6.3. 夜發の付聲
今ははや身に引請し世に有程の勤めつきて。老の浪立戀の梅津の國の色所新町に
へめぐりて。昔此身に覺えし道筋なれば。よしみある人に情を頼み遣手奉公をする事。
以前に引替て耻かし風俗そなはつて隱れなし。薄色のまへだれ中幅の帯を左の脇にむ
すび。萬の鎰をさげ内懷より手を入後をすこし引あげて大かたは置手拭。足音なしの
忍びありき。不斷作り皃して心の外におそろしがられ。大夫引まはす事よはきうまれ
つきをも。間もなくかしこくなして客の好やうにもつてまゐり。隙日なく親かたのた
めによきものとなりぬ。女郎の子細をしりすぎて後にはやりくりを見とがめ。大夫も
是におそれ客もきのどくさに。節季をまたず貳角づゝ。鬼に六道錢をとらるゝごとく
思ひぬ。人にあしき事の末のつゞきしはなし。惣じて惡み出し此里の住憂。玉造とい
ふ町はずれ見せなしの小家がちなる。物の淋しく晝さへ蝙蝠の飛。うらがし屋を隱住
に世をわたるかくまへもなくて。ひとつもある衣類を賣絶て。明日の薪に棚板をくだ
きゆふべは素湯に煎大豆齒にのせるより外なし。夜の雨に人はおそるゝ神鳴を。哀れ
をしらば爰に落て我を掴よかし。惜からぬは命今といふ今浮世にふつ/\とあきぬ。
ゆく年はもはや六十五なるに。うち見には四十餘と人のいふは。皮薄にして小作りな
る女の徳なり。それも嬉しからず。一生の間さま/\のたはふれせしを。おもひ出し
て觀念の窓より覗ば。蓮の葉笠を着るやうなる子共の面影。腰より下は血に染て。九
十五六程も立ならび。聲のあやぎれもなくおはりよ/\と泣ぬ。是かや聞傳へし孕女
なるべしと氣を留て見しうちに。むごいかゝさまと銘々に恨申にぞ。扨はむかし血荒
をせし親なし子かとかなし。無事にそだて見ば和田の一門より多くて。めでたかるべ
き物をと過し事どもなつかし。暫有て消て跡はなかりき。是を見るにもいよ/\世を
かぎりと思ひしに。其夜明ればつれなや命の捨がたくおもはれし。壁隣を聞に合住の
鼻口三人年の程は皆五十とばかりと見えしが。晝前まで長寢をして何を身過ともしれ
ず。不思議さに樣子心懸て見しに。朝夕おのれが相應より美食を好み。堺より賣くる
磯の小肴を調へ。小半酒もなんともおもはず。世のせはしき物語をやめて。行向の正
月着物は薄玉子にして。隱し紋に帆掛舟と唐團と染込に。帯は夜目に立やうに鼠色に
左巻を五色にと。まだ間の有事を今からいふは。内證のよき所あれば也。夕食過より
姿を作りなし。土白粉なんべんかぬりくり。硯の墨に額のきはをつけ。口紅をひから
せ首筋をたしなみ。胸より乳房のあたり皺のよれるを。隨分しろくなして髪はわづか
なるを。いくつか添入て引しめしまだに忍びもとゆひ三筋まはし。そのうへに長平紙
を幅廣を掛紺の大振袖に白もめんの帯うしろむすび。ふとさし足袋にわら草履。すき
かへしの鼻紙を入きやふの紐がてらに腹帯をしめて。人皃のうす/\と見えし夕暮を
待あわせけるに。達者なる若男三人羽織に鉢巻又はほほかぶり。あるひは長頭巾を引
込。ふとき竹杖に股引きやはんわらんぢをはきて。御座莚の細長き巻持て時分は今ぞ
とつれて行。南隣は合羽のこはぜけづりて世渡をせし夫婦なるが。是も内義を色をつ
くりて五つ斗の娘の子に。餅など買てあてがひ阿爺も鼻口も余所へいてくるぞ。留守
をせよと合點させて二つばかりの子をとゝが懷に抱は。かゝは古帷子うはばりにして
少は近所をしのぶふりにてはしり行。何の事ともわきまへがたし。夜の明がたに宿に
かへる風情宵とは各別につかみさがされ。
。素湯に鹽入て飲など白粥をいそぎ。行水しばらくして胸を
押下。其後彼男の袖より見だけ錢を取出し。十文で五文つゝの間錢めのこ算用してと
つてかへる。其跡にしてうちよりてさんげばなし。すぎし夜は不仕合にて
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鼻紙持たる男にひとりもあはざる」といふ。「我は又けつきさかんの
若い者に斗出合、四十六人目の男の時は命もたへ%\に、是ではつゞかぬと身をこら
しけるが、欲にはかぎりなし。それからも相手のあるを幸に、また七八人も勤めてか
へる」
と語る。又ひとりの女われながらくつ/\笑ひ出して。物をもいはざる
を何事かとおの/\尋ねけるに。我等は昨夜程迷惑したる事はなし。出がけにいつも
の道筋天滿の市に立。河内の百姓舟を心掛てゆきしに。庄屋の三番子ぐらゐならめ。
いまだ年比は十六七なるが角さへ入ぬ前髪。在郷人にはつやある若衆。然もかはゆら
