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金葉和歌集卷第九 雜部上
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
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9. 金葉和歌集卷第九
雜部上

大納言經信

むかし道方卿にぐしてつくしにまかりて安閑寺にまゐりて見侍りけるみぎりの梅の我が任にまゐりてみれば木のすがたは同じさまにて花の老木になりて所々さきたるをみてよめる

神垣に昔わがみし梅のはなともに老木となりにけるかな

攝政左大臣

山家鶯といへる事を人々によませ侍りける次に

山里もうきよのなかをはなれねば谷の鶯ねをのみぞなく

三宮

圓宗寺の花を御覽じて後三條院の御事などおぼしいでゝよませたまへりける

植置きし君もなきよに年へたる花は我身の心地こそすれ

權僧正永縁

花見の御幸を見て妹の内侍のもとにつかはしける

行末のためしとけふを思ふとも今いくとせか人に語らむ

内侍

かへし

幾年も君ぞかたらむつもりゐて面白かりし花のみゆきを

僧正行尊

大峯にておもひもかけずさくらの花の咲きたりけるをみてよめる

もろともにあはれと思へ山櫻花よりほかにしる人もなし

源行宗朝臣

堀河院の御時殿上人あまたぐして花見ありきけるに仁和寺に行宗の朝臣ありときゝて懷紙やあると尋ねて侍りければつかはすとてうへにかきつけ侍りける歌

いく年に我なりぬらむ諸人の花みる春をよそにきゝつゝ

源定信

山ざとに人々まかりて花の歌よみけるによめる

みな人は吉野の山の櫻花をりしらぬ身やたにのうもれ木

右近將曹秦兼方

後三條院かくれさせおはしまして後又のとしの春さかりなる花をみてよめる

こぞ見しに色も變らず咲きに鳬花こそ物は思はざりけれ

藤原顯仲朝臣

つかさめしの頃よろづにうらやましき事のみ聞えければよめる

年ふれど春にしられぬ埋木はなの都にすむかひぞなき

藤原惟信朝臣

藏人おりて臨時祭の陪從し侍りけるに右中辨伊家が許につかはしける

山吹もおなじかざしの花なれどくもゐの櫻なほぞ戀しき

神主大膳武忠

隆家卿太宰の帥に二度なりて後のたび香椎の御社に參りたりけるに神主ことのもとゝ杉の葉を折りて帥のかうぶりにさすとてよめる

千早振かしひの宮の杉の葉を二たびかざすわがきみぞ君

良暹法師

源心、座主になりてはじめて山にのぼりたりけるにやすみたる所にて歌よめと申しければよめる

年をへて通ふ山路は變らねどけふはさか行く心地社すれ

藤原家綱

藤原基清がくら人にてかうぶり賜はりておりにければ又の日つかはしける

思ひかねけさは空をやながむらむくもの通路霞へだてゝ

源俊頼朝臣

一品宮天王寺にまゐらせ給ひて日頃御念佛せさせ給ひけるに御ともの人々住吉にまゐりて歌よみけるによめる

いく返り花咲きぬらむ住吉の松も神代のものとこそきけ

中納言基長

田家老翁といへることをよめる

丈夫は山田の庵に老いにけり今いく秋にあはむとすらむ

三宮

仁和寺にすませ給ひける頃いつまでさてはなどみやこより人のたづね申したりければよませ給へる

かくてしもえぞすむまじき山ざとの細谷川の心ぼそさに

僧正行尊

大峯の岩やにてよめる

草の庵を何露けしと思ひけむもらぬ岩やも袖はぬれけり

律師慶範

良暹法師をうらむる事ありけるころむつき一日にまうできて又久しうみえざりければいひつかはしける

春の來し其日氷柱はとけにしを又何事にとゞこほるらむ

藤原正季

對山待月といへる事をよめる

此よには山の端出る月をのみまつことにてもやみぬべき哉

僧正行尊

山家にて有明の月を見てよめる

木の間もる片われ月の仄かにも誰か我身を思ひ出づべき

平康貞母

山寺に月のあかゝりけるに經のたふときをきゝて涙のおちければよめる

