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六の二

  丸髷 ( まるまげ ) 揚巻 ( あげまき ) にかえしそのおりなどは、まだ「お嬢様、おやすくお ( とも ) いたしましょう」と見当違いの 車夫 ( くるまや ) に言われて、召使いの者に奥様と呼びかけられて返事にたゆとう事はなきようになれば、花嫁の心もまず少しは落ちつきて、 初々 ( ういうい ) しさ恥ずかしさの 狭霧 ( さぎり ) 朦朧 ( ぼいやり ) とせしあたりのようすもようよう目に ( わか ) たるるようになりぬ。

 家ごとに変わるは家風、 御身 ( おんみ ) には言って聞かすまでもなけれど、構えて 実家 ( さと ) を背負うて 先方 ( さき ) へ行きたもうな、片岡浪は今日限り亡くなって今よりは川島浪よりほかになきを忘るるな。とはや晴れの衣装着て馬車に乗らんとする前に父の書斎に呼ばれてねんごろに言い聞かされしを忘れしにはあらねど、さて来て見れば、家風の相違も大抵の事にはあらざりけり。

  資産 ( しんだい ) はむしろ 実家 ( さと ) にも ( まさ ) りたらんか。新華族のなかにはまず 屈指 ( ゆびおり ) といわるるだけ、武男の父が久しく県令知事務めたる ( ) に積みし ( たから ) 鉅万 ( きょまん ) に上りぬ。さりながら 実家 ( さと ) にては、父中将の名声 海内 ( かいだい ) ( さわ ) ぎ、今は予備におれど交際広く、 昇日 ( のぼるひ ) の勢いさかんなるに引きかえて、こなたは武男の父通武が没後は、 存生 ( ぞんじょう ) のみぎり何かとたよりて来し大抵の ( やから ) はおのずから足を遠くし、その上 親戚 ( しんせき ) も少なく、知己とても多からず、 未亡人 ( おふくろ ) は人好きのせぬ方なる上に、これより家声を興すべき当主はまだ年若にて官等も ( ひく ) き家にあることもまれなれば、家運はおのずから ( よど ) める水のごとき模様あり。 実家 ( さと ) にては、継母が派手な西洋好み、もちろん経済の講義は得意にて妙な所に節倹を行ない「奥様は 土産 ( みやげ ) のやりかたもご存じない」と ( おんな ) どもの陰口にかかることはあれど、そこは軍人 交際 ( づきあい ) の概して何事も派手に押し出してする方なるが、こなたはどこまでも昔風むしろ 田舎風 ( いなかふう ) の、よくいえば昔忘れぬたしなみなれど、実は趣味も理屈もやはり米から自分に ( ) いたる時にかわらぬ未亡人、何でもかでも自分でせねば頭が痛く、亡夫の時 ( ぼく ) かなんぞのように使われし 田崎某 ( たざきなにがし ) といえる正直一図の男を執事として、これを相手に月に ( まき ) が何 ( ) 炭が何俵の勘定までせられ、「 ( おっか ) さん、そんな事しなくたって、菓子なら 風月 ( ふうげつ ) からでもお取ンなさい」と時たま帰って来て武男が言えど、やはり手製の 田舎羊羹 ( いなかようかん ) むしゃりむしゃりと ( ほお ) ばらるるというふうなれば、 ( うば ) の幾が浪子について来しすら「 大家 ( たいけ ) はどうしても違うもんじゃ、武男が五器 ( わん ) 下げるようにならにゃよいが」など常に当てこすりていられたれば、幾の排斥もあながち障子の外の立ち聞きゆえばかりではあらざりしなるべし。

  悧巧 ( りこう ) なようでも十八の花嫁、まるきり違いし家風のなかに突然入り込みては、さすが事ごとに惑えるも無理にはあらじ。されども浪子は父の 訓戒 ( いましめ ) ここぞと、われを ( おさ ) えて何も家風に従わんと決心の ( ほぞ ) を固めつ。その決心を試むる機会は 須臾 ( すゆ ) に来たりぬ。

