University of Virginia Library

第二

フシ

空も彌生のたそかれ時。



桃井若狹助安近の。舘の行儀はき掃除。お庭の松も幾千代を守る舘の執權職。加 古川本藏行國。年も五十の分別盛。


フシ

上下ため付書院先。



あゆみくる共白洲の下人。



ナント關内。此間はお上にはでつかちないお拵へ。都からのお客人。きのふは鶴 が岡の八幡へ御社參。おびたゝしいお物入アヽ其銀の入目がほしい。其銀が有たらこ の可介。名を改めて樂しむになア。何じや名を改めて樂しむとは珍らしい。そりや又 何と替る。ハテ角助と改て胴を取て見る氣。ナニばかつらなわりやしらないか。きの ふ鶴が岡で。是の旦那若狹助樣。いかふ不首尾で有たげな。子細はしらぬが師直殿が 大きな恥をかゝせたと奴部屋の噂。定て又無理をぬかして。お旦那をやりこめ



おつたであろと


フシ

さがなき口々。



ヤイ/\何をざは/\とやかましいお上の取ざた。殊に御前 の御病氣。お家の恥 辱に成こと有ば此本藏聞流し置べきや。禍は下部の嗜。掃除の役目仕廻たら。皆いけ



/\と和らかに。女小性が持出る。たばこ輪をふく雲をふく。


本フシ

廊下音なふ衣の香や。本藏がほんさうの一人娘の小浪御寮。母のとなせ諸共 にしとやかに立出れば。



是は/\兩人共御前のお伽は申さいで。自身の遊びか不行義千万。イヱ/\今日 は御前樣殊外の御機嫌。今すや/\とお休夫でナア母樣。イヤ申本藏殿。先程御前の 御物語。きのふ小浪が鶴が岡へ御代參の歸るさ。殿若狹助樣。高師直殿詞諍ひ遊ばせ しとの御噂。たがいふとなくお耳に入夫は/\きついお案じ。夫本藏子細くはしく知 ながら。自に隱すのかやとお尋遊ばす故。小浪に樣子を尋ぬれば。是もわたしと同事。



何にも樣子は存ませぬとのお返事。御病氣のさはりお家の恥に成事なら。



アヽこれ/\となせ。夫程のお返事なぜ取繕ふて申上ぬ。主人は生得御短慮なる お生付。何の詞論ひなどゝは。女わらべの口くせ。一言半句にても舌三寸の誤りより 身をはたすが刀の役目。武士の妻でないか。それ程の事に氣が付ぬか嗜めさ嗜めさ。 ナニ娘。そちは又御代參の道すがら。左樣の噂はなかりしか。但有たか。ナニない。 ヲヽ其筈/\。ハヽヽヽなんのべしてもない事を。よし/\奥方のお心休め。



直にお目にかからんと


フシ

立上る折こそあれ。



當番の役人罷出。



大星由良助樣の御子息。大星力彌樣御出なりと申上る。ムヽ お客御馳走の申合せ。判官殿よりのお使ならんこなたへ通せ。コレとなせ其方は御口 上受取殿へ其通り申上られよ。お使者は力彌。娘小浪と言号の聟殿。御馳走申しやれ。



先奥方へ御對面と


ヲクリ

云捨[utaChushin] 一間に入にける。



となせは娘を傍近くなふ小浪。



とゝ樣のかたくろしいは常なれど。今おつしやつた御口上。請取役はそなたにと 有そな所を。となせにとは母が心とはきつい違ひ。そもじも又力彌殿の顏も見たかろ。 逢たかろ。母にかはつて出むかやゝ。



いやか/\と問返せば。あい共いや共返答は


フシ

あからむ顏のおぼこさよ。



母は娘の心を汲アイタヽヽ。娘せなを押てたも。是は何と遊ばせしとうろたへさ はげばイヤなふ。



けさからの心づかひ又持病の積が指込だ。是ではどふもお使者に逢れぬ。アイ タヽヽ娘。太義ながら御口上も受取。御馳走も申てたも。お主と持病には勝れぬ。



/\とそろ/\と立上り。



娘や隨分御馳走申しやや。したが餘り馳走過。大事の口上忘れまいぞ。わしも聟 殿にアイタヽ。



あいたからうの奧樣は。


フシ

氣を通してぞ奧へ行。



小浪は御跡伏拜み/\。



忝い母樣。日比戀し床しい力彌樣。あはゞどふいをかういをと。



娘心のどき/\と。


フシ

胸に小浪を打寄る。



疊ざはりも故實を糺し入來る大星力彌。まだ十七の角髪や。二つ巴の定紋に


フシ

大小。立派さはやかに。



遉大星由良助が子息と見へし其器量。しづ/\と座に直り。



たそお取次頼奉ると



慇懃に相述る。小浪ははつと手をつかへじつと見かはす顏と 顏。互の胸に戀人と。物も得いはぬ赤面は。梅と櫻の花相撲に


フシ

枕の行司なかりけり。



小浪漸胸押しづめ。



是は/\御苦勞千万にようこそお出。只今の御口上受取役は私。御口上の趣を。 お前の口からわたしが口へ。



直におつしやつて下さりませと摺寄れば身をひかへ。



ハア是は/\ぶ作法千万。惣じて口上受取渡しは。行義作法第一と。



疊をさがり手をつかへ。



主人鹽冶判官より若狹助樣への御口上。明日は管領直義公へ未明より相詰申す筈 の所。定めてお客人も早々にお出あらん。然れば判官若狹助兩人は、正七つ時に急度 御前へ相詰よと師直樣より御仰。万事間違のなき樣に今一應御使者に參れと。主人判 官申付候故右の仕合此通若狹助樣へ御申上下さるべしと。