いかでかは袂に月の宿らましひかりまちとる涙ならずば

源師光

宇治前太政大臣時の歌よみどもに月の歌よませけるにもれて公實卿のもとに遣はしける

春日山みねつゞきてる月影にしられぬ谷の松もありけり

橘能元

僧都頼基光明山にこもりぬと聞きてつかはしける

羨ましうきよを出でゝいか計くまなき峯の月をみるらむ

僧都頼基

かへし

もろともに西へやゆくと月影の隈なき峯を尋ねてぞこし

六條右大臣北方

郁芳門院伊勢におはしましける時あからさまにくだりけるにすゞか川をわたりけるときよめる

早くより頼みわたりしすゞか川思ふことなる音ぞ聞ゆる

攝津

仲正が女皇后宮に始めてまゐりたりけるに琴引くときかせ給ひてひかせ給ひければつゝましながらひきならしけるを聞きてくちずさびのやうにて云ひかけゝる

琴の音や松ふく風に通ふらむ千世の例にひきつべきかな

美濃

かへし

嬉しくも秋のみやまの松風にうひ琴のねの通ひけるかな

内大臣家越後

月のあかゝりける夜人の琴ひくをきゝてよめる

琴の音は月の影にも通へばや空に調べの澄みのぼるらむ

大中臣輔弘

伊勢國の二見の浦にてよめる

玉櫛笥二見の浦のかひしげみまきゑにみゆる松のむら立

大納言經信

宇治前太政大臣布引の瀧見にまかりけるともにまかりてよめる

白雲とよそにみつれば足曳の山もとゞろにおつる瀧つ瀬

讀人志らず

天の河これやながれの末ならむ空よりおつる布引のたき

藤原惟規

選子内親王いつきにおはしましける時女房にもの申さむとて忍びてまゐりたりけるにさぶらひどもいかなる人ぞなどあらくまうしてとはせ侍りければたゝうがみにかきておかせ侍りける

神垣は木の丸殿にあらねとも名のりをせねば人咎めけり

六條右大臣北方

郁芳門院伊勢に坐しましける時六條右大臣の北方あからさまにくだりて侍りける時思ひかけずかねのこゑのほのかにきこえければよめる

かみ垣のあたりと思ふにゆふ襷思ひもかけぬ鐘の聲かな

前齋宮内侍

前齋宮伊勢におはしける時寮の頭保俊御まつりの程とのゐ物の料にきぬをかりて程過ぎて是を忘れていまゝで返さゞりける事など申したりける返事にいひ遣はしける

歸さじとかねてしりにき唐衣戀しかるべき我身ならねば

小式部内侍

和泉式部保昌にぐして丹後國に侍りけるころ都に歌合のありけるに小式部内侍歌よみにとられて侍りけるを中納言定頼つぼねのかたにまうできて、歌はいかゞせさせ給ふ、丹後へ人は遣はしけむや、使はまうでこずや、いかに心もとなくおぼすらむなどたはぶれて立ちけるをひきとゞめてよめる

大江山いく野の道の遠ければまだふみもみずあまの橋立

修理大夫顯季

百首の歌の中に夢の心をよめる

うたゝねの夢なかりせば別れにし昔の人を又みましやは

參議師頼

百首の歌にたびの心をよめる

小夜中に思へばかなし陸奥のあさかの沼に旅寢してけり

藤原顯輔朝臣

この集撰しける時こはれておくるとてよめる

家の風吹かぬもの故羽束師の森の言の葉ちらし果てつる

平康貞女

しほ湯あみに西の海のかたへまかりたりけるにみるといふものをみづからつみて都なるむすめのもとへつかはすとて

磯なつむ入江の浪の立ちかへり君みるまでの命ともがな

むすめ

かへし

長居する蜑のしわざと見るからに袖の裏にもみつ涙かな

和泉式部

和泉式部石山にまゐりけるに大津にとまりて夜ふけてきゝければ人のけはひあまたしてのゝしりけるを尋ねければ、あやしの賤の女がよねしらげ侍るなりと申しけるを聞きてよめる

鷺のゐる松原いかに騒ぐ覽しらげばうたて里とよみけり

藤原時房

公實卿のもとにまかりたりけるに侍らざりければ出居におきたりける小弓をとりて侍にこれはおろしつとふれていでにけり。かの卿かへりて弓をたづねければ時房まうできてとりつと申しければおどろきて、院の御弓ぞ、とくかへせといひにつかはしたりければ御弓につけてつかはしける歌

