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花宴 光る源氏20歳春2月20余日から3月20余日までの宰相中将時代の物語
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

花宴
光る源氏20歳春2月20余日から3月20余日までの宰相中将時代の物語

    1 朧月夜の君物語  春の夜の出逢いの物語

  1. 二月二十余日、紫宸殿の桜花の宴 如月の二十日あまり、南殿 の桜の宴せさせたまふ
  2. 宴の後、朧月夜の君と出逢う 夜いたう更けてなむ、事果てけ る
  3. 桜宴の翌日、昨夜の女性の素性を知りたがる その日は後宴の ことありて、まぎれ暮らしたまひつ
  4. 紫の君の理想的成長ぶり、葵の上との夫婦仲不仲 「大殿にも 久しうなりにける」と思せど、若君も心苦しければ
  5. 三月二十余日、右大臣邸の藤花の宴 かの有明の君は、はかな かりし夢を思し出でて

出典
校訂

  如月の二十日あまり、南殿の桜の宴せさせたまふ。后、春宮 の御局、左右にして、参う上りたまふ。弘徽殿の女御、中宮のかくておはするを、を りふしごとにやすからず思せど、物見にはえ過ぐしたまはで、参りたまふ。
 日いとよく晴れて、空のけしき、鳥の声も、心地よげなるに、親王たち、上達部よ りはじめて、その道のは皆、探韻たまはりて文つくりたまふ。宰相中将、「春といふ 文字賜はれり」と、のたまふ声さへ、例の、人に異なり。次に頭中将、人の目移しも、 ただならずおぼゆべかめれど、いとめやすくもてしづめて、声づかひなど、ものもの しくすぐれたり。さての人々は、皆臆しがちに鼻白める多かり。地下の人は、まして、 帝、春宮の御才かしこくすぐれておはします、かかる方にやむごとなき人多くものし たまふころなるに、恥づかしく、はるばると曇りなき庭に立ち出づるほど、はしたな くて、やすきことなれど、苦しげなり。年老いたる博士どもの、なりあやしくやつれ て、例馴れたるも、あはれに、さまざま御覧ずるなむ、をかしかりける。
 楽どもなどは、さらにもいはずととのへさせたまへり。やうやう入り日になるほど、 春の鴬囀るといふ舞、いとおもしろく見ゆるに、源氏の御紅葉の賀の折、思し出でら れて、春宮、かざしたまはせて、せちに責めのたまはするに、逃がれがたくて、立ち てのどかに袖返すところを一折れ、けしきばかり舞ひたまへるに、似るべきものなく 見ゆ。左大臣、恨めしさも忘れて、涙落したまふ。
 「頭中将、いづら。遅し」
 とあれば、柳花苑といふ舞を、これは今すこし過ぐして、かかることもやと、心づ かひやしけむ、いとおもしろければ、御衣賜はりて、いとめづらしきことに人思へり。 上達部皆乱れて舞ひたまへど、夜に入りては、ことにけぢめも見えず。文など講ずる にも、源氏の君の御をば、講師もえ読みやらず、句ごとに誦じののしる。博士どもの 心にも、いみじう思へり。
 かうやうの折にも、まづこの君を光にしたまへれば、帝もいかでかおろかに思され む。中宮、御目のとまるにつけて、「春宮の女御のあながちに憎みたまふらむもあや しう、わがかう思ふも心憂し」とぞ、みづから思し返されける。
 「おほかたに花の姿を見ましかば
  つゆも心のおかれましやは」
 御心のうちなりけむこと、いかで漏りにけむ。

