University of Virginia Library

一 序

 白川のわたり、中山の麓に、閑素幽栖のわびびとあり。性器に底なければ、能を拾ひ藝を容るるにたるべからず。身運はもとより薄ければ、報を恥ぢ命をかへりみて恨を重ぬるに處なく、徒に貪泉の蝦蟇となりて、身を浮き草によせて力なきねをのみ泣き、空しく窮谷の埋れ木として、意の樹、花たえたり。惜しからぬ命のさすがに惜しければ、投身の淵は胸の底に淺し。存しがひなき心は、なまじひに存したれば、斷腸の棘は愁ひの中にしげる。春はわらびを折りて、臨める飢を支ふ、伯夷が賢にあらざれば人もとがめず。秋は木の實を拾ひて貧しき病をいやす、華氏が藥もいまだ飢ゑたるをば治せず。九夏三伏の汗はのごひて苦しからず、手の中に扇あれば涼を招くにいと安し。玄冬素雪の嵐は凌ぐにあたはず、身の上に衣無ければ寒を防ぐにすべなし。窓の螢も集めざれば目は暗きが如し、何を見てか志を養はん。樽の酒も酌むことを得ざれば心は常にさめたり、如何か憂ひを忘れんや。

 しかるあひだ、逝く水はやく流れて生涯は崩れなんとす、とどめんとすれどもとどまらず、五旬の齡の流車、坂にくだる。朝に馳せ暮に馳す、月日の廻りの駿駒、隙を過ぐ。鏡の影に向ひゐて知らぬ翁に耻ぢ、けぬきを取りて白絲にあはれむ。これによりて頭上には、頻りにおどろかす老を告ぐる鶴、鬢のほとりには、早く落ちぬ霜を厭ふ華。鶴に驚き霜を厭ふ志たちまちにもよほして、僧を學び佛に歸する念やうやくに起る。名利は身に棄てつ、稠林に花ちりなば覺樹の木の實は熟するを期すべし。薜羅は肩に結べり、法衣、色染みなば衣裏の珠は悟ることを得つべし。旦暮の露の身は、山の蔭、草おくところあれども、朝の霞は、望たえて天を仰ぐに空し。世を厭ふ道は貧しき道より出でたれども、佛を念ずる思ひは遺怠とおこたる。四聖の無爲を契りしも一聖なほ頭陀の路にとどまりき。ひとへに己が有爲を厭ふ、貧しき己、いよいよ坐禪の窓にいそがはし。然して曾せきが酒も人を醉せて由なし、子牢が顆は心に貯ひて身を樂とせり。鵞眼なけれども天命の道に杖つきて歩をたすく、しやう牙かけたれども地恩の水に口すすぎて渇をうるほす。空腹一杯の粥、飢ゑてすすれば餘りの味あり。薄紙百綴の衿、寒に着たれば肌を温むるに足れり。檜の木笠をかぶりて裝ひとす、出家の身。藁履を踏んで駕とす、遁世の道。

 そもそも相模の國鎌倉郡は下界の麁澁苑、天朝の築鹽州なり。武將の林をなす、萬榮の花よろづにひらけ、勇士の道に榮ゆ、百歩の柳ももたびあたる。弓は曉の月に似たり、一張そばだちて胸を照し、劔は秋の霜の如し、三尺たれて腰すずし。勝鬪の一陣には爪を楯にして寇をここに伏す。猛豪の三兵は手にしたがへて互に雄稱す。干戈、威、いつくしくして梟鳥敢へてかけらず、誅戮、罪、きびしくして虎狼ながく絶えたり。この故に、一朝の春の梢は東風にあふがれて惠をまし、四海の潮の音は東日に照されて波をすませり。貴賤臣妾の往還する多くの驛の道、隣をしめ、朝儀國務の理亂は、萬緒の機、かたかたに織りなす。羊質、耳のほかに聞きをなして多歳をわたれり、舌の端に唇をして幾日をか送るや。心船いつはりの爲に漕ぐ、いまだ海道萬里の波に棹ささず。意馬あらましに馳す、關山千程の雲に鞭うたず。今すなはち芳縁に乘りて俄かに獨身の遠行を企つ。

 貞應二年卯月の上旬、五更に都を出でて一朝に旅に立つ。昨日は住みわびて厭ひし宿なれど、今日はたちわかるれば、なごりをしくおぼえて暫くやすらへども、鐘の聲、明けゆけば、あへずして出でぬ。

 粟田口の堀道を南にかいたをりて、逢坂山にかかれば九重の寶塔は北の方に隱れぬ。松坂を下りに松をともして過ぎゆけば、四宮河原のわたりは、しののめに通りぬ。小關を打越えて大津の浦をさして行く。關寺の門を左に顧みれば、金剛力士忿怒のいかり眼を驚かし、勢多の橋を東に渡れば、白浪みなぎり落ちて、

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べんの流れ、身をひやす。湖上に船を望めば、心、興に乘り、野庭に馬をいさめて、手、鞭をかなず。

 やうやくに行くほどに都も遙かに隔りぬ。前途、林幽かなり、わづかに薺梢に見る。後路、山さかりて、ただ白雲跡をうづむ。既にして斜陽影くれて暗雨しきりに笠にかかる。袖をしぼりて初めて旅のあはれを知りぬ。その間、山館に臥して露より出で、曉の望、蕭蕭たり。水澤に宿して風より立つ、夕の懷、悠々たり。松あり又松あり、煙は高卑千巖の道を埋み、水に臨みて又水に臨む、波は淺深長堤の汀に疊む。濱名の橋の橋のもとには、思ふ事を誓ひて志をのべ、清見が關の關屋には、飽かぬなごりをとどめて歩みを運ぶ。富士の高峯に煙を望めば、臘雪宿して雲ひとり咽び、宇都の山路に蔦をたづぬれば、昔のあと夢にして、風の音おどろかす。木々の下には、下ごとに翠帳をたれて行客の苦みをいこへ、夜々の泊には泊ごとに菰枕を結びて旅人の眠りをたすく。行々として重ねて行々たり、山水野塘の興、壯觀をまし、暦々として更に暦々たり、海村林邑の感、いやめづらかなり。

 この道は、もし四道の間に逸興のすぐれたるか、はた又、孤身が斗藪の今の旅始なればか。過ぎ馴れたる舊客なほ眺めをなほざりにせず、况んや一往の新賓なれば感思おさへがたし。感思の中に愁傷の交はることあり、母儀の老いて又幼き、都にとどめて不定の再覲を契りおく。無状かな、愚子が體たらく、浮雲に身を乘せて旅の天に迷ひ、朝露を命にて風のたよりにただよふ。道を同じうする者は、みな我を知らざる客なり、語を親眤に契りて、いづちか別れなんとする。長途につかれて十日餘り、窮屈しきりに身を責む。湯井の濱に至りて一時半偃息、しばらく心をゆるぶ。時に萍實西に沈む、舊里を忍びて後會を期し、桂華東に開く、外郷に向つて中懷をなやます。よつて三十一字をつづりて千思萬憶、旅の志をのべつ。これはこれ、文をもつてさきとせず、歌をもつてもととせず、ただ境にひかれて物のあはれを記するのみなり。外見の處にそのあざけりをゆるせ。