University of Virginia Library

16. 千載和歌集卷第十六
雜歌上

法成寺入道前太政大臣

上東門院より六十賀おこなひ給ひける時よみ侍りける

數へ志る人なかりせばおく山の谷の松とや年をつまゝし

大納言齊信

上東門院入内の時の御屏風に松ある家に笛ふき遊び志たる人ある所を詠み侍りける

笛竹のよふかき聲ぞきこゆなる峰の松風ふきやそふらむ

皇后宮清少納言

一條院の御時皇后宮五節奉られける時、辰の日かしづき十二人わらは下づかへまで青ずりをなむ着せられたりけるに、兵衛といふがあかひものとけたりけるをこれむすばゞやといふをきゝて、中將實方朝臣よりてつくろふとて、足びきの山井のみづはこほれるをいかなるひものとくるなるらむといふをきゝて返事によみ侍りける

上氷あはに結べる紐なればかざす日影にゆるぶばかりぞ

上東門院紫式部

十二月ばかりに門をたゝきかねてなむ歸りにしと恨みたりける男、としかへりてかどは明きぬらむやといひて侍りければ遣はしける

たが里の春のたよりに鶯のかすみにとづる宿をとふらむ

藤原道信朝臣

藤原實方朝臣のとのゐ所にもろともにふしてあかつきかへりて朝につかはしける

妹とねておきゆく朝の道よりもなか/\物の思はしき哉

周防内侍

二月ばかり月のあかき夜二條院にて人々あまたゐあかして物語などし侍りけるに、内侍周防よりふして枕をがなと忍びやかにいふを聞きて、大納言忠家是を枕にとてかひなをみすの下よりさし入れて侍りければよみ侍りける

春の夜の夢計なる手枕にかひなくたゝむ名こそをしけれ

大納言忠家

といひ出し侍りければ返事によめる

契ありて春の夜深き手枕をいかゞかひなき夢になすべき

皇后宮定子

一條院の御時皇后宮に清少納言はじめて侍りけるに比三月計に二三日まかり出で侍りける

いかにして過ぎにし方を過し劔暮しわぶてふ昨日今日哉

清少納言

御かへし

雲の上も暮らしかねける春の日を所がら共詠めつるかな

選子内親王

[_]
[6]いぶがしく
おぼされける人のむすめの女房のつぼねにゆかりありて忍びてかたゝがへにまゐれりけるをあかつきとく出でにければつかはしける

逢見むと思ひしことをたがふればつらき方にも定めつる哉
[_]
[6] SKT reads いぶかしく.

齋院中將

選子内親王に侍りける右近、後の齋院にまゐりて御禊のいだし車にのるときゝて又の日つかはしける

みそぎせし鴨の川浪立ち返り早く見し世に袖はぬれきや

藤原實方朝臣

まつりのつかひにて神だちの宿所より齋院の女房につかはしける

千早振いつきの宮の旅寐にはあふひぞくさの枕なりける

和泉式部

彈正尹爲尊のみこかくれ侍りて後太宰帥敦道のみこ花たちばなをつかはしていかゞ見るといひて侍りければつかはしける

馨る香によそふるよりは時鳥きかばや同じ聲やしたると

八條前太政大臣

上西門院かものいつきと申しけるをかはらせ給ひてからさきにはらへし給ひける御ともにて女房のもとにつかはしける

昨日まで御手洗河にせしみそぎしがの浦浪立ちぞ變れる

式子内親王

かものいつきかはり給うて後からさきのはらへ侍りける又の日雙林寺のみこのもとより昨日は何事かなど侍りけるかへり事につかはされ侍りける

御手洗や影絶果つる心地してしがの浪路に袖ぞぬれこし

大宮前太政大臣

右兵衛督に侍りける時中院右大臣中納言に侍りけるにゆみをかりおきて侍りけるをつかさ辭し申してこもりゐ侍りける時かの弓を返しおくるとてそへて遣はしける

八年まで手慣したりし梓弓歸るをみるにねぞ泣かれける

中院の右のおほいまうち君

かへし

何かそれ思ひ捨つべき梓弓またひきかへす時もありなむ

左京大輔顯輔

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[7]

