University of Virginia Library

一九 花京の老母

 人をたのみて下るほどに、頼む人、にはかに上りなんどすれば、身を無縁の境に捨てて志を有願の道(便宜あらば善光寺へ參るべき思ひ侍りき)にとげばやと存ずれども、花京に老いたる母あり。嬰兒にかへりて愚子をしたひ待つ。夷郷にうかれたる愚子は、萬里を隔てて母を思ひおく。斗藪の爲に暇を乞ひて出でしかども、棄つるとや恨むらむ。無爲に入るは眞實の報恩なれども、有爲の習ひはうときに恨あり。もとより思はず東鄙の經廻を、今はいよいよ急ぐ西路の歸願。かの最後の命に遇ふことは先世の縁なれば、坐したりともたがひなむ、たがひたりとも來りなん。ただ契の淺深によせて志の有無にまかせたり。悲しむらくは親も老いたり子も老いたり。何れか先立ち何れか後れん。ただ嘆くところは、母山の病木、八旬の涯に傾きて一房の白花いまだ開けざるに、子石の枯れたる苔、半百の波におぼれて一滴の雫いまだ汲まざることを。朝に省りみ、夕に定むる志、とげずして止みなば、佛に祈り神に祈る功それ如何せん。我聞く、佛神は孝養の爲に擁護の誓を發し、經論は報恩の爲に讃嘆の詞を述べたり。壯齡の昔は將來をたのみて天に祈りき、衰運の今は先報を顧りみて身を恨む。もしこれ不信の雲に覆はれて感應の月の現はれざるか。もしこれ過去の福因を植ゑずして現在の貧果を得たるか。先報によるべくば、佛の誓、たのむや否や。誓願によるべくば、我が孝行の何ぞ空しき。信否ともに惑ひて妄恨みだりにおこる。天眼あひなだめて憐れみを垂れ給へ、悲母の目前には中懷を謝して白髮をおろし、愚子が身上には本望を遂げて墨衣を着たることを。夢間の笋は、たとひ一旦の雪に求め失ふとも、覺路の蓮は必ず九品の露に開き置くらん。子養は子の志につくす、風樹は風殘すことなかれ。

いかにせん結ぶ果をまたずして
秋のははそに落つる山風