University of Virginia Library

九 橋本より池田

 十一日、橋本を立ちて、橋のわたりより行く行く顧りみれば、跡に白き波の聲は、過ぐるなごりを呼びかへし、路に青き松の枝は、歩むもすそを引きとどむ。北にかへりみれば、湖上遙かに浮んで、波の皺、水の顏に老いたり。西に望めば、潮海ひろくはびこりて、雲の浮橋、風のたくみに渡す。水上の景色は、彼もこれも同じけれども、湖海の淡鹹は、氣味これ異なり。みぞの上には、波に羽うつみさご、凉しき水をあふぎ、船の中には、唐櫓おす聲、秋の雁をながめて夏のそらに行くもあり。興望は旅中にあれば、感腸しきりにめぐりて、思ひ、やみがたし。

 この處を打過ぎて濱松の浦に來ぬ。長汀、砂ふかくして、行けば歸るが如し。萬株、松しげくして、風波、聲を爭ふ。見れば又、洲島、潮を呑む、呑めば即ち曲浦の曲より吐き出し、濱、珠をゆる、ゆれば則ち疊巖の疊に碎き敷く。優なるかな、體なるかな、忘れがたく忍びがたし。命あらば、いかでか再び來りてこの浦を見む。

波は濱松には風のうらうへに
立ちとまれとや吹きしきるらん

 林の風に送られて廻澤の宿をすぎ、遙かに見わたして行けば、岡邊には森あり、野原には津あり。岸に立てる木は枝を上にさして正しく生ひたれども、水にうつる影は梢をさかさまにして互に相違せり。水と木とは相生、中よしと聞けども、映る影は向背して見ゆ。時すでにたそがれになれば、夜の宿をとひて池田の宿に泊る。