水を流せる口上に。小浪はうつかり顏見とれ。


フシ

とかふ。諾もなかりけり。



ヲヽ聞た/\使太義と若狹助。一間より立出。



昨日お別れ申てより。判官殿間違てお目にかゝらず。成程正七つ時に貴意得奉ら ん。委細承知仕る。判官殿にも御苦勞千万と。宜しく申傳へてくれられよ。お使者太 義。然らばお暇申上ん。ナニお取次の女中御苦勞と。



しづ/\立て見向もせず衣紋繕ひ立歸る。



本藏一間より立かはり。



ハア殿是に御入。彌明朝は。正七つ時に御登城御苦勞千万。今宵も最早九つ。暫 く御間睡遊ばされよ。成程/\。イヤ何本藏。其方にちと用事有密々の事。小浪を奧 へ/\。ハアコリヤ/\娘。用事あらば手を打ふ奧へ



/\と娘を追やり。合點の行ぬ主人の顏色と御傍へ立寄。



先程よりお伺ひ申さんと存ぜし所。委細具に御仰。



下さるべしと指寄ばにじり寄。



本藏今此若狹助が云出す一言。何に寄ず畏り奉ると二言と返さぬ誓言聞ふ。ハア 是は/\改まつた御詞。畏り入奉るではござれ共。武士の誓言は。ならぬといふのか。 イヤ左にあらず。先委細とつくと承はり。子細をいはせ跡で異見か。イヤ夫は。詞を 背くか。サア何と。ハツ



はつと計指うつむき


フシ

暫く。詞なかりしが。



胸を極て指添拔。片手に刀拔出し。てう/\/\と金打し。



本藏が心底かくの通り。とゞめも致さず他言もせぬ。先思召の一通おせきなされ ずと。本藏めが胃の腑に。落付樣にとつくりと承はらんと相述る。ムヽ一通語つて聞 せん此度管領足利左兵衞督直義公。鶴が岡造營故。此鎌倉へ御下向。御馳走の役は鹽 冶判官。某兩人承はる所に。尊氏將軍よりの仰にて。高師直を御添入。万事彼が下地 に任せ御馳走申上よ。年ばいといひ諸事物馴たる侍と。御意に隨ひ勝に乘て日比の我 儘十倍増。都の諸武士並居る中。若年の某を見込雜言過言眞二つにと思へ共。お上の 仰を憚り。堪忍の胸を押へしは幾度。明日は最早了簡ならず。御前に於て恥面かかせ る武士の意路。其上にて討て捨る必留めるな。日比某を短慮成と奧を始其方が異見。 幾度か胸にとつくと合點なれ共。無念重る武士の性根。家の斷絶奧が歎。思はんにて はなけれ共。刀の役目弓矢神への恐れ。



戰場にて討死はせず共。師直一人討て捨れば天下の爲。家の恥辱にはかへられぬ。 必々短氣故に身を果す若狹助。猪武者ようろたへ者と。世の人口を思ふ故。汝にとつ くと打明すと。思ひ込だる無念の涙。


スヱ

五臟を貫く思ひなる。



横手を打てしたり/\。



ムヽよう譯をおつしやつた。よう御了簡なされた。此本藏なら今迄了簡はならぬ 所。ヤイ本藏ナヽ何と云つた。今迄はよう了簡した堪忍したとは。わりや此若狹助を さみするか。是はお詞共覺ず。冬は日かげ夏は日面。よけて通れば門中にて。行違の 喧嘩口論ないと申は町人の譬。武士の家では杓子定規。除て通せばほうずがないと申 のが本藏めが誤りか。御詞さみ致さぬ心底。



御覽に入んと御傍の。ちいさ刀拔より早く書院成。召がへ草履かたし片手の早ね たば。とつくと合せ橡先の松の片枝ずつぱと切て手ばしかく。


フシ

鞘に納め。



サア殿。まつ此通にさつぱりと遊ばせ/\。いふにや及ぶ。



人や聞と邊に氣を付。今夜はまだ九つくつたりと一休。枕時計の目覺し。本藏め がしかけ置早く/\。



ヲヽ聞入有て滿足せり。奧にも逢て余所ながらの暇乞。モウ逢ぬぞよ本藏。



さらば/\と云捨て。奧の一間に入給ふ


フシ

武士の。いきちは是非もなし。



御後かげ見送り/\勝手口へ走出。



本藏が家來共馬引早くといふ間もなく。



ももだちしやんとりゝしげに


フシ

御庭に引出せば。



橡よりひらりと打乘て師直の舘迄。つゞけやつゞけと乘出す。



轡に縋てとなせ小浪コレ/\どこへ。始終の樣子は聞ました年にこそよれ本藏殿。 主人に御異見も申さず。合點行ぬ留ますと。



母と娘がぶら/\/\。轡にすがり留むれば。



ヤア小差出た。主人のお命お家の爲思ふ故に此時宜。必此事殿へ御さた致すな。 お耳へ入たら娘は勘當。となせは夫婦の縁を切。



家來共道にて諸事を云付ん。そこ退兩人イヤイヤ/\。シヤ面倒なと鐙の端。一 當はつしと當られて。うんと計にのつけに反を見向もせず。家來續と馬煙追立打立力 足。ふみ立てこそ


三重

[utaChushin] かけり行