University of Virginia Library

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 元來良秀と云ふ男は、何でも自分のしてゐる事に嘴を入れられるのが大嫌ひで、先刻申し上げた蛇などもさうでございますが、自分の部屋の中に何があるか、一切さう云ふ事は弟子たちにも知らせた事がございません。でございますから、或時は机の上に髑髏がのつてゐたり、或時は又、銀の椀や蒔繪の高坏が並んでゐたり、その時描いてゐる畫次第で、隨分思ひもよらない物が出て居りました。が、ふだんはかやうな品を、一體どこにしまつて置くのか、それは又誰にもわからなかつたさうでございます。あの男が福徳の大神の冥助を受けてゐるなどと申す噂も、一つは確にさう云ふ事が起りになつてゐたのでございませう。

 そこで弟子は、机の上のその異樣な鳥も、やはり地獄變の屏風を描くのに入用なのに違ひないと、かう獨り考へながら、師匠の前へ畏まつて、「何か御用でございますか」と、恭しく申しますと、良秀はまるでそれが聞えないやうに、あの赤い脣へ舌なめずりをして、

「どうだ。よく馴れてゐるではないか。」と、鳥の方へ頤をやります。

「これは何と云ふものでございませう。私はつひぞまだ、見た事はございませんが。」

 弟子はかう申しながら、この耳のある、猫のやうな鳥を、氣味惡さうにじろじろ眺めますと、良秀は不相變何時もの嘲笑ふやうな調子で、

「なに、見た事がない?都育ちの人間はそれだから困る。これは二三日前に鞍馬の獵師がわしにくれた耳木兎と云ふ鳥だ。唯、こんなに馴れてゐるのは、澤山あるまい。」

 かう云ひながらあの男は、徐に手をあげて、丁度餌を食べてしまつた耳木兎の背中の毛を、そつと下から撫で上げました。するとその途端でございます。鳥は急に鋭い聲で、短く一聲啼いたと思ふと、忽ち机の上から飛び上つて、兩脚の爪を張りながら、いきなり弟子の顏へとびかかりました。もしもその時、弟子が袖をかざして、慌てて顏を隱さなかつたら、きつともう疵の一つや二つは負はされて居りましたらう。あつと云ひながら、その袖を振つて、逐ひ拂はうとする所を、耳木兎は蓋にかかつて、嘴を鳴らしながら、又一突き――弟子は師匠の前も忘れて、立つては防ぎ、坐つては逐ひ、思はず狹い部屋の中を、あちらこちらと逃げ惑ひました。怪鳥も元よりそれにつれて、高く低く翔りながら、隙さへあれば驀地に眼を目がけて飛んで來ます。その度にばさばさと、凄じく翼を鳴らすのが、落葉の匂だか、瀧の飛沫だか、或は又猿酒の饐ゑたいきれだか、何やら怪しげなもののけはひを誘つて、氣味の惡さと云つたらございません。さう云へばその弟子も、うす暗い油火の光さへ朧げな月明りかと思はれて、師匠の部屋がその儘遠い山奥の、妖氣に閉された谷のやうな、心細い氣がしたとか申したさうでございます。

 しかし弟子が恐ろしかつたのは、何も耳木兎に襲はれると云ふ、その事ばかりではございません。いや、それよりも一層身の毛がよだつたのは、師匠の良秀がその騒ぎを冷然と眺めながら、徐に紙を展べ筆を舐つて、女のやうな少年が異形な鳥に虐まれる、物凄い有樣を寫してゐた事でございます。弟子は一目それを見ますと、忽ち云ひやうのない恐ろしさに脅かされて、實際一時は師匠の爲に、殺されるのではないかとさへ、思つたと申して居りました。