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五の二
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五の二

 茶を ( ) て来て今 ( まか ) らんとしつる幾はやや驚きて

 「まあ、 明日 ( あす ) 帰京 ( かえり ) 遊ばすんで。へエエ。せっかくおなじみになりかけましたのに」

 老婦人もその和らかなる 眼光 ( まなざし ) に浪子を包みつつ

 「 ( わたくし ) もも少し 逗留 ( とうりゅう ) して、お話もいたしましょうし、ごあんばいのいいのを見て帰りたいのでございますが――」

 言いつつ 懐中 ( ふところ ) より小形の本を取り ( いだ ) し、

 「これは聖書ですがね。まだごらんになったことはございますまい」

 浪子はいまださる ( もの ) を読まざるなり。 彼女 ( かれ ) が継母は、その英国に留学しつる間は、信徒として知られけるが、帰朝の日その信仰とその聖書をば ( ) げてその古靴及び 反故 ( ほご ) とともにロンドンの 仮寓 ( やどり ) にのこし来たれるなり。

 「はい、まだ拝見いたした事はございませんが」

 幾はなお立ち去りかねて、老婦人が手中の書を、目を ( つぶら ) にしてうちまもりぬ。手品の種はかのうちに、と思えるなるべし。

 「これからその何でございますよ、御気分のよろしい時分に、読んでごらんになりましたら、きっとおためになることがあろうと思いますよ。 ( わたくし ) も今少し 逗留 ( とうりゅう ) していますと、いろいろお話もいたすのですが――今日はお 告別 ( わかれ ) に私がこの書を読むようになりましたその 来歴 ( しまつ ) をね、、お話し

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したいと思いますが。あなたお疲れはなさいませんか。何なら御遠慮なくおやすみなすッて」

 しみじみと耳 ( かたぶ ) けし浪子は顔を上げつ。

 「いいえ、ちょっとも疲れはいたしません。どうかお話し遊ばして」

 茶を入れかえて、幾は次に立ちぬ。

 小春日の午後は ( ) よりも静かなり。海の音遠く、障子に映る松の影も動かず。ただはるかに小鳥の音の清きを聞く。東側のガラス障子を透かして、秋の空高く澄み、 ( にしき ) に染まれる桜山は午後の日に燃えんとす。老婦人はおもむろに茶をすすりて、うつむきて被布の ( ひざ ) をかいなで、仰いで浪子の顔うちまもりつつ、静かに口を開き始めぬ。

 「人の一生は長いようで短く、短いようで長いものですよ。

 私の父は旗本で、まあ歴々のうちでした。とうに人の ( もの ) になってしまったのですが、ご存じでいらッしゃいましょう、 小石川 ( こいしかわ ) の水道橋を渡って、少しまいりますと、大きな ( えのき ) が茂っている所がありますが、私はあの屋敷に生まれましたのです。十二の年に母は果てます、父はひどく力を落としまして 後妻 ( あと ) もとらなかったのですから、子供ながら私がいろいろ家事をやってましたね。それから弟に嫁をとって、私はやはり 旗下 ( はたもと ) の、格式は少し上でしたが小川の ( うち ) にまいったのが、二十一の年、あなた方はまだなかなかお生まれでもなかったころでございますよ。

 私も女大学で育てられて、辛抱なら人に負けぬつもりでしたが、実際にその場に当たって見ますと、本当に身にしみてつらいことも随分多いのでしてね。 時勢 ( とき ) 時勢 ( とき ) で、 良人 ( おっと ) は滅多に ( うち ) にいませず、 舅姑 ( しゅうと ) に良人の 姉妹 ( きょうだい ) 二人 ( ふたり ) =これはあとで縁づきましたが=ありまして、まあ主人を五人もったわけでして、それは人の知らぬ心配もいたしたのですよ。 ( しゅうと ) はそうもなかったのですが、 ( しゅうとめ ) がよほど ( つか ) えにくい人でして、実は私の前に、嫁に来た 婦人 ( ひと ) があったのですが、 半歳 ( はんとし ) 足らずの間に、逃げて帰ったということで、亡くなッた人をこう申すのははしたないようですが、気あらな、押し強い、弁も達者で、まあ俗に ( せな ) かを打って ( のど ) をしむるなど申しますが、ちょっとそんな人でした。私も十分辛抱をしたつもりですが、それでも時々は辛抱しきれないで、 屏風 ( びょうぶ ) の陰で泣いて、赤い目を見てしかられてまた泣いて、亡くなった母を思い出すのもたびたびでした。

