瀧口入道
高山樗牛 (Takiguchi nyudo) | ||
第十
深く思ひ 決 ( さだ ) めし瀧口が一念は、石にあらねば 轉 ( まろ ) ばすべくもあらざれども、忠と孝との 二道 ( ふたみち ) に恩義をからみし父の言葉。思ひ設けし事ながら、今更に 腸 ( はらわた ) も 千切 ( ちぎ ) るゝばかり、聲も涙に曇りて、見上ぐる父の顏も定かならず、『仰せらるゝ事、時頼いかで 理 ( ことわり ) と承らざるべき。小松殿の御事は云ふも更なり、年寄り給ひたる父上に、斯かる 嘆 ( なげき ) を見參らする 小子 ( それがし ) が胸の苦しさは喩ふるに物もなけれども、所詮浮世と觀じては、一切の望に離れし我心、今は返さん 術 ( すべ ) もなし、忠孝の道、君父の恩、時頼何として 疎 ( おろそ ) かに存じ候べき。 然 ( さ ) りながら、一度人身を失へば萬劫還らずとかや、世を換へ生を移しても、生死妄念を離れざる身を思へば、 悟 ( さとり ) の日の 晩 ( おそ ) かりしに心 急 ( せ ) かれて、世は是れ迄とこそ思はれ候へ。只々是れまで思ひ決めしまで重ね/″\し幾重の思案をば、御知りなき父上には、定めて 若氣 ( わかげ ) の短慮とも、當座の 上氣 ( じやうき ) とも聞かれつらんこそ口惜しけれ、言はば一生の浮沈に 關 ( かゝは ) る大事、時頼不肖ながらいかでか 等閑 ( なほざり ) に思ひ候べき。詮ずるに自他の悲しみを此胸一つに收め置いて、 亡 ( なか ) らん後の世まで知る人もなき身の 果敢 ( はか ) なさ、 今更 ( いまさら ) 是非もなし。父上、願ふは此世の縁を 是限 ( これかぎ ) りに、時頼が身は二十三年の秋を一期に病の爲に 敢 ( あへ ) なくなりしとも 御諦 ( おんあきら ) め下されかし。不孝の悲しみは胸一つには堪へざれども、 御詫 ( おんわび ) 申さんに 辭 ( ことば ) もなし、只々 御赦 ( おんゆる ) しを乞ふ計りに候』。
濺 ( そゝ ) ぐ涙に哀れを 籠 ( こ ) めても、飽くまで世を背に見たる我子の決心、左衞門 今 ( いま ) は夢とも上氣とも思はれず、 愛 ( いと ) しと思ふほど 彌増 ( いやま ) す 憎 ( にく ) さ。慈悲と恩愛に燃ゆる怒の 焔 ( ほのほ ) に滿面 朱 ( しゆ ) を濺げるが如く、張り裂く計りの胸の思ひに言葉さへ絶え/″\に、『イ言はして置けば父をさし置きて我れ 面白 ( おもしろ ) の 勝手 ( かつて ) の理窟、左衞門聞く耳持たぬぞ。無常困果と、世にも 癡 ( たは ) けたる乞食坊主のえせ 假聲 ( こわいろ ) 、武士がどの口もて言ひ得る 語 ( ことば ) ぞ。弓矢とる身に何の無常、何の困果。――時頼、善く聞け、畜類の 狗 ( いぬ ) さへ、一日の飼養に三年の恩を知ると云ふに非ずや。 匐 ( は ) へば立て、立てば歩めと、我が年の 積 ( つも ) るをも思はで育て上げし二十三年の親の辛苦、さては 重代相恩 ( ぢゆうだいさうおん ) の主君にも見換へんもの、世に有りと思ふ其方は、犬にも劣りしとは知らざるか。不忠とも、不孝とも、亂心とも、狂氣とも、言はん樣なき不所存者、左衞門が眼には、我子の 容 ( かたち ) に 化 ( ば ) けし惡魔とより外は見えざるぞ、それにても見事其處に居直りて、齋藤左衞門茂頼が一子ぞと言ひ得るか、ならば御先祖の御名立派に申して見よ。其方より暇乞ふ迄もなし、人の數にも入らぬ木の 端 ( はし ) は、勿論親でもなく、子でもなし。其一念の直らぬ間は、時頼、シヽ七生までの義絶ぞ』。言ひ捨てて、 襖立切 ( ふすまたてき ) り、 疊觸 ( たゝみざは ) りはも 荒々 ( あら/\ ) しく、ツと奧に入りし左衞門。跡見送らんともせず、時頼は兩手をはたとつきて、兩眼の涙さながら雨の如し。
外には鳥の聲うら悲しく、枯れもせぬに散る青葉二つ三つ、無情の嵐に 搖落 ( ゆりおと ) されて窓打つ音さへ恨めしげなる。――あはれ、世は汝のみの浮世かは。
瀧口入道
高山樗牛 (Takiguchi nyudo) | ||