右大將兼長春日のまつりの上卿に立ち侍りけるともに藤原範綱が子清綱が六位に侍りけるに忍摺の狩衣をきせて侍りけるをおかしく

[_]
[8]見えけれ又ばの日
のりつながもとにさしおかせ侍りける

昨日見し忍ぶもぢずり誰ならむ心のほどぞ限りしられぬ
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[7] SKT reads 大夫.
[_]
[8] SKT reads みえければ、又の日.

紫式部

上東門院に侍りけるをさとに出でたりけるころ女房の、せうそこのついでに箏つたへにまうでむといひて侍りければ遣はしける

露しげき蓬がもとの虫の音をおぼろげにてや人の尋ねむ

從三位頼政

二條院の御時とし比おほうちまもることをうけたまはりてみかきのうちに侍りながら昇殿はゆるされざりければ、行幸ありける夜月のあかゝりけるに女房のもとに申し侍りける

人しれぬ大内山の山もりは木がくれてのみ月を見るかな

權中納言實綱

三條の女御

[_]
[9]
※子遁世の後あふぎがみに月見だしてつかはし侍りけるとそへて侍りける

秋をへて光をませと思ひしに思はぬ月の影にもあるかな
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[9] The kanji in place of ※ is 「王+宗」.

仁和寺後入道法親王

月爲友といへる心を

とふ人に思ひよそへて見る月の曇るは歸る心地こそすれ

法性寺入道前太政大臣

月の歌あまたよませ侍りける時よみ侍りける

さゞ浪や國津御神のうらさびて古きみやこに月獨りすむ

天の原空ゆく月はひとつにて宿らぬ水のいかでなからむ

中務卿具平親王

題志らず

獨ゐて月をながむる秋の夜はなにごとをかは思ひ殘さむ

赤染衛門

物思はぬ人もや今宵詠むらむねられぬ儘に月を見るかな

相模

眺めつゝ昔も月は見し物をかくやは袖のひまなかるべき

和泉式部

獨のみ哀なるかとわれならぬ人にこよひの月をみせばや

久我内大臣

おもふこと侍りける比月のいみじくあかく侍りけるによみ侍りける

かく計浮世の中の思ひ出に見よともすめる夜半の月かな

皇太后宮大夫俊成

山家月といへる心をよみ侍りける

住侘びて身を隱すべき山里にあまり隈なき夜半の月かな

前參議親隆

百首の歌奉りける時月の歌とてよめる

播磨潟須磨の月よみ空さえて繪島がさきに雪ふりにけり

藤原家基

月の歌十首よみ侍りける時

さよ千鳥ふけひの浦に音づれて繪島がいそに月傾ぶきぬ

俊惠法師

筏おろす清龍川にすむ月は棹にさはらぬこほりなりけり

賀茂成保

天の原すめるけしきは長閑にて早くも月の西へゆくかな

顯昭法師

寂しさに哀もいとゞまさりけり獨ぞ月はみるべかりける

藤原清輔朝臣

今よりは更行くまでに月は見じその事となく涙おちけり

登蓮法師

とし比修行にまかりありきけるがかへりまうで來て月前述懷といへる心をよめる

諸共に見し人いかになりにけむ月は昔にかはらざりけり

法印靜賢

都をはなれて遠くまかる事侍りける時月をみてよみ侍りける

あかなくに又も此世にめぐりこば面變りすな山の端の月

源仲正

月の歌あまたよみ侍りける時いざよひの月の心をよめる

儚くも我世の更けを知らずしていざよふ月を侍渡るかな

源仲綱

見月戀故人といへる心をよめる

先だちし人は闇にや迷ふらむいつまでわれも月を眺めむ

待賢門院堀川

百首の歌奉りける時月の歌とてよめる

殘なく我世更けぬと思ふにも傾ぶく月にすむこゝろかな