 そうするうちに維新の騒ぎになりました。江戸じゅうはまるで ( なべ ) のなかのようでしてね。良人も父も弟もみんな 彰義隊 ( しょうぎたい ) で上野にいます、それに舅が大病で、私は 懐妊 ( みもち ) というのでしょう。ほんとに気は気でなかったのでした。

 それから上野は落ちます、良人は 宇都宮 ( うつのみや ) からだんだん 函館 ( はこだて ) までまいり、父は行くえがわからなくなり、弟は上野で 討死 ( うちじに ) をいたして、その家族も 失踪 ( なくな ) ってしまいますし、舅もとうとう病死をしましてね、そのなかでわたくしは産をいたしますし、何が何やらもう夢のようで、それから 家禄 ( かろく ) はなくなる、家財はとられますし、私は姑と年寄りの ( ぼく ) 一人 ( ひとり ) 連れましてね、当歳の ( ) を抱いてあの箱根をこえて 静岡 ( しずおか ) に落ちつくまでは、恐ろしい夢を見たようでした」

 この時看護婦入り来たりて、会釈しつつ、薬を浪子にすすめ終わりて、 ( ) で行きたり。しばし 瞑目 ( めいもく ) してありし老婦人は目を開きて、また語りつづけぬ。

 「静岡での幕士の苦労は、それはお話になりませんくらいで、将軍家がまずあの通り、 ( かつ ) 先生なんぞも 裏小路 ( うらこうじ ) の小さな家にくすぶっておいでの時節ですからね、五千石の私どもに三人 扶持 ( ぶち ) はもったいないわけですが、しかし恥ずかしいお話ですが、そのころはお豆腐が一 ( ちょう ) とは買えませんで、それに姑はぜいたくになれておるのですから、ほんとに気をもみましたよ。で、私はね、町の女子供を寄せて手習いや、 裁縫 ( しごと ) を教えたり、夜もおそくまで、賃仕事をしましてね。それはいいのですが、姑はいよいよ気が荒くなりまして、時勢のしわざを私に負わすようなわけで、それはひどく当たりますし、 良人 ( おっと ) はいませず=良人は函館後はしばらく ( ろう ) ( はい ) っていました=父の行くえもわかりませんし、こんな事なら死んだ方がと思ったことは日に幾たびもありましたが、それを思い返し思い返ししていたのです。本当にこのころは一年に年の十もとりましたのですよ。

 そうするうちに、良人も陸軍に召し出さるるようになって、また箱根をこえて、もう東京ですね、その東京に帰ったのが、さよう、明治五年の春でした。その翌春良人は洋行を命ぜられましてね。 朝夕 ( ちょうせき ) の心配はないようになったのですが、 ( しゅうと ) の気分は一向に変わりませず――それはいいのでございますが、気にかかる父の行くえがどうしてもわかりません。

 良人が洋行しましたその秋、ひどい雨の降る日でしたがね、小石川の 知己 ( しるべ ) までまいって、その ( うち ) で雇ってもらった車に乗って帰りかけたのです。日は暮れます、ひどい雨風で、私は ( ほろ ) ( うち ) に小さくなっていますと、 車夫 ( くるまや ) はぼとぼとぼとぼと引いて行きましょう、 饅頭笠 ( まんじゅうがさ ) をかぶってしわだらけの 桐油合羽 ( とうゆがっぱ ) をきているのですが、雨がたらたらたらたら合羽から落ちましてね、 提灯 ( ちょうちん ) の火はちょろちょろ道の上に流れて、 車夫 ( くるまや ) は時々ほっほっ 太息 ( といき ) をつきながら引いて行くのです。ちょうど水道橋にかかると、提灯がふっと消えたのです。 車夫 ( くるまや ) 梶棒 ( かじぼう ) をおろして、奥様、お気の毒ですがその腰掛けの下にオランダ付け木(マッチの事ですよ)がはいっていますから、というのでしょう。風がひどいのでよくは聞こえないのですがその声が変に聞いたようでね、とやこうしてマッチを出して、 蹴込 ( けこ ) みの方に向いてマッチをする、その 火光 ( あかり ) 車夫 ( くるまや ) の顔を見ますと、あなた、父じゃございませんか」

 老婦人がわれにもあらず顔打ちおおいぬ。浪子は 汪然 ( おうぜん ) として泣けり。次の間にも 飲泣 ( いきすすり ) の声聞こゆ。