梓弓さこそはそりの高からめはる程もなく返るべしやは

春宮大夫公實

をとこかれ%\になりて程へてたがひにわすれて後人にしたしくなりにけりなど申すときゝてなげきける人にかはりてよめる

無名にぞ人のつらさは知られける忘られしには身をぞ恨みし

相摸

大貳資通忍びてもの申しけるを程もなくさぞなど人の申しければよめる

如何にせむ山田にかこふ垣柴の暫しのまだに隱無き身を

堀河院御製

肥後の内侍をとこにわすられてなげきけるを御覽じてよませ給ひける

忘られて歎く袂をみるからにさもあらぬ袖の萎れぬる哉

僧正行尊

水車をみてよめる

早き瀬にたえぬばかりぞ水車われも憂世に廻るとをしれ

堀河右大臣

れいならぬ事ありてわづらひけるころ上東門院に柑子奉るとて人にかゝせて奉りける

事へつる此身の程を數ふればあはれ梢になりにけるかな

上東門院

御かへし

過來ける月日の數もしられつゝこのみをみるも哀なる哉

大納言宗通

僧正行尊まうできてよるとゞまりてつとめて歸りけるとて獨鈷を忘れたりける返しつかはすとてよめる

草枕さこそは旅の床ならめけさしもおきて歸るべしやは

櫻井尼

をとこ心かはりてまうで來ずなりにける後をぎたりけるゑぶくろをとりにおこせたりければかきつけて遣はしける

のきばうつま白の鷹の餌袋にをぎ餌もさゝで返しつる哉

少將内侍

後冷泉院の御時近江國より白き烏を奉りたりけるをかくして人にもみせさせ給はざりければ女房たちゆかしがり申しければ、おの/\歌よみて奉れさてよくよみたらむ人にみせむと仰せ事ありければつかうまつれる

たぐひなくよに面白き鳥なれば床しからずと誰か思はむ

讀人志らず

甲斐國よりのぼりてをばなる人のもとにありけるがはかなき事にてそのをばの、なありそとて逐ひいだしたりければよめる

鳥の子のまだかひ乍有らませばをばと云ふ物は生出ざらまし

修理大夫顯季

百首の歌のなかに山家をよめる

蜩の聲ばかりする柴の戸は入日のさすにまかせてぞみる

藤原仲實朝臣

題志らず

年ふれば我いたゞきにおく霜を草の上とも思ひけるかな

源行宗朝臣

殿上おりて侍りけるころ人の殿上しけるをきゝてよめる

羨まし雲のかけ橋たち返りふたゝびのぼる道を志らばや

平忠盛朝臣

殿上申しけるにゆるされざりければよめる

思ひきや雲居の月をよそにみて心の闇にまどふべしとは

内大臣家小大進

かたらひ侍りける人のかれ%\になりければこと人につけて筑紫の方へまかりなむと志けるを聞きてをとこのもとよりまかるまじきよしを申したりければいひ遣はしける

身のうさもとふ一もじにせかれつゝ心筑紫の道は止りぬ

讀人志らず

男のなかりける夜こと人をつぼねにいれたりけるにもとの男まうできあひたりければさわぎてかたはらのつぼねの壁のくづれよりくゞりてにがしやりて又の日その逃したる局のぬしのがり、よべのかべこそうれしかりしかなどいひに遣はしたりければよめる

ねぬるよのかべ騒しく見えしかど我ちがふれば事無り鳬

源光綱母

源頼家がもの申しける人の五節に出て侍りけるをきゝて、まことにやあまたかさねし小忌衣とよのあかりのくもりなきよにとよみて遣はしたりければかへしによめる

日蔭にはなき名立ち鳧をみ衣きてみよと社云べかりけれ

源俊朝朝臣
[_]
[1]

