University of Virginia Library

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 その時の弟子の恰好は、まるで酒甕を轉がしたやうだとでも申しませうか。何しろ手も足も慘たらしく折り曲げられて居りますから、動くのは唯首ばかりでございます。そこへ肥つた體中の血が、鎖に循環を止められたので、顏と云はず胴と云はず、一面に皮膚の色が赤み走つて參るではございませんか。が、良秀にはそれも格別氣にならないと見えまして、その酒甕のやうな體のまはりを、あちこちと廻つて眺めながら、同じやうな寫眞の圖を何枚となく描いて居りました。その間、縛られてゐる弟子の身が、どの位苦しかつたかと云ふ事は、何もわざわざ取り立てて申し上げるまでもございますまい。

 が、もし何事も起らなかつたと致しましたら、この苦しみは恐らくまだその上にも、つづけられた事でございませう。幸(と申しますより、或は不幸にと申した方がよろしいかも知れません。)暫く致しますと、部屋の隅にある壺の陰から、まるで黒い油のやうなものが、一すぢ細くうねりながら、流れ出して參りました。それが始の中は餘程粘り氣のあるもののやうに、ゆつくり動いて居りましたが、だんだん滑らかに辷り始めて、やがてちらちら光りながら、鼻の先まで流れ着いたのを眺めますと、弟子は思はず、息を引いて、

「蛇が――蛇が。」と喚きました。その時は全く體中の血が一時に凍るかと思つたと申しますが、それも無理はございません。蛇は實際もう少しで、鎖の食ひこんでゐる、頸の肉へその冷い舌の先を觸れようとしてゐたのでございます。この思ひもよらない出來事には、いくら横道な良秀でも、ぎよつと致したのでございませう。慌てて畫筆を投げ棄てながら、咄嗟に身をかがめたと思ふと、素早く蛇の尾をつかまへて、ぶらりと逆に吊り下げました。蛇は吊り下げられながらも、頭を上げて、きりきりと自分の體へ卷つきましたが、どうしてもあの男の手の所まではとどきません。

「おのれ故に、あつたら一筆を仕損じたぞ。」

 良秀は忌々しさうにかう呟くと、蛇はその儘部屋の隅の壺の中へ抛りこんで、それからさも不承無承に、弟子の體へかかつてゐる鎖を解いてくれました。それも唯解いてくれたと云ふ丈で、肝腎の弟子の方へは、優しい言葉一つかけてはやりません。大方弟子が蛇に噛まれるよりも、寫眞の一筆を誤つたのが、業腹だつたのでございませう。――後で聞きますと、この蛇もやはり姿を寫す爲に、わざわざあの男が飼つてゐたのださうでございます。

 これだけの事を御聞きになつたのでも、良秀の氣違ひじみた、薄氣味の惡い夢中になり方が、略、御わかりになつた事でございませう。所が最後にもう一つ、今度はまだ十三四の弟子が、やはり地獄變の屏風の御かげで、云はば命にも關はり兼ねない、恐ろしい目に出遇ひました。その弟子は生れつき色の白い女のやうな男でございましたが、或夜の事、何氣なく師匠の部屋へ呼ばれて參りますと、良秀は燈臺の火の下で掌に何やら腥い肉をのせながら、見馴れない一羽の鳥を養つてゐるのでございます。大きさは先づ、世の常の猫ほどもございませうか。さう云へば、耳のやうに兩方へつき出た羽毛と云ひ、琥珀のやうな色をした、大きな圓い眼と云ひ、見た所も何となく猫に似て居りました。