University of Virginia Library

二一 東國にさまよひ行く子

 東國にさまよひ行く子あり。もとの城國を別れて假の宿に臥せり。西刹に尋ぬる母います。あはれ、求めて彼の國に導くその母といます。佛は三字名號を子供に授けて三因佛性の隱れたるを呼び出だし、十念の來迎を最後に契りて十地證王の位に即く。信力よわき者には他力を與へてこれを濟ふ。倒れ臥したる赤子を親のいだくが如し。念緒つよき者は願緒にすがりて自ら進む。驥につく蠅の千里にかけるが如し。されども具縛の憂き身は一榮の肴にすすめられて三毒の酒に醉臥し、世路の嶮難に疲れて仙界の正道に迷ひぬ。妻子を思ふ心冥にくらまされて心佛の光を隔てたり。菩堤の鹿は罪業の山に隱れて、驅れどもいまだ出でず。煩惱の虎は功徳の林を別かつて追へども歸らず。睡眠の閨には、曉の鐘の聲、打驚かせども、諸行無常の告をさとらず。遊戯の床には、暮の日、さし驚かせども、分段有爲の理を辨まへず。老少不定の悲みは眼に遮ぎりて雲の如くに騷げども、心、空にして思はず。先後相違の別れは耳に滿ちて風の如くにひらけども、聞き、つれなくして悲まず。老いたるは老いたればいよいよ餘命を惜み、若きは若ければまことに將來を期す。その間、山水、齡ながれて俄に泉に歸し、風煙、命ほろびて忽に冥に迷ひぬ。貯ひ持つ貯ひは惜めども荷なはず。養ひおける僕從は哭すれども隨はず。終に天使に召されて地獄におちぬれば、冥路、山さかし、嬰兒の歩みにただよひて獨り行く。黄泉、水早く、ただ己の涙に溺れて身を流す。悲しきかな、悲しきかな、獄卒の呵責にかかりて、後悔、魂をくだき、閻王の斷罪におののきて、前非、舌をまく。惡行、耻を露はす、鏡の中の影、自業、陳じがたし、机の上の文。ああ十八猛鬼の怨忿と怒れる聲、天雷の落ちかかるが如し。六十四眼の睚眦とにらめる光、熱鐵のほとばしるに似たり。逃げんとすれども逃げられず、刄のふる所。喚ばんとすれども喚ばれず、にむせぶ時。心うきかな、猛火の薪木となりて萬億歳、罪根山の林、夏久し。寒風の水に沈みて無量劫,業報池の氷、春に別れたり。我等、前非ここに謝せずば、後悔またいかがせん。心あらむ人、誰か悲しまざらんや。

見ねばとや痛き心もなかるらん
聞くも身にたつ劔葉の枝