University of Virginia Library

第二十七

 世の ( はて ) 何處 ( いづこ ) とも知らざれば、 ( ) き人の ( しるし ) にも 萬代 ( よろづよ ) かけし小松殿内府の 墳墓 ( ふんぼ ) 、見上ぐるばかりの石の面に彫り刻みたる淨蓮大禪門の五字、 金泥 ( きんでい ) 色洗 ( いろあら ) ひし如く猶ほ ( あざやか ) なり。外には沒落の嵐吹き ( ) さみて、散り行く人の忙しきに、一境 ( げき ) として聲なき墓門の靜けさ、鏘々として響くは松韵、 戞々 ( かつ/\ ) として鳴るは聯珠、世の哀れに感じてや、鳥の歌さへいと低し。

 墓の前なる石階の下に ( ひざまづ ) きて默然として祈念せる瀧口入道、やがて頭を擧げ、泣く/\御墓に向ひて言ひけるは、『あゝ淺ましき御一門の成れの ( はて ) 草葉 ( くさば ) の蔭に加何に御覽ぜられ候やらん。御墓の石にまだ ( ) す苔とてもなき今の日に、早や退沒の悲しみに遇はんとは申すも中々に愚なり。御靈前に 香華 ( かうげ ) 手向 ( たむ ) くるもの明日よりは有りや無しや。 北國 ( ほつこく ) 關東 ( くわんとう ) 夷共 ( えびすども ) の、君が安眠の ( には ) を駭かせ參らせん事、思へば心外の限りにこそ候へ。君は元來英明にましませば、事今日あらんこと、かねてより悟らせ給ひ、神佛三寶に祈誓して 御世 ( みよ ) を早うさせ給ひけるこそ、 ( ) と有り難けれ。夢にも斯くと知りなば不肖時頼、直ちに 後世 ( ごせ ) 御供 ( おんとも ) ( つかまつ ) るべう候ひしに、性頑冥にして悟り得ず、望みなき世に 長生 ( ながら ) へて斯かる無念をまのあたり見る事のかへすがへすも口惜しう候ふぞや、時頼進んでは君が鴻恩の萬一に答ふる能はず、退いては亡國の餘類となれる身の、今更 ( きみ ) に合はす面目も候はず。あはれ匹夫の身は物の數ならず、願ふは尊靈の冥護を以て、世を昔に引き返し、御一門を再び都に ( ) れさせ給へ』。

  ( ) きくる涙に ( むせ ) びながら、掻き 口説 ( くど ) ( こと ) ( ) も定かならず、亂れし心を押し鎭めつ、眼を閉ぢ ( かうべ ) を俯して石階の上に 打伏 ( うちふ ) せば、あやにくや、沒落の今の哀れに引き ( くら ) べて、盛りなりし昔の事、雲の如く胸に湧き、祈念の珠數にはふり落つる懷舊の涙のみ ( しげ ) し。あゝとばかり我れ知らず身を振はして 立上 ( たちあが ) り、 ( よろ ) めく體を踏みしむる右手の支柱、曉の露まだ冷やかなる内府の 御墳 ( みはか ) 、哀れ榮華十年の 遺物 ( かたみ ) なりけり。

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 盛りの花と人に惜しまれ、世に歌はれて、春の眞中に散りにし人の羨まるゝ哉。 陽炎 ( かげろふ ) の影より淡き身を ( なまじ ) ( ) き殘りて、 木枯嵐 ( こがらし ) の風の宿となり果てては、我が爲に哀れを慰むる鳥もなし、家仆れ國滅びて六尺の身おくに處なく、天低く地薄くして昔をかへす夢もなし。――吁々思ふまじ、我ながら不覺なりき、修行の肩に歌袋かけて、天地を一爐と觀ぜし昔人も有りしに、三衣を纏ひ一鉢を捧ぐる身の、世の盛衰に離れ得ず、生死流轉の間に 彷徨 ( さまよ ) へるこそ口惜しき至りなれ。世を捨てし昔の心を思ひ出せば、良しや天落ち地裂くるとも、今更驚く謂れやある。常なしと見つる此世に悲しむべき秋もなく、喜ぶべき春もなく、青山白雲 ( とこしな ) へに青く長へに白し。あはれ、本覺大悟の智慧の火よ、我が胸に尚ほ蛇の如く

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( まつ ) はれる一切煩惱を 渣滓 ( さし ) も殘らず燒き盡せよかし。

 斯くて瀧口、主家の大變に動きそめたる心根を、 ( から ) くも抑へて、常の如く嵯峨の奧に朝夕の ( ぎやう ) を懈らざりしが、都近く住みて、變り果てし世の様を見る事を忍び得ざりけん、其年七月の末、久しく住みなれし往生院を跡にして、飄然と何處ともなく出で行きぬ。