University of Virginia Library

     七

 幹事らしい男に案内せられて、梯子を登って来る、拊石という人を、どんな人かと思って、純一は見ていた。

 少し古びた黒の 羅紗服 ( らしゃふく ) を着ている。背丈は中位である。顔の色は蒼いが、アイロニイを帯びた快活な表情である。世間では鴎村と同じように、 継子 ( ままこ ) 根性のねじくれた人物だと云っているが、どうもそうは見えない。少し赤み掛かった、たっぷりある 八字髭 ( はちじひげ ) が、油気なしに 上向 ( うえむき ) ( ) じ上げてある。純一は、髭というものは白くなる前に、四十代で赤み掛かって来る、その頃でなくては、日本人では立派にはならないものだと思った。

 拊石は ( あが ) ( ぐち ) で大村を見て、「何か書けますか」と声を掛けた。

「どうも持って行って見て戴くようなものは出来ません」

「ちっと無遠慮に世間へ出して見給え。活字は自由になる世の中だ」

「余り自由になり過ぎて困ります」

「活字は自由でも、思想は自由でないからね」

  ( ゆるや ) かな調子で、人に強い印象を与える 詞附 ( ことばつき ) である。強い印象を与えるのは、常に思想が霊活に動いていて、それをぴったり適応した言語で表現するからであるらしい。

 拊石は会計掛の机の側へ案内せられて、座布団の上へ 胡坐 ( あぐら ) をかいて、小さい紙巻の煙草を出して ( ) んでいると、幹事が ( たく ) の向うへ行って、紹介の挨拶をした。

 拊石は不精らしく体を卓の向うへ運んだ。方々の話声の鎮まるのを、 ( しばら ) く待っていて、ゆっくり口を開く。不断の会話のような調子である。

「諸君からイブセンの話をして貰いたいという事でありました。わたくしもイブセンに就いて、別に深く考えたことはない。イブセンに就いてのわたくしの智識は、諸君の既に有しておられる智識以上に何物もあるまいと思う。しかし知らない事を聞くのは骨が折れる。知っていることを聞くの気楽なるに ( ) かずである。お菓子が出ているようだから、どうぞお菓子を食べながら気楽に聞いて下さい」

 こんな調子である。 声色 ( せいしょく ) を励ますというような処は少しもない。それかと云って、評判に聞いている 雪嶺 ( せつれい ) の演説のように 訥弁 ( とつべん ) の能弁だというでもない。平板極まる ( うち ) に、どうかすると非常に奇警な詞が、不用意にして出て来るだけは、雪嶺の演説を速記で読んだときと同じようである。

 大分話が進んで来てから、こんな事を言った。「イブセンは初め 諾威 ( ノオルウェイ ) の小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きな 欧羅巴 ( ヨオロッパ ) のイブセンになったというが、それが日本に伝わって来て、又ずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本へ持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。ニイチェの詞を思い出す。地球はその時小さくなった。そしてその上に何物をも小さくする、最後の人類がひょこひょこ ( おど ) っているのである。我等は幸福を発見したと、最後の人類は云って、目をしばだたくのである。日本人は色々な主義、色々なイスムを輸入して来て、それを ( もてあそ ) んで目をしばだたいている。何もかも日本人の手に ( ) っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、 ( こわ ) がるには当らない。何も 山鹿素行 ( やまがそこう ) や、四十七士や、水戸浪士を地下に起して、その小さくなったイブセンやトルストイに対抗させるには及ばないのです」まあ、こんな調子である。

