University of Virginia Library

Search this document 

 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
  

  

「こっちは、びきを泣かせてやれか。」

 と黄八丈が 骨牌 ふだ めく ると、黒縮緬の坊さんが、 あか い裏を 翻然 ひらり かえ して、

「餓鬼め。」

 と投げた。

「うふ、うふ、うふ。」と平四郎の忍び笑が、歯茎を れて声に出る。

「うふふ、うふふ、うふふふふふ。」

「何じゃい。」と片手に 猪口 ちょく を取りながら、 黒天鵝絨 くろびろうど 蒲団 ふとん の上に、萩、 菖蒲 あやめ 、桜、 牡丹 ぼたん の合戦を、どろんとした目で見据えていた、 大島揃 おおしまぞろい 大胡坐 おおあぐら の熊沢が、ぎょろりと平四郎を見向いて言うと、笑いの虫は 蕃椒 とうがらし を食ったように、赤くなるまで かっ 競勢 きお って、

「うはははは、うふふ、うふふ。うふふ。えッ、いや、あ、あ、チ、あははははは、はッはッはッはッ、テ、ウ、えッ、えッ、えッ、えへへ、うふふ、あはあはあは、あは、あはははははは、あはははは。」

「馬鹿な。」

 と唇を 横舐 よこな めずって、熊沢がぬっと突出した猪口に、酌をしようとして、 銅壺 どうこ から抜きかけた 銚子 ちょうし の手を留め、お千さんが、

「どうしたの。」

「おほほ、や、お尋ねでは恐入るが、あはは、テ、えッ。えへ、えへへ、う、う、ちえッ、 たま らない。あッはッはッはッ。」

「魔が したようだ。」

 甘谷が あき れて つぶや く、……と 寂然 しん となる。

  寂寞 しん となると、 わらい ばかりが、

「ちゃはははは、う、はは、うふ、へへ、ははは、えへへへへ、えッへ、へへ、あははは、うは、うは、うはは。どッこい、ええ、チ、ちゃはは、エ、はははは、ははははは、うッ、うッ、えへッへッへッ。」

 と横のめりに平四郎、煙管の 雁首 がんくび 脾腹 ひばら つつ いて、 身悶 みもだ えして、

「くッ、苦しい……うッ、うッ、うッふふふ、チ、うッ、うううう苦しい。ああ、切ない、あはははは、あはッはッはッ、おお、コ、こいつは、あはは、ちゃはは、テ、チ、たッたッ堪らん。ははは。」

 と込上げ 揉立 もみた て、 真赤 まっか になった、七 てん とう 息継 いきつぎ に、つぎ ざま しの茶を取って、がぶりと遣ると、

「わッ。」と せて、灰吹を つか んだが間に合わず、火入の灰へぷッと吐くと、むらむらと灰かぐら。

「ああ、あの 、障子を一枚開けていな。」

 と黒縮緬の袖で払って出家が言った。

 宗吉は針の むしろ を飛上るように、そのもう一枚、 肘懸窓 ひじかけまど の障子を開けると、 さっ と出る灰の吹雪は、すッと 蒼空 あおぞら に渡って、 はるか に品川の海に消えた。が、蔵前の煙突も、十二階も、 睫毛 まつげ 一眸 ひとめ の北の かた 、目の下、 一雪崩 ひとなだれ がけ になって、崕下の、ごみごみした屋根を隔てて、 日南 ひなた の煎餅屋の小さな店が、油障子も覗かれる。

 ト ななめ に、がッくりと くぼ んで暗い、崕と石垣の間の、遠く明神の裏の石段に続くのが、 大蜈蚣 おおむかで のように 胸前 むなさき うね って、突当りに きば 噛合 かみあ うごとき、小さな黒塀の忍び がえし の下に、 どぶ から 這上 はいあが った うじ の、醜い汚い筋をぶるぶると震わせながら、 めるような形が、 歴然 ありあり と、 自分 おの が瞳に映った時、宗吉はもはや 蒼白 まっさお になった。

 ここから られたに相違ない。

 と思う平四郎は、 よだれ と一所に、濡らした膝を、 手巾 ハンケチ で横撫でしつつ、

「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ。」…… 大歎息 おおためいき とともに尻を いたなごりの わらい が、更に、がらがらがらと雷の鳴返すごとく少年の耳を打つ!……

「お せん をめしあがれな。」

 目の下の崕が 切立 きった てだったら、宗吉は、お千さんのその声とともに、 さかしま に落ちてその場で五体を 微塵 みじん にしたろう。

  うみ の親を 可懐 なつか しむまで、眉の 一片 ひとひら かば ってくれた、その人ばかりに恥かしい。……

「ちょっと、 うち まで。」

 と息を呑んで言った――宅とは露路のその長屋で。

 宗吉は、しかし、その長屋の前さえ、 遁隠 にげかく れするように素通りして、明神の境内のあなたこなた、人目の すき の隅々に立って、 うえ さえ忘れて、半日を泣いて泣きくらした。

 星も曇った暗き に、

「おかみさん――床屋へ剃刀を持って参りましょう。ついでがございますから……」

 宗吉はわざと格子戸をそれて、 蚯蚓 みみず の這うように台所から、 そっ と妾宅へおとずれて、家主の手から剃刀を取った。

  を隔てた座敷に、 あで やかな影が 気勢 けはい に映って、香水の かおり は、つとはしり もと にも薫った。が、 寂寞 ひっそり していた。

 露路の長屋の赤い あかり に、珍しく、大入道やら、五分刈やら、中にも小皿で 禿 かむろ なる影法師が動いて、ひそひそと声の漏れるのが、目を忍び、 はばか る出入りには、宗吉のために、むしろ 僥倖 さいわい だったのである。