七
世の中のことは二三年もすれば信じ切つて居た物の中から意外なことを発見するものであるなどと、私は人間全体の智慧の乏しさにこの事を帰して思ふのではありません。私一人が悪いのだと思つて居ます。ああした
身体
(
からだ
)
になつた人には女のやうなヒステリイはないのであらうと云ふ誤解をしたり、既に男性的な辛辣な性質も加つて居ると云ふ観察をようしなかつたりして、一生に比べて見れば六箇月は僅かなやうなものヽ、その間を私の子の肉体から霊魂までも疑ひを
挿
(
はさ
)
まずにお
艶
(
つや
)
さんに預けて
行
(
ゆ
)
きました。私は自分の子に済まないことをしたと思つて泣いても泣き足りなく思ひます。私は欧州に居た間の叔母さんと子供等とに就いて
然
(
しか
)
もそれ程くはしいことは知らないのです。四人程そのことに就いて話してやらうと云つて来た人がありましたが、私は自分の
後暗
(
うしろくら
)
さから(間接に子供を
苛
(
いぢ
)
めたのは私とあなたなのですから)その人等には曖昧なことを云つて口を
閉
(
とざ
)
させました。けれども四つ五つの話から見たくない全体も目に描かれて、悲しいことは同じだけの悲しみを私にさせます。私は留守中のお
艶
(
つや
)
さんのなすつた
総
(
すべ
)
てを決して否定しては居ません。
唯
(
た
)
だあの人には父に似た愛はあつても母らしい愛に似たものもなかつたのが子供等の不幸だつたのです。
巴里
(
パリー
)
の下宿で毎日帰りたいと泣くやうになりましたのは、子供等の心が私に通じたのであると、私はこれまでの経験の中でこのことだけを神秘的なことと思つて居ます。お
艶
(
つや
)
さんがお去りになつた翌日、
光
(
ひかる
)
が朝のお膳に向ひながらぼんやりとして居ますのを、どうしたかと聞きますと、××の育児園の生徒は
可哀相
(
かあいさう
)
だ、
今日
(
けふ
)
からは僕達のやうに叔母さんから
苛
(
いぢ
)
められるだらうからと云ふのです。私は顔を覆ふて泣きました。でも
母様
(
かあさん
)
が生き返つて来たから好かつたではないかと私は云つて慰めました。生き返ることの出来ない
処
(
ところ
)
にそれが行つて居たのでしたらどうでせう。里から取り返されて、
母
(
かあ
)
さんなんか厭だよと口癖に云つて居ました
佐保子
(
さほこ
)
だけを王様のお姫様のやうに大事になすつて、今に
佐保子
(
さほこ
)
に
兄様
(
にいさん
)
達を踏み
躙
(
にじ
)
らせますとばかり叔母さんは云つておいでになつたさうです。末の妹に踏み
躙
(
にじ
)
られるやうな兄達を生みの親であれば作り上げやうとは思ひませんけれど。私が
花樹
(
はなき
)
と
瑞樹
(
みづき
)
に三枚づヽの洋服を買ひ、
佐保子
(
さほこ
)
に一枚を宛てて買つて来た程のことにもお
艶
(
つや
)
さんは
佐保子
(
さほこ
)
を粗末にするとお取りになつて
清
(
きよし
)
さんの
家
(
うち
)
へ泣いておいでになつたのです。洋服などは
直
(
す
)
ぐ
小
(
ちひさ
)
くなるのですから下へ譲つて
行
(
ゆ
)
かなければならないではありませんか、さうした物質的のことで親の愛の尺度は解るものではありません。丁度私の帰つた日に二羽の
矮鶏
(
ちやぼ
)
の一羽が犬に
奪
(
と
)
られて一羽ぼつちになりましたのを、
佐保子
(
さほこ
)
が
昨日
(
きのふ
)
までに変つて
他
(
た
)
の兄弟から
忌
(
い
)
まれて孤独になつた
象徴
(
しるし
)
であるらしいと台所で女中に云つて聞かせたりもお
艶
(
つや
)
さんはなさいました。
何処
(
どこ
)
の国に親が帰つて来て孤独になる子がありませうか。
母様
(
かあさん
)
の
処
(
ところ
)
へ
行
(
ゆ
)
け
行
(
ゆ
)
けと云つてはその一番可愛い
佐保子
(
さほこ
)
の頭をお
打
(
うち
)
になる音を私にお聞かせになりました。そして私の居ない
処
(
ところ
)
ではあの大きな
佐保子
(
さほこ
)
に出ないあの
方
(
かた
)
の乳を吸はせたりもなさるのでした。
佐保子
(
さほこ
)
が私を敵視するやうになり、この間まで
僕婢
(
ぼくひ
)
のやうであつた兄弟達が物とも思はなくなつたのに、
憤
(
いきどほ
)
つてます/\横道へ
捩
(
ねじ
)
れて行つたのも、その時には是非もないことだつたのです。