 それから新しい事でもなんでもないが、純一がこれまで蓄えて持っている思想の中心を動かされたのは拊石が 諷刺 ( ふうし ) 的な語調から、 忽然 ( こつぜん ) 真面目になって、イブセンの個人主義に両面があるということを語り出した処であった。拊石は ( ) ず、次第にあらゆる習慣の ( いましめ ) を脱して、個人を個人として生活させようとする思想が、イブセンの生涯の作の上に、 所謂 ( いわゆる ) 赤い糸になって一貫していることを言った。「種々の別離を己は ( けみ ) した」という様な心持である。これを聞いている間は、純一もこれまで自分が舟に ( さお ) さして下って行く順流を、演説者も同舟の人になって下って行くように感じていた。ところが、拊石は話頭を一転して、「これがイブセンの自己の一面です、 Peer Gynt ( ペエル ギント ) に詩人的に発揮している自己の一面です、世間的自己です」と結んで置いて、別にイブセンには最初から他の一面の自己があるということを言った。「若しこの一面がなかったら、イブセンは 放縦 ( ほうじゅう ) を説くに過ぎない。イブセンはそんな人物ではない。イブセンには別に出世間的自己があって、始終向上して ( ) こうとする。それが Brand ( ブラント ) に於いて発揮せられている。イブセンは何の為めに習慣の朽ちたる ( つな ) を引きちぎって棄てるか。ここに自由を得て、身を 泥土 ( でいど ) ( ゆだ ) ねようとするのではない。強い翼に風を切って、高く遠く飛ぼうとするのである」純一はこれを聞いていて、その語気が少しも荘重に聞かせようとする様子でなく、依然として平坦な会話の調子を維持しているにも ( かかわ ) らず、無理に自分の乗っている船の 舳先 ( へさき ) ( めぐ ) らして逆に急流を ( さかのぼ ) らせられるような感じがして、それから暫くの間は、独りで深い思量に ( ふけ ) った。

  ( たと ) えば長い間集めた物を、一々心覚えをして箱に入れて置いたのを、人に上を下へと ( ) き交ぜられたような物である。それを元の通りにするのはむずかしい。いや、元の通りにしようなんぞとは思わない。元の通りでなく、どうにか整頓しようと思う。そしてそれが出来ないのである。出来ないのは無理もない。そんな整頓は ( もと ) より一朝一夕に出来る筈の整頓ではないのである。純一の耳には拊石の詞が遠い遠い物音のように、意味のない雑音になって聞えている。

 純一はこの雑音を聞いているうちに、ふと聴衆の動揺を感じて、殆ど無意識に耳を ( そばだ ) てると、丁度拊石がこう云っていた。

「ゾラの Claude ( クロオド ) は芸術を求める。イブセンのブラントは理想を求める。その求めるものの為めに、妻をも子をも犠牲にして顧みない。そして自分も滅びる。そこを 藪睨 ( やぶにらみ ) に睨んで、ブラントを諷刺だとさえ云ったものがある。実はイブセンは大真面目である。大真面目で向上の一路を示している。 悉皆 ( しっかい ) か絶無か。この理想はブラントという主人公の理想であるが、それが自己より ( ) でたるもの、自己の意志より出でたるものだという所に、イブセンの求めるものの内容が限られている。とにかく道は自己の ( ) く為めに、自己の開く道である。倫理は自己の 遵奉 ( じゅんぽう ) する為めに、自己の構成する倫理である。宗教は自己の信仰する為めに、自己の建立する宗教である。 一言 ( いちげん ) で云えば、 Autonomie ( オオトノミイ ) である。それを公式にして見せることは、イブセンにも出来なんだであろう。とにかくイブセンは求める人であります。現代人であります。新しい人であります」

 拊石はこう云ってしまって、聴衆は結論だかなんだか分らずにいるうちに、ぶらりとテエブルを離れて前に据わっていた座布団の上に戻った。

 あちこちに拍手するものがあったが、はたが応ぜないので、すぐに ( ) んでしまった。多数は演説が止んでもじっと考えている。一座は非常に静かである。

 幹事が閉会を告げた。

 下女が 鰻飯 ( うなぎめし ) ( どんぶり ) を運び出す。方々で話声はちらほら聞えて来るが、その話もしめやかである。自分自分で考えることを考えているらしい。 ( いましめ ) がまだ解けないのである。

 幹事が拊石を送り出すを相図に、会員はそろそろ帰り始めた。