  夜いたう更けてなむ、事果てける。
 上達部おのおのあかれ、后、春宮帰らせたまひぬれば、のどやかになりぬるに、月 いと明うさし出でてをかしきを、源氏の君、酔ひ心地に、見過ぐしがたくおぼえたま ひければ、「上の人々もうち休みて、かやうに思ひかけぬほどに、もしさりぬべき隙 もやある」と、藤壷わたりを、わりなう忍びてうかがひありけど、語らふべき戸口も 鎖してければ、うち嘆きて、なほあらじに、弘徽殿の細殿に立ち寄りたまへれば、三 の口開きたり。
 女御は、上の御局にやがて参う上りたまひにければ、人少ななるけはひなり。奥の 枢戸も開きて、人音もせず。
 「かやうにて、世の中のあやまちはするぞかし」と思ひて、やをら上りて覗きたま ふ。人は皆寝たるべし。いと若うをかしげなる声の、なべての人とは聞こえぬ、
 「

[_]
朧月夜に似るものぞなき

  とうち誦じて、こなたざまには来るものか。いとうれしくて、 ふと袖をとらへたまふ。女、恐ろしと思へるけしきにて、
「あな、むくつけ。こは、誰そ」とのたまへど、
「何か、疎ましき」とて、
 「深き夜のあはれを知るも入る月の
  おぼろけならぬ契りとぞ思ふ」
 とて、やをら抱き下ろして、戸は押し立てつ。あさましきにあきれたるさま、いと なつかしうをかしげなり。わななくわななく、
 「ここに、人」
 と、のたまへど、
 「まろは、皆人に許されたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ。ただ、 忍びてこそ」
 とのたまふ声に、この君なりけりと聞き定めて、いささか慰めけり。
[_]
わびしと
思へるものから、情けなくこはごはし うは見えじ、と思へり。酔ひ心地や例ならざりけむ、許さむことは口惜しきに、女も 若うたをやぎて、強き心も知らぬなるべし。
 らうたしと見たまふに、ほどなく明けゆけば、心あわたたし。女は、まして、さま ざまに思ひ乱れたるけしきなり。
 「なほ、名のりしたまへ。いかでか、聞こゆべき。かうてやみなむとは、さりとも 思されじ」
 とのたまへば、
 「憂き身世にやがて消えなば尋ねても
  草の原をば問はじとや思ふ」
 と言ふさま、艶になまめきたり。
 「ことわりや。聞こえ違へたる文字かな」とて、
 「いづれぞと露のやどりを分かむまに
  小笹が原に風もこそ吹け
 わづらはしく思すことならずは、何かつつまむ。もし、すかいたまふか」
 とも言ひあへず、人々起き騒ぎ、上の御局に参りちがふけしきども、しげくまよへ ば、いとわりなくて、扇ばかりをしるしに取り換へて、出でたまひぬ。
 桐壷には、人々多くさぶらひて、おどろきたるもあれば、かかるを、
 「さも、たゆみなき御忍びありきかな」
 とつきじろひつつ、そら寝をぞしあへる。入りたまひて臥したまへれど、寝入られ ず。
 「をかしかりつる人のさまかな。女御の御おとうとたちにこそはあらめ。まだ世に 馴れぬは、五、六の君ならむかし。帥宮の北の方、頭中将のすさめぬ四の君などこそ、 よしと聞きしか。なかなかそれならましかば、今すこしをかしからまし。六は春宮に たてまつらむとこころざしたまへるを、いとほしうもあるべいかな。わづらはしう、 尋ねむほどもまぎらはし、さて絶えなむとは思はぬけしきなりつるを、いかなれば、 言通はすべきさまを教へずなりぬらむ」
 など、よろづに思ふも、心のとまるなるべし。かうやうなるにつけても、まづ、 「かのわたりのありさまの、こよなう奥まりたるはや」と、ありがたう思ひ比べられ たまふ。

