University of Virginia Library

第四


鹽冶判官閉居によつて扇が谷の上屋敷。大竹にて門戸を閉。家中の外は出入を とゞめ。


フシ

事嚴重に見へにける。


フシ

かゝる折にも。花やかに


小ヲクリ

奧は。媚く女中の遊び。みだい所かほよ御前。お傍には大星力彌。殿のお 氣を慰めんと。鎌倉山の八重九重色々櫻。花籠に。生らるゝ花よりも。


フシ

生る人こそ花紅葉。



柳の間の廊下を傳ひ諸士頭原郷右衞門。跡に續て斧九太夫。



是は/\力彌殿早い御出仕。イヤ某も國本より親共が參る迄。晝夜相詰罷有。



それは御奇特千万と郷右衞門兩手をつき。



今日殿の御機嫌は。いかゞお渡り遊ばさるると。



申上ればかほよ御前。



ヲヽ二人共太義/\。此度は判官樣お氣詰りに思しめし。おしつらひでも出よふ かと案じたとは格別。明暮築山の花ざかり御らうじて。御機嫌のよいお顏ばせ。



それ故に自もお慰に指上ふと。名有櫻を取寄て見やる通の花拵へ。



アヽいか樣にも仰の通。花は開く物なれば御門も開き。閉門を御赦さるゝ吉事の 御趣向。拙者も何がなと存ずれど。かやうな事の思ひ付は。無重寶成郷右衞門。ヤア 肝心の事申上ん。今日御上使のお出と承はりしが。定て殿の御閉門を御赦さるゝ御上 使ならん。何と九太夫殿。そふは思召れぬか。ハヽヽヽコレ郷右衞門殿。此花といふ物も。當分人の目を悦ばす計。風がふけば散失る。こなたの詞 もまつ其ごとく。人の心を悦ばさふ迚。武士に似合ぬ。ぬらりくらりと跡から禿る正 月詞。なぜとおいやれ。此度殿の御越度は。饗應の御役義を蒙りながら。執事たる人 に手を負せ。舘を騒せし科。輕うて流罪。重うて切腹。じたい又師直公に。敵對は殿 の御不覺と。



聞もあへず郷右衞門。



扨は其方殿の流罪切腹を願はるゝか。イヤ願ひは致さねど。詞を餝ず眞實を申の じや。もとをいへば郷右衞門殿。こなたの悋惜しはさから發た事。金銀を以て頬をは りめさるれば。ケ樣な事は出來申さぬと。



己が心に引當て。欲面打けす郷右衞門。



人に媚諂ふは侍でない武士でないなふ力彌殿。



何とそふでは有まいかと。詞の角をなだむる御臺。二人共に爭ひ無用。



今度夫の御難義なさる。元の發は此かほよ。日外鶴が岡で饗應の折から。道しら ずの師直。主の有自に無體な戀を言かけ。樣々とくどきしが。恥をあたへ懲させんと。 判官樣にもしらさず。



歌の點に事寄。さよ衣の歌を書恥しめてやつたれば。



戀の叶はぬ意趣ばらしに判官樣に惡口。元來短氣なお生れ付。



得堪忍なされぬはお道理でないかいのと。語り給へば郷右衞門力彌も倶に御主君 の。御憤を察し入。


フシ

心外面に顯はせり。



早御上使の御出と玄關廣間ひしめけば。奧へかくと通じさせ御臺所も座をさがり 三人出向ふ間もなく。入來る上使は石堂右馬之丞。師直が昵近藥師寺次郎左衞門。 役目なれば罷通と會釋もなく上座に着ば。一間の内より鹽冶判 官。しづ/\と立出。



是は/\。御上使と有て石堂殿御苦勞千万。先お盃の用意せよ。



御上使の趣承はり。いづれもと一獻酌。積欝をはらし申さん。



ヲヽそれようござろ。藥師寺もお間致さふ。したが上意を聞れたら。酒も咽へ通 るまいと。



あざ笑へば右馬之丞。



我々今日。上使に立たる其趣。具に承知せられよと。



懷中より御書取出し。押開けば判官も


スヱ

席を。改め承はる其文言。



此度鹽冶判官高定。私の宿意を以て執事高師直を刄傷に及び。舘を騒せし科によ つて。國郡を没収し。切腹申付る者也。



聞よりはつと驚く御臺。並居る諸士も顏見合せ


フシ

あきれ果たる計也。



判官動ずる氣色もなく。御上意の趣委細承知仕る。



扨是からは。各の御苦勞休めに。打くつろいで御酒一つ。コレ/\判官だまりめ され。其方が今度の科は。縛り首にも及ぶべき所。お上の慈悲を以て。切腹仰付ら るゝを有がたう思ひ。早速用意もすべき筈。殊に以て切腹には定つた法の有物。夫に 何ぞや。當世樣の長羽織。ぞべら/\としらるゝは。酒興か但血迷ふたか。



