壽阿彌の手紙 (Juami no tegami) | ||
十四
命日毎に壽阿彌の墓に 詣 ( まう ) でるお婆あさんは 何人 ( なんぴと ) であらう。わたくしの胸中には壽阿彌研究上に活きた第二の典據を得る望が 萌 ( きざ ) した。そこで僧には 卒塔婆 ( そとば ) を壽阿彌の墓に建てることを頼んで置いて、わたくしは藁店の家を尋ねることにした。
「藁店の 角店 ( かどみせ ) で小間物屋ですから、すぐにわかります」と、僧が教へた。
小間物屋はすぐにわかつた。立派な手廣な角店で、五彩目を奪ふ 頭飾 ( かみかざり ) の類が 陳 ( なら ) べてある。店頭には、雨の盛に降つてゐるにも 拘 ( かゝは ) らず、 蛇目傘 ( じやのめがさ ) をさし、 塗足駄 ( ぬりあしだ ) を 穿 ( は ) いた客が引きも切らず出入してゐる。腰を掛けて飾を選んでゐる客もある。皆美しく粧つた少女のみである。客に應接してゐるのは、紺の前掛をした大勢の若い者である。
若い者はわたくしの店に入るのを見て、「入らつしやい」の聲を發することを 躊躇 ( ちうちよ ) した。
わたくしも亦忙しげな人々を見て、無用の間話頭を 作 ( な ) すを 憚 ( はゞか ) らざることを得なかつた。
わたくしは若い 丸髷 ( まるまげ ) のお 上 ( かみ ) さんが、子を 負 ( おぶ ) つて 門 ( かど ) に立つてゐるのを顧みた。
「それ、雨こん/\が降つてゐます」などゝ、お上さんは背中の子を 賺 ( すか ) してゐる。
「ちよつと物をお尋ね申します」と云つて、わたくしはお上さんに來意を述べた。
お上さんは 怪訝 ( くわいが ) の目を
※ ( みは ) つて聞いてゐた。そしてわたくしの語を解せざること 良 ( やゝ ) 久しかつた。無理は無い。 此 ( かく ) の如き 熱閙場裏 ( ねつたうぢやうり ) に此の如き 間言語 ( かんげんぎよ ) を 弄 ( ろう ) してゐるのだから。わたくしが反復して説くに及んで、白い狹い額の奧に、理解の薄明がさした。そしてお上さんは覺えず破顏一笑した。
「あゝ。さうですか。ではあの小石川のお墓にまゐるお婆あさんをお尋なさいますのですね。」
「さうです。さうです。」わたくしは 喜 ( よろこび ) 禁ずべからざるものがあつた。丁度外交官が談判中に相手をして自己の某主張に首肯せしめた刹那のやうに。
お上さんは 纖 ( ほそ ) い 指尖 ( ゆびさき ) を 上框 ( あがりがまち ) に 衝 ( つ ) いて足駄を脱いだ。そして背中の子を 賺 ( すか ) しつゝ、帳場の奧に 躱 ( かく ) れた。
代つて現れたのは白髮を切つて 撫附 ( なでつけ ) にした 媼 ( おうな ) である。「どうぞこちらへ」と云つて、わたくしを 揮 ( さしまね ) いた。わたくしは媼と 帳場格子 ( ちやうばがうし ) の 傍 ( そば ) に對坐した。
媼 ( おうな ) 名は 石 ( いし ) 、高野氏、御家人の 女 ( むすめ ) である。弘化三年生で、大正五年には七十一歳になつてゐる。 少 ( わか ) うして御家人 師岡 ( もろをか ) 久次郎に嫁した。久次郎には二人の兄があつた。長を山崎某と云ひ、仲を鈴木某と云つて、師岡氏は 其 ( その ) 季 ( き ) であつた。三人は同腹の子で、皆 伯父 ( をぢ ) に御家人の株を買つて貰つた。それは 商賈 ( しやうこ ) であつた伯父の産業の衰へた日の事であつた。
伯父とは 誰 ( た ) ぞ。壽阿彌である。兄弟三人を生んだ母とは誰ぞ。壽阿彌の妹である。
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