさる。

 僕はふと往って見る気になった。それが可笑しい。そのお嬢さんを見ようと思うのではなくて、見合というものをして見ようと思うのであった。少し無責任な事をしたようではあるが、僕はどんなお嬢さんでも貰わないと極めていた ( わけ ) ではない。貰う気になったら貰おうとだけは思っていたのである。

 三月頃でもあったか、まだ寒かった。僕は安中に連れられて、番町の一条の内へ行った。黒い 冠木門 ( かぶきもん ) のある陰気なような家であった。主人の居間らしい八畳の間に通された。安中と火鉢を囲んで雑談をしていると、主人が出て逢われた。五十ばかりの男で、 磊落 ( らいらく ) な態度である。画の話なぞをする。暫くして奥さんが令嬢を連れて出られた。

 主人夫婦は色々な話をして座を持っておられる。ゆっくり話して行け、酒を飲むなら酒を出そうかと云う。僕は酒は飲まないと云う。主人がそんなら何を御馳走しようかと云って、首を傾ける。その頃僕は 齲歯 ( むしば ) に悩まされていて、内ではよく 蕎麦掻 ( そばがき ) を食っていた。そこで、御近所に蕎麦の看板があったから、蕎麦掻を御馳走になろうと云った。主人がこれは面白い御注文だと云って笑う。奥さんが女中を呼んで言い付ける。

 令嬢はこの時まで奥さんの右の方に、大人しくすわって、膝に手を置いておられた。ふっくりした丸顔で、目尻が少し吊り上がっている。 俯向 ( うつむ ) かないで、正面を向いていて、少しもわるびれた様子がない。顔にはこれという表情もなかった。それが蕎麦掻の注文を聞いて、思わずにっこり笑った。

 僕は蕎麦掻の注文をしてしまって、児島の 橘飩 ( きんとん ) にも譲らないと思って、ひとりで 可笑 ( おかし ) がった。暫くは蕎麦の話が栄える。主人も蕎麦掻は食べる。ある時病気で、粒立った物が食えないので、一月も蕎麦掻ばかり食っていたと云う。奥さんが、あの時はほんとに ( あき ) れたと云って、気が附いて僕にあやまる。

 僕は蕎麦掻を御馳走になって帰った。主人夫婦に令嬢も附いて、玄関まで送られた。

 帰道に安中が決答を促したが、僕は何とも云うことが出来ない。それは自分でも分らないからである。僕はお嬢さんを非常な美人とは思わない。しかし随分立派なお嬢さんだとは思っている。品格はたしかに好い。性質は分らないが、どうもねじくれた処なぞが有りそうにはない。素直らしい。そんなら貰いたいかと云うと、少しも貰いたくない。嫌では決してない。 ( ) し自分の身の上に関係のない人であって、僕が評をしたら、好な娘だと云うだろう。しかしどうも貰う気になられない。なる程立派なお嬢さんだが、あんなお嬢さんは外にもあろう。何故あれを特に貰わねばならないか分らないなどと思う。そんな事を考えては、娵に貰う女はなくなるだろうと、自ら ( ばく ) しても見る。しかしどうも貰う気になられない。僕は、こんな時に人はどうして決心をするかと疑った。そして、或は人は性欲的刺戟を受けて決心するのではあるまいか。それが僕には ( ) けているので、好いとは思っても貰いたくならないのではないかと思った。僕が何か案じているのを安中は見て取って、「いずれ改めて伺います」と云って、九段の上で別れた。

 内へ帰ると、お母様が待ち受けて、どうであったかとお問なさる。僕は 猶予 ( ゆうよ ) する。

「まあ、どんな御様子な方だい」

「そうですねえ。容貌端正というような嬢さんです。目が少し ( ) り上がっています。着物は僕には分らないが、黒いような色で、下に白 ( えり ) ( かさ ) ねていました。帯に懐剣を ( ) していても似合いそうな人です」

 僕のふいと言った形容が、お母様にはひどくお気に入った。懐剣を持っていそうなと云うのが、お母様には頼もしげに思われるのである。そこで随分熱心に勧められる。安中も二三度返詞を聞きに来る。しかし僕はついつい決答を与えずにしまった。

 程経てこのお嬢さんは、僕の識っている宮内省の役人の奥さんになられたが、一年ばかりの後に病死せられた。