上使に立たる石堂殿。此藥師寺へぶ作法と。きめ付ればにつこと笑ひ。



此判官酒興もせず血迷ひもせぬ。今日上使と聞よりも。斯あらんと期したる故。 兼ての覺悟見すべしと。



大小羽織を脱捨れば。下には用意の白小袖無紋の上下死裝束。皆々是はと驚けば。 藥師寺は言句も出ず。


フシ

顏ふくらして閉口す。



右馬之丞指寄て。



御心底察し入。則拙者檢使の役。心靜に御覺悟。アヽ御深切忝し。刄傷に及びし より。斯あらんとは兼ての覺悟。うらむらくは舘にて。加古川本藏に抱留られ。



師直を討もらし無念骨髄に通つて忘がたし。



湊川にて楠正成。最期の一念によつて生を引といひしごとく。生かはり死かはり。 欝憤を晴さんと。



怒の聲と諸共に。お次の襖打たゝき。



一家中の者共。殿の御存生に御尊顏を拜したき願ひ。御前へ推參致さんや。郷右 衞門殿お取次と。



家中の聲々聞ゆれば。郷右衞門御前に向ひ。



いかゞ計ひ候はん。フウ尤成願ひなれ共。由良助が參る迄無用/\。



はつと計一間に向ひ。



聞るゝ通の御意なれば。一人も叶はぬ/\。



諸士は返す詞もなく一間もひつそと。


フシ

しづまりける。



力彌御意を承はり。兼て用意の腹切 刀御前に直すれば。心靜に肩衣取退座をく つろげ。



コレ/\御檢使。御見屆下さるべしと。



三方引寄九寸五分押戴。



力彌/\。ハア。由良助は。いまだ參上仕りませぬ。フウ。ヱヽ存生に對面せで 殘念。ハテ殘り多やな。是非に及ばぬ是迄と。



刀逆手に取直し。弓手に突立引廻す。御臺二目と見もやらず口に稱名目に涙。廊 下の襖踏開き。かけ込大星由良助。主君の有樣見るよりも。はつと計にどふどふす。 跡に續て千崎矢間。其外の一家中


フシ

ばら/\とかけ入たり。



ヤレ由良助待兼たはやい。ハア御存生の御尊顏を拜し。身に取て何程か。ヲヽ我 も滿足/\。定めて子細聞たであろ。ヱヽ無念口惜いはやい。 委細承知仕る。此期に及び。申上る詞もなし。只御最期の尋常を。願はしう存まする。



ヲヽいふにや及ぶと諸手をかけ。ぐつ/\と引廻し。くるしき息をほつとつき。



由良助。此九寸五分は汝へ筐。我欝憤を晴させよと。



切先にてふゑ刎切。血刀投出しうつぶせに。どうとまろび息絶れば。御臺を始並 ゐる家中。眼を閉息を詰齒を喰しばり扣ゆれば。由良助にじり寄刀取上押戴。血に染 る切先を打守り/\拳を握り。無念の涙はらはら/\。判官の末期の一句五臟六腑に しみ渡り。扨こそ末世に大星が。忠臣義心の名を上し


フシ

根ざしは。斯としられける。



藥師寺はつつ立上り。



判官がくたばるからは早々屋敷を明渡せ。イヤさはいはれな藥師寺。いはゞ一國 一城の主。ヤ旁。葬々の規式取賄ひ。心しづかに立退れよ。此石堂は檢使の役目。切 腹を見屆たれば。此旨を言上せん。ナニ由良助殿。御愁傷察し入。