近衛院御製

從一位藤原宗子やまひおもくなりて久しくまゐり侍らで心ぼそきよしなど奏せさせて侍りけるに遣はしける

浮雲のかゝる程だにあるものをかくれなはてそ有明の月

仁和寺後入道法親王覺性

みのをの山寺に日頃こもりて出て侍りけるあかつき月のおもしろく侍りければよめる

木の間もる有明の月のおくらずば獨や山の峰をいでまし

道性法親王

月の歌とてよみ侍りける

琴の音を雪に志らぶと聞ゆなり月さゆる夜のみねの松風

權中納言長方

あかでいらむ名殘を最ど思へとや傾ぶく儘にすめる月哉

藤原定家

殷富門殷にて人々百首の歌よみ侍りける時月の歌とてよめる

いかにせむさらで憂世は慰まずたのみし月も涙おちけり

藤原家隆

題志らず

山ふかき松の嵐を身に志めてたれか寐覺に月をみるらむ

八條院六條

まつほどもいとゞ心ぞなぐさまぬ姨捨やまの有明のつき

法印實修

世を厭ふ心は月を志たへばや山のはにのみ思ひいるらむ

藤原隆親

寂しさも月見るほどは慰みぬいりなむ後をとふ人もがな

圓位法師

寒夜月といへる心をよみ侍りける

霜さゆる庭の木葉を踏分けて月は見るやと問ふ人もがな

平實重

世をのがれて後西山にまかりこもるとて人につかはしける

住馴れし宿をば出て西へゆく月を志たひて山にこそ入れ

俊惠法師

故郷月をよめる

古郷の板井の清水水草ゐて月さへすまずなりにけるかな

藤原家基

水上月といへる心を

さもこそは影とゞむべき世ならねど跡なき水に宿る月哉

藤原親盛

賀茂の社の後番の歌合に月の歌とてよめる

何となくながむる袖のかわかぬは月の桂の露やおくらむ

大江公景

山家曉霰といへる心をよめる

ましばふく宿の霰に夢さめて有明がたのつきを見るかな

靜蓮法師

山家月をよめる

足曳の山の端近くすむとてもまたでやは見る有明のつき

紀康宗

月照寒草といへる心をよめる

諸共に秋をや志のぶ霜がれの荻の上葉をてらすつきかげ

法眼長眞

月照山水といへるこゝろを

眞菅おふる山下水に宿る夜は月さへ草のいほりをぞさす

藤原爲忠朝臣

山のはの月といへる心をよめる

ふかき夜の露ふき結ぶ木枯に空さえのぼるやまのはの月

覺延法師

荒屋月といへる心を

山風にまやのあしぶきあれにけり枕にやどる夜半の月影

法圓慈印

題志らず

山深み誰又かゝるすまひして槇の葉わくる月を見るらむ

月影のいりぬる後におもふかな迷はむ闇のゆくすゑの空

俊惠法師

攝政前右大臣の家に百首の歌よませ侍りける時月の歌の中によめる

此世にて六十ぢはなれぬ秋の月志での山路も面變りすな

圓位法師

月の歌とてよめる

來む世には心のうちに現はさむあかでやみぬる月の光を

皇太后宮大夫俊成

二條院の御時四代まで侍りつることをおもひてよみ侍りける

いかなれば沈み乍に年をへてよゝの雲居の月をみるらむ

藤原基俊

堀川院の御時百首の歌奉りける時述懷の心をよめる

唐國に沈みし人もわが如くみよまであはぬ歎きをばせし

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[10]僧都
光覺維摩會の講師の請を申しけるをたび/\もれにければ法性寺入道前太政大臣に恨み申しけるを志めぢがはらと侍りけれど又その年も漏れにければ遣はしける

契置きしさせもが露を命にて哀れことしの秋もいぬめり
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[10] SKT reads 律師.