  その日は後宴のことありて、まぎれ暮らしたまひつ。箏の琴 仕うまつりたまふ。昨日のことよりも、なまめかしうおもしろし。藤壷は、暁に参う 上りたまひにけり。「かの有明、出でやしぬらむ」と、心もそらにて、思ひ至らぬ隈 なき良清、惟光をつけて、うかがはせたまひければ、御前よりまかでたまひけるほど に、
 「ただ今、北の陣より、かねてより隠れ立ちてはべりつる車どもまかり出づる。御 方々の里人はべりつるなかに、四位の少将、右中弁など急ぎ出でて、送りしはべりつ るや、弘徽殿の御あかれならむと見たまへつる。けしうはあらぬけはひどもしるくて、 車三つばかりはべりつ」
 と聞こゆるにも、胸うちつぶれたまふ。
 「いかにして、いづれと知らむ。父大臣など聞きて、ことことしうもてなさむも、 いかにぞや。まだ、人のありさまよく見さだめぬほどは、わづらはしかるべし。さり とて、知らであらむ、はた、いと口惜しかるべければ、いかにせまし」と、思しわづ らひて、つくづくとながめ臥したまへり。
 「姫君、いかにつれづれならむ。日ごろになれば、屈してやあらむ」と、らうたく 思しやる。かのしるしの扇は、桜襲ねにて、濃きかたにかすめる月を描きて、水にう つしたる心ばへ、目馴れたれど、ゆゑなつかしうもてならしたり。「草の原をば」と 言ひしさまのみ、心にかかりたまへば、
 「世に知らぬ心地こそすれ有明の
  月のゆくへを空にまがへて」
 と書きつけたまひて、置きたまへり。

  「大殿にも久しうなりにける」と思せど、若君も心苦しければ 、こしらへむと思して、二条院へおはしぬ。見るままに、いとうつくしげに生ひ なりて、愛敬づきらうらうじき心ばへ、いとことなり。飽かぬところなう、わが御心 のままに教へなさむ、と思すにかなひぬべし。男の御教へなれば、すこし人馴れたる ことや混じらむと思ふこそ、うしろめたけれ。
 日ごろの御物語、御琴など教へ暮らして出でたまふを、例のと、口惜しう思せど、 今はいとようならはされて、わりなくは慕ひまつはさず。
 大殿には、例の、ふとも対面したまはず。つれづれとよろづ思しめぐらされて、箏 の御琴まさぐりて、
 「

[_]
やはらかに寝る
[_]
夜はな
くて」
  とうたひたまふ。大臣渡りたまひて、一日の興ありしこと、聞 こえたまふ。
 「ここらの齢にて、明王の御代、四代をなむ見はべりぬれど、このたびのやうに、 文ども警策に、舞、楽、物の音どもととのほりて、齢延ぶることなむはべらざりつる。 道々のものの上手ども多かるころほひ、詳しうしろしめし、ととのへさせたまへるけ なり。
[_]
翁もほとほと舞ひ出でぬべき
心地な むしはべりし」
 と聞こえたまへば、
 「ことにととのへ行ふこともはべらず。ただ公事に、そしうなる物の師どもを、こ こかしこに尋ねはべりしなり。よろづのことよりは、「柳花苑」、まことに後代の例 ともなりぬべく見たまへしに、まして「さかゆく春」に立ち出でさせたまへらましか ば、世の面目にやはべらまし」
 と聞こえたまふ。
 弁、中将など参りあひて、高欄に背中おしつつ、とりどりに物の音ども調べ合はせ て遊びたまふ、いとおもしろし。

  かの有明の君は、はかなかりし夢を思し出でて、いともの嘆 かしうながめたまふ。春宮には、卯月ばかりと思し定めたれば、いとわりなう思し乱 れたるを、男も、尋ねたまはむにあとはかなくはあらねど、いづれとも知らで、こと に許したまはぬあたりにかかづらはむも、人悪く思ひわづらひたまふに、弥生の二十 余日、右の大殿の弓の結に、上達部、親王たち多く集へたまひて、やがて藤の宴した まふ。花盛りは過ぎにたるを、「

