University of Virginia Library

第二十

 因果の中に哀れを含みし言葉のふし/″\、横笛が悲しさは 百千 ( もゝち ) の恨みを聞くよりもまさり、『其の 御語 ( おんことば ) 、いかで ( あだ ) 聞侍 ( きゝはべ ) るべき、只々親にも許さぬ胸の ( うち ) 、女子の恥をも顧みず、聞え參らせんずるをば、聞かん願ひなしと仰せらるゝこそ恨みなれ。 ( つれ ) なかりし昔の報いとならば、此身を 千千 ( ちゞ ) ( きざ ) まるゝとも 露壓 ( つゆいと ) はぬに、 ( なまじ ) ( あだ ) ( なさけ ) の御言葉は、心狹き妾に、恥ぢて死ねとの御事か。 無情 ( つれな ) かりし妾をこそ ( にく ) め、 可惜 ( あたら ) 武士 ( ものゝふ ) を世の外にして、樣を變へ給ふことの恨めしくも亦痛はしけれ。茲 ( ) け給へ、思ひ ( ) めし一念、聞き給はずとも言はでは ( ) まじ。 ( のう ) 瀧口殿、ここ開け給へ、情なきのみが 佛者 ( ぶつしや ) かは』。 喃々 ( のう/\ ) ( かど ) を叩きて、今や ( ) くると 待侘 ( まちわ ) ぶれども、内には寂然として聲なし。やゝありて人の 立居 ( たちゐ ) する音の聞ゆるに、 ( うれ ) しやと思ひきや、振鈴の響起りて、りん/\と鳴り渡るに、是れはと駭く横笛が、呼べども叫べども答ふるものは庭の木立のみ。

 月稍々西に傾きて、草葉に置ける露白く、桂川の水音 ( かすか ) に聞えて、秋の 夜寒 ( よさむ ) に立つ鳥もなき 眞夜中頃 ( まよなかごろ ) 、往生院の門下に蟲と共に泣き暮らしたる横笛、哀れや、紅花緑葉の衣裳、涙と露に ( しぼ ) るばかりになりて、濡れし袂に ( つゝ ) みかねたる恨みのかず/\は、そも何處までも浮世ぞや。我れから ( ) める ( おの ) が影も、 ( しを ) るゝ如く ( おも ) ほえて、 ( つれ ) なき人に ( くら ) べては、月こそ中々に哀れ深けれ。横笛、今はとて、涙に ( くも ) ( こゑ ) 張上 ( はりあ ) げて、『 ( のう ) 、瀧口殿、 葉末 ( はずゑ ) の露とも消えずして今まで立ちつくせるも、 ( わらは ) 赤心 ( まごゝろ ) 打明けて、許すとの御身が 一言 ( ひとこと ) 聞かんが爲め、夢と見給ふ昔ならば、 ( つれ ) なかりし横笛とは思ひ給はざるべきに、など斯くは慈悲なくあしらひ給ふぞ、今宵ならでは世を換へても相見んことのありとも覺えぬに、 ( のう ) 、瀧口殿』。

 春の花を欺く姿、秋の野風に ( さら ) して、恨みさびたる其樣は、如何なる大道心者にても、 心動 ( こゝろうご ) かんばかりなるに、峰の嵐に ( うづも ) れて嘆きの聲の聞えぬにや、鈴の音は調子少しも亂れず、行ひすましたる瀧口が心、飜るべくも見えざりけり。

 何とせん ( すべ ) もあらざれば、横笛は泣く/\ 元來 ( もとき ) ( みち ) を返り行きぬ。氷の如く澄める月影に、 道芝 ( みちしば ) の露つらしと拂ひながら、ゆりかけし ( たけ ) なる髮、優に波打たせながら、畫にある如き乙女の 歩姿 ( かちすがた ) は、 葛飾 ( かつしか ) 眞間 ( まゝ ) 手古奈 ( てこな ) が昔 ( しの ) ばれて、斯くもあるべしや。あはれ横笛、乙女心の今更に、命に懸けて思ひ決めしこと ( あだ ) となりては、歸り路に足進まず、我れやかたき、人や 無情 ( つれな ) き、嵯峨の奧にも秋風吹けば、いづれ浮世には漏れざりけり。