University of Virginia Library

第一


嘉肴有といへども食せざれば其味をしらずとは。國治てよき武士の忠も武勇もか くるゝに。たとへば星の晝見へず夜は亂れて顯はるゝ。例を爰に假名書の


ヲロシ

[utaChushin] 太平の代の。政。



比は歴應元年二月下旬。足利將軍尊氏公新田義貞を討亡し。京都に御所を構徳風 四方に普く。萬民草のごとくにて靡。從ふ御威勢。



國に羽をのす鶴が岡八幡宮御造營成就し。御代參として御舎弟足利左兵衞督直義 公。鎌倉に下着なりければ。在鎌倉の執事高武藏守師直。御膝元に人を見下す權柄眼。 御馳走の役人は。桃井播磨守が弟若狹助安近。伯州の城主鹽冶判官高定。馬場先に幕 打廻し


フシ

威儀を正して相詰る。



直義仰出さるゝはいかに師直。



此唐櫃に入置しは。兄尊氏に亡されし新田義貞。後醍醐の天皇より給はつて着せ し兜。敵ながらも義貞は清和源氏の嫡流。着捨の兜といひながら。其儘にも打置れず。



當社の御藏に納る條其心得有べしとの嚴命なりと宣へば。武藏守承り。



是は思ひも寄ざる御事。新田が清和の末なり迚着せし兜を尊敬せば。御籏下の大 小名清和源氏はいくらも有。



奉納の義然るべからず候と。遠慮なく言上す。



イヤ左樣にては候まじ。此若狹助が存るは。是は全く尊氏公の御計略。新田と徒 黨の討洩され御仁徳を感心し。攻ずして降參さする御方便と存 奉れば。無用との御評義率爾也と。



いはせも果ず。



イヤア師直にむかつて率爾とは出過たり。義貞討死したる時は大わらは。死骸の 傍に落散たる兜の數は四十七。どれがどふ共見しらぬ兜。そふで有ふと思ふのを。奉 納した其跡でそふでなければ大きな恥。なま若輩な形をしてお尋もなき評義。



すつこんでお居やれと御前よきまゝ出る儘に。杭共思はぬ詞の大槌。打込れてせ き立色目鹽冶引取て。



コハ御尤成御評義ながら。桃井殿の申さるゝも納る代の軍法。



是以て捨られず双方全き直義公の。御賢慮仰奉ると。申上れば御機嫌有。



ホヽ左いはんと思ひし故。所存有て鹽冶が婦妻を召連よと云付し。是へ招けと有 ければ。



はつと答の程もなく。馬場の白砂素足にて裾で庭掃襠は。


長地

神の御前の玉はゞき玉も欺く薄化粧。鹽冶が妻のかほよ御前遙さがつて畏る。



女好の師直其儘聲かけ。



鹽冶殿の御内室かほよ殿。最前より嘸待遠御太義/\。



御前のお召近ふ/\と取持顏。直義御らんじ。



召出す事外ならず。往元弘の亂に。後醍醐帝都にて召れし兜を。義貞に給はつた れば最期の時に着つらん事疑ひはなけれ共。其兜を誰有て見しる人外になし。其比は 鹽冶が妻。十二の内侍の其内にて。兵庫司の女官なりと聞及ぶ。嘸見知あらんず。覺 あらば兜の本阿彌。



目利/\と女には。嚴命さへも和らかに。


フシ

お受申も又なよやか。



冥加に余る君の仰。夫こそは私が。明暮手馴し御着の兜。義 貞殿拜領にて。蘭奢待といふ名香を添て給はる。御取次は則かほよ。其時の勅答には。 人は一代名は末代。すは討死せん時。此蘭奢待を思ふ儘。内兜にたきしめ着ならば。



鬢の髪に香を留て。名香かほる首取しといふ者あらば。義貞が最期と思召れよと の。詞はよもや違ふまじと申上たる口元に。下心有る師直は。小鼻いからし聞居たる。



直義くはしく聞し召。



ヲヽ詳成かほよが返答。さあらんと思ひし故。落散たる兜四十七。此唐櫃に入置 たり。



見分させよと御上意の下侍。かゞむる腰の海老鎖。明る間遲しと取出すを。おめ ず臆せず立寄て。


フシ

見れば所も。名にしおふ。鎌倉山の星兜。とつぱい頭しゝ頭。扨指物は家々の。 流義/\に寄ぞかし。



或は直平筋兜。錣のなきは。弓の爲。其主々の好迚。數々多き其中にも。五枚兜 の龍頭是ぞといはぬ其内に。ぱつとかほりし名香は。かほよが馴し義貞の兜にて御座 候と


フシ

指出せば。



左樣ならめと一決し鹽冶桃井兩人は。寶藏に納べしこなたへ來れと御座を立。か ほよにお暇給はりてだんかづらを過給へば。鹽冶桃井兩人も


ヲクリ

打連てこそ入にける。



跡にかほよはつきほなく。師直樣は今暫し。御苦勞ながらお役目を。お仕舞有て おしづかに。



お暇の出た此かほよ。長居は恐れおさらばと。



立上る袖摺寄つてじつかとひかへ。



コレまあお待待給へ。けふの御用仕舞次第。其元へ推參してお目にかける物が有。 幸のよい所召出された直義公は我爲の結ぶの神。御存のごとく 我等歌道に心を寄。吉田の兼好を師範と頼日々の状通。其元へ屆くれよと問合せの此 書状。いかにもとのお返事は。口上でも苦しうないと。



袂から袂へいるゝ結び文。顏に似合ぬ樣參る武藏鐙と書たるを。見るよりはつと 思へ共。はしたなう恥しめては却て夫の名の出る事。持歸つて夫に見せふか。いや/ \夫では鹽冶殿。憎しと思ふ心から怪我過にもならふかと。


フシ

物をもいはず投返す。人に見せじと手に取上。



 戻すさへ手にふれたりと思ふにぞ。我文ながら捨も置れず。くどうは云ぬ。よ い返事聞迄は。くどいて/\くどき拔く。天下を立ふとふせふ共儘な師直。鹽冶を生 ふと殺そふ共。かほよの心たつた一つ。何とそふではあるまいかと。



聞にかほよが返答も。


フシ

涙ぐみたる計なり。



折から來合す若狹助。例の非道と見て取氣轉。



かほよ殿まだ退出なされぬか。お暇出て隙どるは。



却て上への恐れ


フシ

早お歸りと追立れば。



きやつ扨はけどりしと。弱味をくはぬ高師直。



ヤア又してもいはれぬ出過。立てよければ身が立す。此度の御役目。首尾よう勤 させくれよと。鹽冶が内證かほよの頼。そふなくては叶はぬ筈。大名でさへあの通。 小身者に捨知行誰が蔭で取する。師直が口一つで五器提ふも知ぬあぶない身代。夫で も武士と思ふじや迄と。



邪魔の返報にくて口くはつとせき立若狹助。刀のこゐ口碎る程スヱテ握り。詰は 詰たれ共。神前也御前也と一旦の堪忍も。今一言の生死の。詞 の先手還御ぞと。御先を拂ふ聲々に詮方なくも期を延す。無念は胸に忘られず。惡事 悖て運強く切れぬ高の師直を。あすの我身の敵共。しらぬ鹽冶が跡押へ。直義公は 悠々と歩御成給ふ御威勢。人の兜の龍頭御藏に入る數々も。四十七字のいろは分かな の兜を和らげて。兜頭巾のほころびぬ國の。掟ぞ


三重

[utaChushin] 久かたの