經信卿にぐしてつくしに侍りけるころ肥後守盛房野劔のよきあり、みせむなど申して程へにければいかになどたづねられて忘れたるよしを申しければよめる

なき蔭に懸けゝるたちもある物を銷束のまに忘果てぬる

僧正行尊

大峯の神仙といへる所に久しうはべりければ同行どもみなかぎりありてまかりにければ心細きによめる

みし人は一人我身にそはねども後れぬものは涙なりけり

讀人志らず

たゞならぬ人のもてかくしてありけるに子をうみてけるがもとよりうみたる梅をおこせたりければよめる

葉隱につはるとみえし程もなくこはうみ梅に成にける哉

前中宮甲斐

堀河院の御時中宮の女房たちを亮の仲實が紀伊守にて侍りける時わかの浦みせむとてさそひければあまたまかりけるにまからでつかはしける

人並に心計はたち添ひてさそはぬわかのうらみをぞする

藤原實信母

保實卿ほかにうつりてのちかのもとの所につねにみけるかゞみをとがせ侍りければくらきよしを申しけるを聞きてよめる

ことわりや曇ればこそは増鏡映りし影もみえずなりにき

源師賢朝臣

月の入るを見てよめる

西へゆく心はたれもあるものを獨ないりそ山のはのつき

藤原隆資

爲仲の朝臣陸奥守にて侍りける時延任志つときゝてつかはしける

まつ我は哀れ八十になりぬるをあふ隈川の遠ざかりぬる

藤原實光朝臣

したしき人の春日にまゐりて鹿のありつるよしなど申しけるをきゝてよめる

三笠山神の驗のいちじるく志かありけると聞くぞ嬉しき

藤原家經朝臣

屏風のゑに志かすがのわたり行く人たちわづらふかたかけたる所をよめる

ゆく人も立ちぞ煩ふ志かすがの渡りや旅の泊りなるらむ

讀人志らず

題志らず

身のうさをおもひしとけば冬の夜も滯らぬは涙なりけり

皇后宮美濃

よな/\はまどろまでのみ有明のつきせず物を思ふ頃哉

源雅光

上陽人苦多、少思苦老亦苦といへる心をよめる

昔にもあらぬ姿になりゆけど歎きのみこそ面がはりせね

源俊頼朝臣

青黛畫眉々細長といへる事をよめる

さりともとかく眉墨のいたづらに心細くも老いにける哉

僧正行尊

年ひさしく修行しありきてくま野にてげんくらべしけるを祐家卿まゐりあひてみけるに事のほかにやせおとろへて姿もあやしげに窶れたりければ見忘れてかたはらなる僧に、いかなる人ぞことのほかにしるしありげなる人かななど申しけるをきゝて遣しける

心こそ世をば捨てしかまぼろしの姿も人に忘られにけり

大中臣輔弘祭主にもあらざりけるころ祭主になさせ給へと太神宮に申しこひてねいりたりける夜の夢にまくらがみにしらぬ人の立ちてよみかけゝる歌

草のはの靡くもまたず露の身のおき所なくなげく頃かな

顯雅卿母

六條右大臣六條の家つくりていづみなどほりてとくわたりて見よなど申したりければよめる

千年まですまむ泉の底きよみ影ならべむと思ひしもせじ

忠快法師

宇治の平等院の主になりて宇治にすみつきてひえの山のかたをながめやりてよめる

宇治川のそこの水屑となりながら猶雲かゝる山ぞ戀しき

周防内侍

家を人にはなちてたつとて桂にかきつけ侍りける

住侘びて我さへ軒の忍ぶ草しのぶかた%\しげき宿かな

津守國基

賀茂成助に始めてあひてもの申しけるついでにかはらけとりてよめる

きゝわたるみたらし河の水清み底の心をけふぞみるべき

賀茂成助

かへし

住吉のまつかひありてけふよりは難波の事も知らす計ぞ

皇后宮大貳

皇后宮弘徽殿におはしましける頃俊頼西おもてのほそ殿にて立ちながら人にもの申し侍るに夜の更けゆくまゝに苦しかりければ上にゐたりけるをみて、たゝみをしかせばやと女の申しければ石だゝみ布かれて侍るめると申すを聞きてよめる

石だゝみありける物を君に又しくものなしと思ひける哉

天台座主仁覺

大原の行蓮聖人がもとへ小袖つかはすとてよめる

憐まむと思ふ心は廣けれどはぐゝむ袖のせばくもある哉

源俊頼朝臣

百首の歌の中に述懷の心をよめる

世中は憂身にそへる影なれや思ひ捨つれど離れざりけり

讀人志らず

男につきて越前國にまかりたりけるに男心かはりてつねにはしたなければ都なるおやのもとへいひ遣はしける

打頼む人の心はあらち山こしぢくやしき旅にもあるかな

おや

かへし

思ひやる心さへこそ苦しけれあらちの山の冬のけしきは

參議師頼

思ふ事侍りける頃よめる

徒に過ぐる月日をかぞふれば昔をしのぶねぞなかれける

源師賢朝臣

鏡をみるに影のかはりゆくを見てよめる

變り行く鏡の影をみるからにおいその森の歎きをぞする

源顯國朝臣

前太政大臣の家に侍りける女を中將忠宗の朝臣と少將顯國と共にかたらひ侍りけるに忠宗にあひにけり。其後程もなく忘られけりときゝて女のがりいひつかはしける

小搖ぎのいそぎて逢ひしかひもなく浪寄りこすと聞くは誠か

藤原公教

藏人親隆がかうぶり給はりて又の日つかはしける

雲の上になれにし物を芦鶴の逢事かたにおりゐぬるかな

源俊頼朝臣

堀河院の御時源俊重が式部丞申しける由文にそへて頭の辨重資が許へつかはしける

日の光あまねき空のけしきにもわが身一つは雲隱れつゝ

周防内侍

是をそうしければ内侍周防をめしてこれが返しせよとおほせ事ありければつかうまつれる

何か思ふ春の嵐に雲晴れてさやけき影はきみぞみるべき

その後なりにけると云々。

[_]
[1] Shinpen kokka Taikan (Tokyo: Kadokawa Shoten, 1983, vol. 1; hereafter cited as SKT) reads 源俊頼朝臣.