源俊頼朝臣

運をいづる百首の歌よみ侍りける中によめる

世間のありしにもあらず成行けば涙さへこそ色變りけれ

覺審法師

述懷の心をよめる

すぎ來にしよそぢの春の夢の世は憂より外の思出ぞなき

經因法師

儚しや憂身ながらは過ぎぬべき此世をさへも忍兼ぬらむ

源俊頼朝臣

天王寺にまうでゝ侍りけるにながらにてこゝなむ橋のあとゝ申すを聞きてよみ侍りける

行末を思へばかなし津の國のながらの橋も名が殘りけり

道命法師

長柄の橋のわたりにて

何事もかはりゆくめる世の中に昔ながらの橋ばしらかな

道因法師

おなじ所にて

今日見れば長柄の橋は跡もなし昔ありきときゝ渡れども

津守景基

津守國基身まかりて後住吉にも住まずなりにけるを有基にぐしてあからさまに下りて侍りけるに人の心もかはりて見え侍りければ松のもとをけづりてかきつけ侍りける

人心あらずなれども住吉の松のけしきはかはらざりけり

中納言經忠

吉野の瀧をよめる

白雲にまがひやせまし吉野山おちくる瀧の音なかりせば

前大納言公任

さがの大覺寺にまかりてこれかれ歌よみ侍りけるによみ侍りける

瀧の音はたえて久しくなりぬれど名社流れて猶聞えけれ

藤原長能

屏風に瀧落ちたる所をよめる

ぬけばちるぬかねばみだる足曳の山よりおつる瀧の白玉

六條右大臣

京極前太政大臣布引の瀧見侍りける時よみ侍りける

水の色のたゞ白雲と見ゆるかなたさらしけむ布引の瀧

能因法師

龍門寺にまうでゝ仙室に書き付け侍りける

芦田鶴にのりて通へる宿なれば跡だに人は見えぬなり鳬

藤原清輔朝臣

おなじ龍門のこゝろをよめる

仙人の昔のあとを來てみればむなしき床をはらふ谷かぜ

藤原良清

布引の瀧をよめる

音にのみきゝしはことの數ならで名よりも高き布引の瀧

藤原顯方

むろのやしまをよめる

たえずたつ室の屋島の煙かないかにつきせぬ思なるらむ

大納言師頼

堀川院の御時百首の歌奉りける時橋の歌とてよみ侍りける

葛城やわたしもはてぬもの故にくめの岩橋苔生ひにけり

權中納言俊忠

同じ御時うへのをのこども題をさぐりて歌つかうまつりけるに釣舟をとりてよみ侍りける

いはおろす方社なけれ伊勢の海の鹽瀬にかゝる蜑の釣舟

修理大夫顯季

百首の歌の中に松をよめる

玉藻かるいらこが崎の岩眼松幾世までにか年のへぬらむ

源俊頼朝臣

夏草をよめる

潮みてば野島が崎の小百合葉に浪こす風の吹かぬ日ぞなき

權大納言實家

廣田の社の歌合とて人々よみ侍りける時海上眺望といへる心をよみ侍りける

けふこそは都の方の山の端も見えず鳴尾の沖に出でけれ

權中納言實宗

播磨潟須磨の晴間に見渡せば浪は雲居の物にぞありける

右衛門督頼實

はる%\とおまへの沖をみ渡せば雲居にまがふ蜑の釣舟

圓玄法師

眺望の心をよめる

なにはがた潮路はるかに見わたせば霞にうかぶ沖の釣舟

藤原重綱

春霞繪島がさきをこめつれば浪のかくとも見えぬ今朝哉

祝部宿禰成仲

和歌の浦をよみ侍りける

ゆく年は浪とともにやかへるらむ面變りせぬ和歌の浦哉