[_]
ほかの散りなむ
」とや教へられたりけむ、遅れて咲く桜、二木ぞいとおもしろき。 新しう造りたまへる殿を、宮たちの御裳着の日、磨きしつらはれたり。はなばなとも のしたまふ殿のやうにて、何ごとも今めかしうもてなしたまへり。
 源氏の君にも、一日、内裏にて御対面のついでに、聞こえたまひしかど、おはせね ば、口惜しう、ものの栄なしと思して、御子の四位少将をたてまつりたまふ。
 「わが宿の花しなべての色ならば
  何かはさらに君を待たまし」
 内裏におはするほどにて、主上に奏したまふ。
 「したり顔なりや」と笑はせたまひて、
 「わざと
[_]
あめるを
、早うものせよかし。女 御子たちなども、生ひ出づるところなれば、なべてのさまには思ふまじきを」
 などのたまはす。御装ひなどひきつくろひたまひて、いたう暮るるほどに、待たれ てぞ渡りたまふ。
 桜の唐の綺の御直衣、葡萄染の下襲、裾いと長く引きて。皆人は表の衣なるに、あ ざれたる大君姿のなまめきたるにて、いつかれ入りたまへる御さま、げにいと異なり。 花の匂ひもけおされて、なかなかことざましになむ。
 遊びなどいとおもしろうしたまひて、夜すこし更けゆくほどに、源氏の君、いたく 酔ひ悩めるさまにもてなしたまひて、紛れ立ちたまひぬ。
 寝殿に、女一宮、女三宮のおはします。東の戸口におはして、寄りゐたまへり。藤 はこなたの妻にあたりてあれば、御格子ども上げわたして、人々出でゐたり。袖口な ど、踏歌の折おぼえて、ことさらめきもて出でたるを、ふさはしからずと、まづ藤壷 わたり思し出でらる。
 「なやましきに、いといたう強ひられて、わびにてはべり。かしこけれど、この御 前にこそは、蔭にも隠させたまはめ」
 とて、妻戸の御簾を引き着たまへば、
 「あな、わづらはし。よからぬ人こそ、やむごとなきゆかりはかこちはべるなれ」
 と言ふけしきを見たまふに、重々しうはあらねど、おしなべての若人どもにはあら ず、あてにをかしきけはひしるし。
 そらだきもの、いと煙たうくゆりて、衣の音なひ、いとはなやかにふるまひなして、 心にくく奥まりたるけはひはたちおくれ、今めかしきことを好みたるわたりにて、や むごとなき御方々もの見たまふとて、この戸口は占めたまへるなるべし。さしもある まじきことなれど、さすがにをかしう思ほされて、「いづれならむ」と、胸うちつぶ れて、
 「
[_]
扇を取られて、からきめを見る

  と、うちおほどけたる声に言ひなして、寄りゐたまへり。
 「あやしくも、さまかへける高麗人かな」
 といらふるは、心知らぬにやあらむ。いらへはせで、ただ時々、うち嘆くけはひす る方に寄りかかりて、几帳越しに手をとらへて、
 「あづさ弓いるさの山にまどふかな
  ほの見し月のかげや見ゆると
 何ゆゑか」
 と、推し当てにのたまふを、え忍ばぬなるべし。
 「心いる方ならませば弓張の
  月なき空に迷はましやは」
 と言ふ声、ただそれなり。いとうれしきものから。

  出典

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[出典1]  照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞな き(新古今集春上-55 大江千里)戻る
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[出典2]  貫河の瀬々の やはら手枕 やはらかに 寝る夜はなく て 親離くる夫 親離くる夫は ましてるはし しかさらば 矢矧の市に 沓買ひに かむ 沓買はば 線鞋の 細底を買へ さし履きて 表裳とり着て 宮路かよはむ (催馬楽-貫河)戻る
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[出典3]  翁とてわびやはをらむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひて む(続日本後紀巻十二-3)戻る
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[出典4]  見る人もなき山里の桜花他の散りなむ後ぞ咲かまし(古 今集春上-68 伊勢)戻る
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[出典5]  石川の 高麗人に 帯を取られて からき悔する いか なる 帯ぞ 縹の帯の 中はたいれたるか かやるか あやるか 中はいれたるか (催馬楽-石川)戻る

  校訂
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--*  朱筆--<朱> 不明--?

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[校訂1]  わびしとお--わひしとお(わひしとお/$)わひしと戻る
[_]
校訂2 夜--(/+夜)戻る
[_]
[校訂3]  あめるを--あめ(め/+る)を戻る