University of Virginia Library

六 萱津より矢矧

 八日、萱津を立ちて鳴海の浦に來ぬ。熱田の宮の御前を過ぐれば、示現利生の垂跡に跪いて一心再拜の謹啓に頭をかたぶく。しばらく鳥居に向ひて阿字門を觀ずれば、權現のみぎり、ひそかに寂光の都にうつる。それ土木霜舊りて、瓦の上の松風、天に吹くといへども、靈驗日に新たにして、人中の心華、春の如く開く。しかのみならず、林梢の枝を垂るる、幡蓋を社棟の上におほひ、金玉の檐に

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たううつ、金色を神殿の面にみがく。かの和光同塵の縁は今日結びて悦びを含むといへども、八相成道の終りは來際を限るに期なきことを悲しむ。羊質未參の後悔に向前の恨みあり、後參の未來に向方のたのみなし。願はくは今日の拜參をもつて必ず當生の良縁とせむ。路次の便詣なりといふ事なかれ、これ機感の相叶ふ時なり。光を交ふるは冥を導く誓なり。明神さだめてその名におへ給はば、長夜の明曉は神にたのみあるものをや。

光とづる夜の天の戸はやあけよ
朝日こひしき四方の空みん

 この浦を遙かにすぐれば、朝には入潮にて

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[5]魚にあらずば
泳ぐべからず。晝は潮干瀉、馬を早めて急ぎ行く。酉天は溟海、漫々として雲水蒼々たり。中上には一葉の舟かすかに飛びて白日の空にのぼる。かのしん男の舟のうちにしてなどや老いにけん、蓬莱島は見ずとも、不死の藥は取らずとも、波上の遊興は、一生の歡會、これ延年の術にあらずや。

老いせじと心を常にやる人ぞ
名をきく島の藥をもとる

 なほこの干瀉を行けば、小蟹ども、おのが穴々より出でてうごめき遊ぶ。人馬の足にあわてて、横に跳り平に走りて、おのが穴々へ逃げ入るを見れば、足の下にふまれて死ぬべきは、外なる穴へ走り行きて命を生き、外におそれなきは、足の下なる穴へ走り來て、ふまれて死にぬ。憐むべし、煩惱は家の犬のみならず、愛着は濱の蟹も深きことを。これを見て、はかなく思ふ我等は、かしこしや否や、生死の家に着する心は、蟹にもまさりて、はかなきものか。

誰もいかにみるめあはれとよる波の
ただよふ浦にまよひ來にけり

 山かさなり又かさなりぬ、河へだたりて又へだたりぬ。ひとり舊里を別れて遙かに新路に赴く、知らず、いづれの日か故郷に歸らむ。影を並べて行く道づれは多くあれども、志は必ずしも同じからねば、心に違する氣色は、友をそむくに似たれども、境にふるる物のあはれは、心なき身にもさすがに覺えて、屈原が澤にさまよひて漁夫があざけりに耻ぢ、楊岐が路に泣きて騷人の恨みをいだきけんも、身の譬にはあらねども、逆旅にして友なきあはれには、なにとなく心細きそらに思ひしられて、

露の身をおくべき山の陰やなき
やすき草葉もあらし吹きつつ

 潮見坂といふ處をのぼれば、呉山の長坂にあらずとも、周行の短息はたへず。歩を通して長き道にすすめば、宮道、二村の山中を遙かにすぐ。山はいづれも山なれども、優興はこの山に秀いで、松はいづれも松なれども、木立はこの松にとどまれり。翠を含む風の音に雨を聞くといへども、雲に舞ふ鶴の聲、晴れの空を知る。松性々々、汝は千年の操あれば面がはりせじ、再征々々、我は一時の命なれば後見を期し難し。

今日すぎぬ歸らば又よ二村の
やまぬなごりの松の下道

 山中に堺川あり、身は河上に浮びてひとり渡れども、影は水底に沈みて我と二人ゆく。

 かくて參河の國に至りぬ。雉鯉鮒が馬場をすぎて數里の野原を分くれば、一兩の橋を名づけて八橋といふ。砂に眠る鴛鴦は夏を辭して去り、水に立てる杜若は時を迎へて開きたり。花は昔の花、色も變らず咲きぬらし、橋も同じ橋なれども、いくたび造りかへつらむ。相如、世を恨みしは、肥馬に乘りて昇仙に歸り、幽士、身を捨つる、窮鳥に類してこの橋を渡る。八橋よ八橋、くもでに物思ふ人は昔も過ぎきや、橋柱よ橋柱、おのれも朽ちぬるか、空しく朽ちぬる者は今も又すぎぬ。

住みわびてすぐる三河の八橋を
心ゆきてもたちかへらばや

 この橋の上に、思ふことをちかひて打渡れば、何となく心もゆくやうにおぼえて、遙かにすぐれば、宮橋といふ處あり、數双の渡し板は朽ちて跡なし、八本の柱は殘りて溝にあり。心中に昔を尋ねて、言の葉に今をしるす。

宮橋の殘る柱にこととはん
くちて幾世かたえわたりぬる

 今日の泊をきけば、前程なほ遠しといへども、暮の空を望めば、斜脚すでに酉金に近づく。日の入るほどに、矢矧の宿におちつきぬ。