University of Virginia Library

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 と申しますのは、良秀が、あの一人娘の小女房をまるで氣違ひのやうに可愛がつてゐた事でございます。先刻申し上げました通り、娘も至つて氣のやさしい、親思ひの女でございましたが、あの男の子煩惱は、決してそれには劣りますまい。何しろ娘の着る物とか、髮飾とかの事と申しますと、どこの御寺の勸進にも喜捨をした事のないあの男が、金錢には更に惜し氣もなく、整へてやると云ふのでございますから、嘘のやうな氣が致すではございませんか。

 が、良秀の娘を可愛がるのは、唯可愛がるだけで、やがてよい聟をとらうなどと申す事は、夢にも考へて居りません。それ所か、あの娘へ惡く云ひ寄るものでもございましたら、反つて辻冠者ばらでも驅り集めて、暗打位は喰はせ兼ねない量見でございます。でございますから、あの娘が大殿樣の御聲がかりで小女房に上りました時も、老爺の方は大不服で、當座の間は御前へ出ても、苦り切つてばかり居りました。大殿樣が娘の美しいのに御心を惹かされて、親の不承知なのもかまはずに、召し上げたなどと申す噂は、大方かやうな容子を見たものの當推量から出たのでございませう。

 尤も其噂は噂でございましても、子煩惱の一心から、良秀が始終娘の下るやうに祈つて居りましたのは確でございます。或時大殿樣の御云ひつけで、稚兒文珠を描きました時も、御寵愛の童の顏を寫しまして、見事な出來でございましたから、大殿樣も至極御滿足で、

「褒美にも望みの物を取らせるぞ。遠慮なく望め。」と云ふ難有い御語が下りました。すると良秀は畏まつて、何を申すかと思ひますと、

「何卒私の娘をば御下げ下さいまするやうに。」と臆面もなく申し上げました。外の御邸ならば兎も角も、堀川の大殿樣の御側に仕へてゐるのを、如何に可愛いからと申しまして、かやうに無躾に御暇を願ひますものが、どこの國に居りませう。これには大腹中の大殿樣も聊か御機嫌を損じたと見えまして、暫くは唯默つて良秀の顏を眺めて御出でになりましたが、やがて、

「それはならぬ。」と吐出すやうに仰有ると、急にその儘御立ちになつてしまひました。かやうな事が、前後四五遍もございましたらうか。今になつて考へて見ますと、大殿樣の良秀を御覽になる眼は、その都度にだんだんと冷やかになつていらしつたやうでございます。すると又、それにつけても、娘の方は父親の身が案じられるせゐででもございますか、曹司へ下つてゐる時などは、よく袿の袖を噛んで、しくしく泣いて居りました。そこで大殿樣が良秀の娘に懸想なすつたなどと申す噂が、愈擴がるやうになつたのでございませう。中には地獄變の屏風の由來も、實は娘が大殿樣の御意に從はなかつたからだなどと申すものも居りますが、元よりさやうな事がある筈はございません。

 私どもの眼から見ますと、大殿樣が良秀の娘を御下げにならなかつたのは、全く娘の身の上を哀れに思召したからで、あのやうに頑な親の側へやるよりは御邸に置いて、何不自由なく暮させてやらうと云ふ難有い御考へだつたやうでございます。それは元より氣立ての優しいあの娘を、御贔屓になつたのは間違ひございません。が、色を御好みになつたと申しますのは、恐らく牽強附會の説でございませう。いや、跡方もない嘘と申した方が、宜しい位でございます。

 それは兎も角もと致しまして、かやうに娘の事から良秀の御覺えが大分惡くなつて來た時でございます。どう思召したか、大殿樣は突然良秀を御召になつて、地獄變の屏風を描くやうにと、御云ひつけなさいました。