1.4. 状箱は宿に置て來た男
乘かゝつたる舟なればしかまづより暮をいそぎ清十郎おなつを盗出し上方へのぼ
りて年浪の日數を立うき世帯もふたり往ならばとおもひ立取あへずもかり衣濱びさし
の幽なる所に舟待をして思ひ/\の旅用意伊勢參宮の人も有大坂の小道具うりならの
具足屋醍醐の法印高山の茶筅師丹波の蚊屋うり京のごふく屋鹿嶋の言ふれ十人よれば
十國の者乘合舟こそをかしけれ船頭聲高にさあ/\出します銘/\の心祝なれば住吉
さまへのお初尾とてしやく振て又あたま數よみて呑ものまぬも七文づゝの集錢出し間
鍋もなくて小桶に汁椀入て飛魚のむしり肴取急ぎて三盃機嫌おの/\のお仕合此風眞
艫で御座ると帆を八合もたせてはや一里あまりも出し時備前よりの飛脚横手をうつて
扨も忘たり刀にくくりながら状箱を宿に置て來た男磯のかたを見てそれ/\持佛堂の
脇にもたし掛て置ましたと慟きけるそれが爰から聞ゆるものか有さまにきん玉が有か
と船中聲/\にわめけば此男念を入てさぐりいかにも/\二つこざりますといふいつ
れも大笑になつて何事もあれじや物舟をもどしてやりやれとて楫取直し湊にいればけ
ふの首途あしやと皆/\腹立してやう/\舟汀に着ければ姫路より追手のもの爰かし
こに立さわぎもし此舟にありやと人改めけるにおなつ清十郎かくれかねかなしやとい
ふ聲計哀れしらずども是を耳にも聞いれずおなつはきびしき乘物に入清十郎は繩をか
け姫路にかへりける又もなき歎見し人ふびんをかけざるはなし其日より座敷籠に入て
浮難義のうちにも我身の事はない物にしておなつは/\と口ばしりて其男目が状箱わ
すれねは今時分は大坂に着て高津あたりのうら座敷かりて年寄たかゝひとりつかうて
先五十日計は
筈におなつと
内談したもの皆むかしになる事の口惜や誰ぞころしてくれいかしさても/\一日のな
がき事世にあきつる身やと舌を齒にあて目をふさぎし事千度なれどもまだおなつに名
殘ありて今一たびさい後の別れに美形を見る事もがなと恥も人のそしりもわきまへず
男泣とは是ぞかし番の者ども見る目もかなしく色/\にいさめて日數をふりぬおなつ
も同じ歎にして七日のうちはだんじきにて願状を書て室の明神へ命乞したてまつりに
けり不思義や其夜半とおもふ時老翁枕神に立せ給ひあらたなる御告なり汝我いふ事を
よく聞べし惣じて世間の人身のかなしき時いたつて無理なる願ひ此明神がまゝにもな
らぬなり俄に福徳をいのり人の女をしのび惡き者を取りころしてのふる雨を日和にし
たいの生つきたる鼻を高うしてほしいのとさま%\のおもひ事とても叶はぬに無用の
佛神を祈りやつかいを掛ける過にし祭にも參詣の輩壹萬八千十六人いづれにても大欲
に身のうへをいのらざるはなし聞てをかしけれ共散錢なげるがうれしく神の役に聞な
り此參りの中に只壹人信心の者あり高砂の炭屋の下女何心もなく足手そくさいにて又
まゐりましよと拜て立しがこもどりして私もよき男を持してくださりませいと申それ
は出雲の大社を頼めこちはしらぬ事といふたれどもえきかずに下向しけりその方も親
兄次第に男を持ば別の事もないに色を好て其身もかゝる迷惑なるぞ汝をしまぬ命はな
がく命ををしむ清十郎は頓さい期ぞとあり/\との夢かなしく目を覺して心ほそくな
りて泣明しける案のごとく清十郎めし出されて思ひもよらぬ詮義にあひぬ但馬屋内藏
の金戸棚にありし小判七百兩見えざりしこれはおなつに盗出させ清十郎とりてにげし
と云觸て折ふし惡敷此事ことはり立かね哀や廿五の四月十八日に其身をうしなひける
さてもはかなき世の中と見し人袖は村雨の夕暮をあらそひ惜みかなしまぬはなし其後
六月のはじめ萬の虫干せしに彼七百兩の金子置所かはりて車長持より出けるとや物に
念を入べき事と子細らしき親仁の申き
[_]
This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It
has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.