用事あらば承はらん必心おかれなと。並居る諸士に目禮し。


フシ

悠々として立歸る。



此藥師寺も死骸片付る其間。奧の間で休息せう。



家來參れと呼出し。家中共ががらくた道具門前へほうり出せ。判官が所持の道具。 俄浪人にまげられなと。



舘の四方をねめ廻し。


フシ

一間の内へ入にける。



御臺はわつと聲を上。扨も/\武士の身の上程悲しい物の有べきか。今夫の御最 期に云たい事は山々なれど。未練なと御上使のさげしみが恥しさに。今迄こらへて居 たわいの。いとをしの有樣やと。亡骸に抱付


フシ

前後も。わかず泣給ふ。



力彌參れ。御臺所諸共亡君の御骸を。御菩提所光明寺へ早々送り奉れ。由良助も 跡より追付。葬々の規式取行はん。堀矢間小寺間。其外の一家中道のけいご致されよ と。



詞の下より御乘物手舁にかきすへ戸をひらき。皆立寄て御死骸


フシ

涙と倶に。のせ奉りしづ/\とかき上れば。御臺所は正體なく歎給ふをなぐさ めて。諸士のめん/\我一と。御乘物に引添/\


ヲクリ

御菩提所へと急行。



人々御骸見送つて。座につけば斧九太夫。



何大星殿。其元は御親父八幡六郎殿よりの家老職。拙者迚も其右には坐せ共。 今日より浪人となり。妻子をはごくむ術なし。殿の貯置給ふ御用金を配分し。早く屋 敷を渡さずば。藥師寺殿へ無禮ならん。イヤ千崎が存るには。さす敵の高師直。存命 なるが我々が欝憤。討手を引受此舘を枕として。アヽこれ/\。討死とは惡い了簡。 親九太夫の申さるゝ通屋敷を渡し。金銀を分て取が上分別と。



評義の中に由良助。默然として居たりしが。



只今の評定に。彌五郎の所存と。我胸中一致せり。いはゞ亡君の御爲に。我々順 死すべき筈むざ/\と腹切ふより。足利の討手を待受。討死と一決せり。ヤア何とい はるゝ。よい評定かと思へば。浪人の痩顏はり。足利殿に弓ひかふ。アヽ夫は無分別。 マア此九太夫合點がいかぬ。ヲヽ親父殿そふじや/\。此定九郎も其意を得ぬ。



此談合にははぶいて貰はふ。長居は無益お歸りなされ。



夫よかろ。



いづれもゆるりと居めされと。


フシ

親子打連立歸る。



ヤア欲頬の斧親子。討死を聞おぢして逃歸つたる憶病者。きやつ構はずと大星殿。 討手を待御用意/\。



アヽさはがれな彌五郎。足利殿に何恨有て弓引べき。彼等親子が心底をさぐらん 爲の計略。藥師寺に屋敷を渡し。思ひ/\に當所を立退。



都山科にて再會し。胸中殘さず打明て。評義をしめんといふ間もあらず。次郎左 衞門一間を立出。



ハテべん/\と長詮義。死骸片付たら。早く屋敷を明渡せと。



いがみかゝれば郷右衞門。アヽ成程お待兼。亡君所持の御道具。其外の武具馬具 迄よく/\改め請とられよ。サア由良助殿退散あれ。



ヲヽ心得たりとしづ/\と立上り。



御先祖代々。我々も代々。



晝夜つめたる舘の内。けふを限りと思ふにぞ。名殘惜げに見送り。/\御門


フシ

外へ立出れば。



御から送り奉り。力彌矢間堀小寺追々に馳歸り。



扨は屋敷をお渡し有たか。此上は直義の。



討手を引受討死せんと。はやり立ば由良助。イヤ/\今死べき所にあらず。是を 見よ旁と。



亡君の御筐を拔放し。



此鋒には。我君の御血をあやし。御無念の魂を殘されし九寸五分。此刀にて師直 が。首かき切て本意をとげん。



實尤と諸武士の勇。やしきの内には藥師寺次郎。門の貫の木はつしと立させ。



師直公の罰が當り。扨よいざま/\と。



家來一度に手をたゝき。どつと笑ふ。


フシ

ときの聲。



アレ聞れよと若侍取て返すを由良助。



先君の御憤り晴さんと思ふ所存はないか。



はつと一度に立出しが。思へば無念と舘の


コハリ

内を。ふり返り/\。はつたと睨で。


三重

/\[utaChushin] 立出る