しき風俗して女房めづらしさうに。同じ里の野夫とつれて出しが。彼男あれ是目利を
して定りの十文にて。各別のほり出しありといふを其間を待兼て。それがしは此子を
好たと我にむつれて。棚なし舟に引こまれおのづからの
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波枕、か
ず/\の首尾のうへに、やはらかなる手して脇腹を心よくさすりて、
そなたは
いくつぞと。年とはれし時身にこたへて耻しく。物しづかに作り聲をして十七になり
ますといへば。さては我等と同年とうれしがりぬ。闇の夜なればこそ此形をかくしも
すれもはや五十九になりて十七といふ事は。四十二の大僞世の後に鬼がとがめて舌を
ぬくべし。是も身をすぐる種なればゆるしたまへ。それより長町に浮れまはりて。順
禮宿に呼込れて四五人も念佛講のごとくならび居て。燈かゞやかせし中へ皃はそむけ
て出けれども。皆々興を覺して言葉もかけず。田舎者の目にも是は合點のゆかぬはず
なり。此時のせつなさ是非もなくどれさまぞお慰みなされませぬか。泊りは各別さき
へいそぎますといへば。此聲を聞てなほなほおそれて身をちゞめける。其中に子細ら
しき親仁三指を突て。女郎若い者ともかくおそるゝを。努々おこゝろに掛給ひそ。宵
に猫またの姥に化たる咄しをせしか。此事をおもひ出しておそろしがるなり。いづれ
も後世の道をいそぎ三十三所をまはるものが。わかげにて女ぐるひに氣をなすがゆゑ
に。こなたをよふでまゐつた是觀音の御ばちぞかし。こなたに戀も恨も御ざらぬ只は
やうかへつてくだされいといふ。腹は立ながら此まゝかへるもそんと思ひ。庭を見ま
はし手元にある物。十文に加賀笠一かい取てかへつたと語りぬ。免角は若いが花も
せゝしよき娘もあり。風義天職に見かはすもありける。此女になるこそつたなけれ。
上中下なしに十文に極まりしものなれば。よい程がそれ/\の身のそんなり。此勤め
に願はくは月夜のない國もかなといふこそをかしけれ。其物語をこまかに聞にぞさて
は人の申せし。惣嫁といへる女なるべし。いかに世をわたる業なればとて。あの年を
して天おそろしき事ぞと。其身を笑ひ死ば濟事ぞと思ひしが。扨も惜からぬ命さへ捨
がたくてつらし。同じ借家の奥住ゐして七十あまりの姥。かなしき煙を立かね明暮足
の立ぬをなげき。我にいさめられしはそなたの姿ながら。うか/\と暮し給ふは愚か
なり。ひらさら人なみに夜出給へと進めける。此年になりて誰が請取者のあるべきと
いへば。彼姥赤面して我等さへ足の立事ならば。白髪に添髪して後家らしく作りなし
て。いつぱい掴す事なれども身が不自由なれば口惜や。こなた是非/\と申けるにぞ。
又こゝろひかされて喰で死るかなしさよりはと。それに身をなすべし。されども此姿
にて。なりがたしといへばそれは今の間調へる子細ありと。いふ言葉の下より仁體ら
しき人をつれきて。我を見せけるに此親仁よく/\のみ込て。なる程闇には錢になる
べしと。宿に歸りてから風呂敷包みを遣しける。此中に大振袖のきるもの帯一筋二布
物壹つもめん足袋一そく。是皆かし物に拵へ置てそれ/\のそんれう。布子ひとつを
一夜を三分帯一つを壹分五リきやふ壹分足袋壹分。雨夜になれば傘一本十二文ぬりぼ
くり一そく五文に極め。何にても此道にことのかけざるかり道具ありて。ざんじが程
に品形をそれ仕替て。此勤めを見覺え聞ならひ君が寢巻の一ふし。うたうて見しに聲
をかしげなれば牛夫に付聲させ。霜夜の橋々をわたりかねたる世なればとていと口惜
かりぬ。今時は人もかしこくなりて是程の事ながら。大臣の大夫をかりて見るより念
を入。往來の挑灯を待あはせ又は番屋の行燈の影につれ行かりなる事にも吟味つよく。
むかしと替り是も惡女年寄はつかまず。目明千人めくらはなかりき。やう/\東雲の
天鐘かぞふるに八つ七つにせはしく。馬かたの出掛る音鍛冶屋とうふやに見せ明る比
迄。せつかくありきしに是にそなはらぬ風のあしきにや。ひとりもとふ男なくて。こ
れを浮世の色勤めのおさめに思切てぞやめける
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This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It
has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.
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