University of Virginia Library

第二十六

 瀧口入道、都に來て見れば、思ひの外なる大火にて、六波羅、 池殿 ( いけどの ) 、西八條の ( あたり ) より 京白川 ( きやうしらかは ) 四五萬の 在家 ( ざいけ ) ( まさ ) に煙の中にあり。 洛中 ( らくちゆう ) の民はさながら ( きやう ) せるが如く、老を負ひ幼を扶けて火を避くる者、僅の家財を携へて逃ぐる者、或は 雜沓 ( ざつたふ ) の中に ( きずつ ) きて助けを求むる者、或は連れ立ちし人に離れて 路頭 ( ろとう ) に迷へる者、何れも容姿を取り亂して右に走り左に馳せ、叫喚呼號の響、街衢に充ち滿ちて、 修羅 ( しゆら ) ( ちまた ) もかくやと思はれたり。只々見る幾隊の六波羅武者、蹄の音高く馳せ來りて、 人波 ( ひとなみ ) ( ) てる狹き道をば、 容赦 ( ようしや ) もなく 蹴散 ( けちら ) し、指して行衞は北鳥羽の方、いづこと問へど人は知らず、平家一門の 邸宅 ( ていたく ) 、武士の 宿所 ( しゆくしよ ) 、殘りなく火中にあれども消し止めんとする人の影見えず。そも何事の起れるや、問ふ人のみ多くして、答ふる者はなし。 全都 ( ぜんと ) の民は夢に夢見る心地して、只々心安からず ( おそ ) ( まど ) へるのみ。

 瀧口、事の由を聞かん由もなく、 ( とゞろ ) く胸を ( おさ ) へつゝ、 朱雀 ( すざく ) ( かた ) に來れば、向ひより 形亂 ( かたちみだ ) せる二三人の女房の 大路 ( おほぢ ) を北に急ぎ行くに、瀧口呼留めて事の由を尋ぬれば、一人の女房立留りて悲しげに、『未だ聞かれずや、大臣殿(宗盛)の 思召 ( おぼしめし ) にて、 主上 ( しゆじやう ) を始め一門殘らず 西國 ( さいごく ) に落ちさせ給ふぞや、もし ( ゆかり ) の人ならば跡より追ひつかれよ』。 言捨 ( いひす ) てて忙しげに走り行く。瀧口、あッとばかりに呆れて、さそくの考も出でず、鬼の如き兩眼より涙をはら/\と流し、恨めしげに 伏見 ( ふしみ ) の方を打ち見やれば、明けゆく空に 雲行 ( くもゆき ) のみ早し。

 榮華の夢早や ( ) めて、沒落の悲しみ ( まさ ) に來りぬ。盛衰興亡はのがれぬ世の習なれば、平家に於て獨り歎くべきに非ず。只々まだ見ぬ敵に ( おそれ ) をなして、 輕々 ( かろ/″\ ) しく帝都を離れ給へる 大臣殿 ( おとゞどの ) の思召こそ心得ね。 ( ) ても角ても叶はぬ命ならば、御所の ( いしずゑ ) ( まくら ) にして、 魚山 ( ぎよさん ) 夜嵐 ( よあらし ) ( かばね ) を吹かせてこそ、 ( ) りても ( かんば ) しき 天晴 ( あつぱれ ) 名門 ( めいもん ) 末路 ( まつろ ) なれ。三代の ( あだ ) を重ねたる 關東武士 ( くわんとうぶし ) が野馬の ( ひづめ ) 祖先 ( そせん ) 墳墓 ( ふんぼ ) 蹴散 ( けちら ) させて、一門おめ/\ 西海 ( さいかい ) ( はて ) に迷ひ行く。とても流さん末の 慫名 ( うきな ) はいざ知らず、まのあたり百代までの恥辱なりと思はぬこそ是非なけれ。

 瀧口はしばし無念の涙を絞りしが、せめて 燒跡 ( やけあと ) なりとも弔はんと、西八條の方に辿り行けば、 夜半 ( よは ) にや立ちし、早や 落人 ( おちうど ) の影だに見えず、 昨日 ( きのふ ) までも美麗に建て ( つら ) ねし 大門 ( だいもん ) 高臺 ( かうだい ) 、一夜の煙と立ち ( のぼ ) りて、 燒野原 ( やけのはら ) 、茫々として 立木 ( たちき ) に迷ふ鳥の聲のみ悲し。燒け殘りたる 築垣 ( ついがき ) の蔭より、 屋方 ( やかた ) の跡を ( なが ) むれば、 朱塗 ( しゆぬり ) 中門 ( ちゆうもん ) のみ 半殘 ( なかばのこ ) りて、 ( かど ) もる人もなし。 嗚呼 ( あゝ ) 被官 ( ひくわん ) 郎黨 ( らうたう ) 日頃 ( ひごろ ) ( ちよう ) に誇り恩を ( ほしいまゝ ) にせる者、そも幾百千人の多きぞや。思はざりき、 主家 ( しゆか ) ( たふ ) 城地 ( じやうち ) ( ほろ ) びて、而かも一騎の ( かばね ) を其の 燒跡 ( やけあと ) に留むる ( もの ) なからんとは。げにや榮華は夢か ( まぼろし ) か、 高厦 ( かうか ) 十年にして立てども一朝の煙にだも堪へず、朝夕 玉趾 ( ぎよくし ) 珠冠 ( しゆくわん ) 容儀 ( ようぎ ) ( たゞ ) し、 參仕 ( さんし ) 拜趨 ( はいすう ) の人に ( かしづ ) かれし人、今は 長汀 ( ちやうてい ) の波に ( たゞよ ) ひ、 旅泊 ( りよはく ) の月に

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※※ ( さすら ) ひて、 思寢 ( おもひね ) に見ん夢ならでは ( かへ ) り難き昔、慕うて益なし。 有爲轉變 ( うゐてんぺん ) の世の中に、只々最後の ( いさぎよ ) きこそ肝要なるに、天に ( そむ ) き人に離れ、いづれ ( のが ) れぬ ( をはり ) をば、 何處 ( いづこ ) まで ( ) しまるゝ一門の人々ぞ。彼を思ひ是を思ひ、瀧口は燒跡にたゝずみて、 暫時 ( しばし ) 感慨の涙に暮れ居たり。

  稍々 ( やゝ ) ありて 太息 ( といき ) と共に 立上 ( たちあが ) り、昔ありし我が 屋數 ( やしき ) を打見やれば、其邊は一面の灰燼となりて、何處をそれとも 見別 ( みわ ) け難し。さても我父は如何にしませしか、一門の人々と共に 落人 ( おちうど ) にならせ給ひしか。御老年の 此期 ( このご ) に及びて、斯かる大變を見せ參らするこそうたてき限りなれ。瀧口 ( いま ) は、誰れ知れる人もなき跡ながら、昔の盛り忍ばれて、盡きぬ 名殘 ( なごり ) 幾度 ( いくたび )

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振※ ( ふりかへ ) りつ、持ちし 錫杖 ( しやくぢやう ) ( おも ) げに打ち鳴らして、何思ひけん、小松殿の 墓所 ( ぼしよ ) ( ) して立去りし頃は、 夜明 ( よあ ) け、日も少しく ( のぼ ) りて、燒野に引ける 垣越 ( かきごし ) の松影長し。