University of Virginia Library

第十九

 斯くて横笛は教へられしまゝに辿り行けば、月の光に 影暗 ( かげくら ) き、 ( もり ) の繁みを ( とほ ) して、 ( かすか ) に燈の ( ひかり ) 見ゆるは、げに ( ) りし庵室と覺しく、隣家とても有らざれば、 ( げき ) として死せるが如き夜陰の靜けさに、 振鈴 ( しんれい ) ( ひゞき ) さやかに聞ゆるは、若しや尋ぬる其人かと思へば、思ひ設けし事ながら、胸轟きて急ぎし足も思はず ( ゆる ) みぬ。思へば ( うつゝ ) とも覺えで此處までは來りしものの、何と言うて世を隔てたる ( かど ) ( たゝ ) かん、我が ( まこと ) の心をば如何なる言葉もて打ち明けん。うら若き 女子 ( をなご ) の身にて夜を ( をか ) して來つるをば、 蓮葉 ( はすは ) のものと 卑下 ( さげす ) み給はん事もあらば如何にすべき。 ( はた ) また、 千束 ( ちづか ) ( ふみ ) 一言 ( ひとこと ) も返さざりし我が無情を恨み給はん時、いかに ( いら ) へすべき、など思ひ惑ひ、恥かしさも催されて、 御所 ( ごしよ ) 拔出 ( ぬけい ) でしときの心の 雄々 ( をゝ ) しさ、 今更 ( いまさら ) 怪しまるゝばかりなり。斯くて ( ) つべきに非ざれば、 ( やうや ) く我れと我身に思ひ決め、ふと首を擧ぐれば、振鈴の響耳に迫りて、身は 何時 ( いつ ) しか庵室の前に立ちぬ。月の光にすかし見れば、半ば ( くづ ) れし門の ( ひさし ) 蟲食 ( むしば ) みたる一面の 古額 ( ふるがく ) 、文字は危げに往生院と讀まれたり。

 横笛 四邊 ( あたり ) を打ち見やれば、 八重葎 ( やへむぐら ) ( しげ ) りて門を閉ぢ、拂はぬ庭に落葉 ( つも ) りて、秋風吹きし跡もなし。松の袖垣 ( すきま ) あらはなるに、葉は枯れて ( つる ) のみ殘れる ( つた ) ( ) えかゝりて、古き梢の 夕嵐 ( ゆふあらし ) 、軒もる月の影ならでは訪ふ人もなく荒れ果てたり。 ( のき ) は朽ち柱は傾き、誰れ棲みぬらんと見るも 物憂 ( ものう ) げなる 宿 ( やど ) ( さま ) 。扨も世を無常と觀じては斯かる侘しき住居も、大梵高臺の樂みに換ヘらるゝものよと思へば、 ( あるじ ) の貴さも 彌増 ( いやま ) して、 今宵 ( こよひ ) の我身やゝ ( はづ ) かしく覺ゆ。庭の松が ( ) ( つる ) したる、 ( ほの ) 暗き 鐵燈籠 ( かなどうろう ) の光に 檐前 ( のきさき ) を照らさせて、障子一重の内には振鈴の聲、急がず緩まず、四曼不離の夜毎の 行業 ( かうごふ ) に慣れそめてか、 ( まがき ) の蟲の ( おどろ ) かん樣も見えず。横笛今は心を定め、ほとほとと ( かど ) を音づるれども答なし。玉を ( ) べたらん如き纖腕 ( しび ) るゝばかりに 打敲 ( うちたゝ ) けども應ぜん ( ) はひも見えず。 ( ) に佛者は ( おこなひ ) ( なかば ) には、王侯の ( めし ) にも應ぜずとかや、我ながら心なかりしと、 ( しば ) し門下に彳みて、鈴の音の絶えしを待ちて ( ふたゝ ) ( かど ) を敲けば、内には ( あるじ ) の聲として、『世を隔てたる 此庵 ( このいほ ) は、 夜陰 ( やいん ) に訪はるゝ ( おぼえ ) なし、恐らく 門違 ( かどちがひ ) にても候はんか』。横笛 ( ひそ ) めし聲に力を入れて、『 大方 ( おほかた ) ならぬ由あればこそ、夜陰に 御業 ( おんげふ ) を驚かし參らせしなれ。庵は往生院と覺ゆれば、主の御身は、小松殿の御内なる齋藤瀧口殿にてはお ( ) さずや』。『如何にも ( それがし ) が世に在りし時の名は齋藤瀧口にて候ひしが、そを尋ねらるゝ御身はそも 何人 ( なんぴと ) 』。『 ( わらは ) こそは中宮の曹司横笛と申すもの、 隨意 ( まゝ ) ならぬ世の義理に隔てられ、世にも厚き 御情 ( おんなさけ ) に心にもなき ( つれ ) なき事の 數々 ( かず/\ ) 、只今の御身の上と聞き ( はべ ) りては、悲しさ ( くる ) しさ、 女子 ( をなご ) の狹き胸一つには納め得ず、知られで永く ( ) みなんこと 口惜 ( くちを ) しく、 ( ひとつ ) には妾が ( まこと ) の心を打明け、且つは御身の恨みの程を承はらん爲に茲まで迷ひ來りしなれ。こゝ ( ) け給へ瀧口殿』。言ふと其儘、門の ( とびら ) に身を ( ) せて、聲を ( しの ) びて泣き居たり。

 瀧口はしばらく ( いら ) へせず、やゝありて、『 如何 ( いか ) 女性 ( によしやう ) 、我れ ( ) に在りし時は、 御所 ( ごしよ ) ( ) る人あるを知りし事ありしが、我が知れる其人は我れを知らざる筈なり、されば 今宵 ( こよひ ) 我れを ( おとづ ) れ給へる御身は、我が知れる横笛にてはよもあらじ。 ( ) しや其人なりとても、此世の中に心は死して、殘る體は 空蝉 ( うつせみ ) の我れ、我れに恨みあればとて、そを言ふの要もなく、よし又人に誠あらばとて、そを聞かん願ひもなし。一切諸縁に離れたる身、今更ら返らぬ世の 浮事 ( うきこと ) を語り出でて何かせん。聞き給へや 女性 ( によしやう ) 、何事も過ぎにし事は夢なれば、我れに恨みありとな思ひ給ひそ。己れに ( つれ ) なきものの善知識となれる ( ためし ) 、世に少からず、誠に道に入りし身の、そを恨みん謂れやある。されば遇うて益なき今宵の我れ、唯々何事も言はず、此儘歸り給へ。二言とは申すまじきぞ、聞き分け給ひしか、横笛殿』。