 伊香保より帰りてほどなく、武男は遠洋航海におもむきつ。軍人の妻となる身は、留守がちは覚悟の上なれど、新婚間もなき別離はいとど ( はらわた ) を断ちて、その当座は手のうちの玉をとられしようにほとほと何も手につかざりし。

 おとうさまが縁談の初めに ( ) いたもうて至極気に入ったとのたまいしも、添って見てげにと思い当たりぬ。 鷹揚 ( おうよう ) にして男らしく、さっぱりとして情け深く寸分 鄙吝 ( いや ) しい所なき、本当に若いおとうさまのそばにいるような、そういえば肩を揺すってドシドシお歩きなさる様子、子供のような笑い声までおとうさまにそっくり、ああうれしいと浪子は一心にかしずけば、武男も初めて持ちし妻というものの限りなくかわゆく、 独子 ( ひとりご ) の身は妹まで添えて得たらん 心地 ( ここち ) して「浪さん、浪さん」といたわりつ。まだ三月に足らぬ契りも、過ぐる世より相知れるように親しめば、しばしの 別離 ( わかれ ) もかれこれともに限りなき傷心の 種子 ( たね ) とはなりけるなり。さりながら浪子は ( なが ) 別離 ( わかれ ) ( いた ) む暇なかりき。武男が出発せし後ほどもなく姑が持病のリュウマチスはげしく起こりて例の 癇癪 ( かんしゃく ) のはなはだしく、幾を 実家 ( さと ) へ戻せし後は、別して辛抱の力をためす機会も多かりし。

 新入の学生、その当座は故参のためにさんざんにいじめられるれど、のちにはおのれ故参になりて、あとの新入生をいじめるが、何よりの楽しみなりと書きし人もありき。綿帽子 ( ) っての心細さ、たよりなさを覚えているほどの姑、義理にも嫁をいじめられるものでなけれど、そこは 凡夫 ( ぼんぷ ) のあさましく、花嫁の花落ちて、姑と名がつけば、さて手ごろの嫁は来るなり、わがままも出て、いつのまにかわがつい先年まで大の大の大きらいなりし姑そのままとなるものなり。「それそれその ( おくみ ) は四寸にしてこう返して、イイエそうじゃありません、こっちよこしなさい、 二十歳 ( はたち ) にもなッて、お嫁さまもよくできた、へへへへ」とあざ笑う声から目つき、われも 二十 ( はたち ) の花嫁の時ちょうどそうしてしかられしが、ああわれながら恐ろしいとはッと思って改むるほどの姑はまだ上の上、目にて目を償い、歯にて歯を償い、いわゆる江戸の姑のその ( かたき ) を長崎の嫁で ( ) って、知らず知らず平均をわが一代のうちに求むるもの少なからぬが世の中。浪子の姑もまたその 一人 ( ひとり ) なりき。

 西洋流の継母に鍛われて、今また昔風の姑に ( ) らるる浪子。病める 老人 ( としより ) の用しげく ( おんな ) を呼ばるるゆえ、しいて「わたくしがいたしましょう」と引き取ってなれぬこととて意に満たぬことあれば、こなたには礼を言いてわざと召使いの者を例の 大音声 ( だいおんじょう ) にしかり飛ばさるるその声は、十年がほども継母の雄弁冷語を聞き尽くしたる耳にも今さらのように聞こえぬ。それも初めしばしがほどにて、後には 癇癪 ( かんしゃく ) ( ほこさき ) 直接に 吾身 ( われ ) に向かうようになりつ。幾が去りし後は、たれ慰むる者もなく、時々はどうやらまた昔の日陰に立ち戻りし 心地 ( ここち ) もせしが、 部屋 ( へや ) に帰って机の上の銀の写真掛けにかかったたくましき海軍士官の 面影 ( おもかげ ) を見ては、うれしさ恋しさなつかしさのむらむらと込み上げて、そっと手にとり、食い入るようにながめつめ、キッスし、 ( ほお ) ずりして、今そこにその人のいるように「早く帰ッてちょうだい」とささやきつ。 良人 ( おっと ) のためにはいかなる辛抱も楽しと思いて、われを捨てて姑に ( つか ) えぬ。