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十三

 わたくしは壽阿彌の手紙と題する此文を草して まさ に稿を をは らむとした。然るに何となく心に あきたら ふし があつた。何事かは知らぬが、 まさ すべくして做さざる所のものがあつて存する如くであつた。わたくしは前段の末に一の終の字を記すことを 猶與 いうよ した。

 そしてわたくしはかう 思惟 しゆゐ した。わたくしは壽阿彌の墓の所在を知つてゐる。然るに いま かつ いて とぶら はない。 しば/\ 其名を筆にして、其文に由つて其人に親みつゝ、程近き所にある墓を尋ぬることを怠つてゐるのは、遺憾とすべきである。兎に角一たび往つて見ようと云ふのである。

 雨の日である。わたくしは意を決して車を命じた。そして小石川傳通院の門外にある 昌林院 しやうりんゐん へ往つた。

 住持の僧は來意を聞いて答へた。昌林院の墓地は數年前に撤して、墓石の一部は傳通院の門内へ移し入れ、他の一部は洲崎へ送つた。壽阿彌の墓は前者の中にある。しかし さく つて錠が卸してあるから、雨中に まう づることは難儀である。幸に當院には 位牌 ゐはい があつて、これに記した文字は墓表と同じであるから佛壇へ案内して進ぜようと答へた。

 わたくしは問うた。「柵が結つてあると おつし やるのは、壽阿彌一人の墓の事ですか。それとも石塔が幾つもあつて、それに柵が結ひ めぐ らしてあるのですか。」これは眞志屋の祖先數代の墓があるか否かと思つて云つたのである。

「墓は一つではありません。藤井紋太夫の墓も、力士谷の音の墓もありますから。」

 わたくしは耳を そばだ てた。「それは思ひ掛けないお話です。藤井紋太夫だの谷の音だのが、壽阿彌に縁故のある人達だと云ふのですか。」

 僧は此間の消息を つまびらか にしてはゐなかつた。しかし昔から一つ所に葬つてあるから、縁故があるに相違なからうとの事であつた。

 わたくしは かれて位牌の前に往つた。壽阿彌の位牌には、中央に東陽院壽阿彌陀佛曇

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※和尚、嘉永元年 戊申 ぼしん 八月二十九日と書し、左右に戒譽西村清常居士、文政三年 庚寅 かういん 十二月十二日、松壽院妙眞日實信女、文化十二年 乙亥 おつがい 正月十七日と書してある。

 僧は「こちらが谷の音です」と云つて、隣の位牌を指さした。神譽行義居士、明治二十一年十二月二日と書してある。

「藤井紋太夫のもありますか」と、わたくしは問うた。

「紋太夫の位牌はありません。誰も 參詣 さんけい するものがないのです。しかしこちらに戒名が書き附けてあります。」かう云つて紙牌を示した。光含院孤峯心了居士、元祿七年 甲戌 かふじゆつ 十一月二十三日と書してある。

「では壽阿彌と谷の音とは參詣するものがあるのですね」と、わたくしは問うた。

「あります。壽阿彌の方へは牛込の 藁店 わらだな からお婆あさんが命日毎に參られます。谷の音の方へは、當主の關口文藏さんが福島にをられますので、代參に本所緑町の關重兵衞さんが來られます。」